スポーツ総合雑誌『Number』の
創刊40周年・1000号を記念して、
アスリートが躍動する表紙の展示や
トークライブの生中継を、
Web上でおこなうことにしました。
題して、「ほぼ日」オンラインミュージアム。
1980年から今に至るまで
あらゆるスポーツの瞬間を切り取りつづけ、
アスリートたちの知られざるドラマを
スポーツファンに届けてきた『Number』。
写真を見ただけで記憶が揺さぶられる
表紙の写真と編集部の声が並びます。
いま明かされる「表紙の物語」とは――。
※渋谷パルコ「ほぼ日曜日」での開催は
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため
残念ながら中止となりました。
>「ほぼ日曜日」のページはこちら
- 『Number』創刊から
40年の歴史をひもとくにあたって、
文藝春秋『Number』編集部に
これまで在籍していた編集者のみなさん、
歴代編集長のみなさんにアンケートをおこない、
共通の質問に答えていただきました。 - 「『Number』編集部の在籍中にあった
記憶に残る名試合、
思い入れのある試合を教えてください」 - こちらの質問に対する答えを並べてみたら、
どの話も、じつにおもしろかったんです。
日本中が湧いたあの試合の裏で、
『Number』編集部のみなさんは
こうして戦っていたんだな、
という回答が集まりました。 - 『Sports Graphic Number』の
創刊を任された初代編集長、
岡崎満義さんのエピソードから、
1985年までの4人分をどうぞ。
1979年 プロ野球日本シリーズ。
広島東洋カープ対近鉄バファローズ
「江夏の21球」。
岡崎満義さん
『Number』編集部 在籍期間:1979年9月~1982年4月
『Number』の創刊にあたり、会社からは
「総合スポーツ誌を作ってくれ」と言われていた。
この「総合」に悩んだ。
あらゆるスポーツを視野に入れて雑誌を作るわけだが、
「総合」をどう実現するか、迷いに迷った。
その頃、私の愛読した西洋文化史の研究家、
林達夫著作集の中に、
西独の美術史家、アビ・ワールブルクの言葉
――愛すべき神は細部に宿る、が導きの糸になった。
スポーツの細部、スポーツ・パーソンの細部に宿る
神をとことん追求すること、と考えた。
創刊号を準備していた11月初め、
日本シリーズ、近鉄ー広島戦があった。
3勝3敗の7戦目も、編集部のテレビでずっと見ていた。
3-4で近鉄が1点ビハインドの9回裏、
無死満塁、投手江夏。
ここを0点で抑えきって広島優勝となった。
この回の投球すべてについて、
江夏にVTRを見てもらいながら
1球1球なぜこの球を投げたのか
聞いていったらどうだろうと考えた。
スポーツ新聞の記者に相談すると
「あの傲慢な江夏が、
そんな小学生のようなインタビューに
まともに答えるわけがない」と笑われた。
こっちは素人なのでダメもとでやってみた。
1980年1月2日午後、
大阪のロイヤルホテルでインタビューした。
VTRが始まった。
第1球は平凡なハーフスピードの真ン中直球、
近鉄の羽田は難なくセンター前にライナーのヒット。
「なぜ、真ン中のストレートを投げたんですか」
江夏は「あれは、羽田がアホやから打たれたんや」
「えっ! 羽田はアホですか?」
「1点リードされた9回裏のドンづまり、
ファーストバッターは四死球でもエラーでも、
何でもいいから1塁へ出たいと考えるのが野球の常識。
私は4、5球目が勝負と考えていたから、
1球目は簡単にストライクを取りに行った。
羽田は野球のセオリーを知らないから打ったんや」
これを聞いて、
私はこのインタビューは成功すると確信した。
1982年 第1回ナンバーMVP発表
MVP広岡達郎監督
カムバック賞・石原裕次郎。
勝尾聡さん
『Number』編集部 在籍期間:
1979年12月~1983年3月 1994年4月~1997年2月
表紙撮影、インタビュー記事など
MVPの広岡さん関連の特集も記憶に残っているが、
個別に設定した賞のなかで
カムバック賞にした石原裕次郎。
心臓の大手術をした後、奇跡の復活をして
ハワイ沖でヨット・レースに出場する。
そのレース写真を掲載するため
コメントを求めたのだが、本人からは拒否された。
