こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
2年ほど前に
『インタビューというより、おしゃべり。』
という本を出しました。
これは、俳優、画家、自転車修理業、友人、
匿名の会社員、詩人、政治学者‥