とはいえレース写真として
撮影されたものだったため掲載した。
後日、深夜の校了中に裕次郎さんのマネージャーが
高級ウィスキーを2本持って現れた。
本人は掲載されることを喜んでいたのだが、
担当医から激しい運動を止められていたため、
医者に遠慮してコメントをださなかったとのこと。
カメラマンと編集部に2本の差し入れだった。
1984年 ロサンゼルスオリンピック
陸上競技の女子3000m決勝レース。
松尾秀助さん
『Number』編集部 在籍期間:1979年9月~1984年4月
1984年ロス五輪・陸上競技の女子3000m決勝レース。
アメリカの“白雪姫”と呼ばれた美女メアリ・デッカーと
五輪前、5000mで世界新を出し突如として現れた
”自然児”ゾーラ・バッド(南ア・後に英)との激闘ドラマを
ロスのオリンピックスタジアムで観戦しました。
インコースを先頭で走るメアリ、
すぐ横で追う裸足のゾーラ。
何度もキッキング、エルボーイングなどの
接触を繰り返して競う二人。
何周目か(後半)第4カーブを曲がって
ストレートに入ったところ私が見ている目の前で、
ゾーラがインに切れ込み、メアリの右足に接触。
メアリは前のめりにフィールド内に倒れ、
両手をついて腹ばいに。
モジャモジャ髪を逆立て、
白い歯をむき出し、恨みを込めた眼差しを
前方に走り去るランナーたちに向けるメアリ。
ゾーラは後に、
「立ち止まろうと思った。レースをやめたかった。
私のオリンピックはあそこで終った」と語りました。
彼女はズルズルと後退してしまったのです。
1985年 新日鐵釜石で
ラストシーズンに臨む
松尾雄治へのインタビュー。
西川真彦さん
『Number』編集部 在籍期間:
1984年7月~1988年7月、2001年4月~2004年3月
117号「ラグビー新日鉄釡石V7」で、
最後のシーズンに臨む松尾雄治に密着。
怪我で日本選手権決勝出場が危ぶまれても
病院のベッドでジョークを飛ばしまくる松尾は、
黙々とそれぞれの仕事をこなして
偉業を静かによろこぶような
釡石フィフィティーンに
支えられていることを痛感した。
(つづきます)
2020-08-02-SUN
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8月19日(水)20:00から
中村亮土×真壁伸弥×生島淳×糸井重里
ラグビートークを生中継!
「ラグビー日本代表が語る、
必然で掴んだ大金星。」日本中が熱狂した、
ラグビーワールドカップ2019から1年。
ほぼ日も「にわかファン」として
おおいにたのしませてもらいました。
「Number1000」のトークイベントとして
4月に開催を予定していたラグビートークを
オンライン配信することにしました。
ラグビーワールドカップ2015に出場した
元日本代表の真壁伸弥さんと、
『Number』で数々の文章を書いている
スポーツライターの生島淳さん、
にわかラグビーファンの糸井重里はそのまま。
そして、あらたにスペシャルゲストとして
ラグビーワールドカップ2019に出場した
日本代表の
中村亮土選手(サントリーサンゴリアス)
にも登場いただけることになりました。
生中継を見るためのチケットは
1,100円(税込)、
7月28日(火)午前11時から
販売をはじめます。 -
『Number』1000号と、
特製クリアファイルをセットで販売中!「Number1000」のイベントのために制作した
限定グッズの特製クリアファイルを
『Number』1000号と
セットで販売しています。
人差し指を立てたイチローさんの
表紙が印象的な『Number1000』では、
創刊1000号記念特集として
「ナンバー1の条件」をテーマに、
イチローさんがナンバー1への想いを語る
ロングインタビューが掲載されます。特製クリアファイルは全3種類。
1000冊ある『Number』の表紙から、
「野球」「サッカー」「女性アスリート」の
3つのテーマでわけたクリアファイルを
このイベントのために作りました。
これまでに『Number』の
表紙を飾ったアスリートたちの
生き生きとした表情が並びます。
3つとも、A4サイズの紙がちょうど収まる
220mm×310mmの大きさです。*販売は終了しました。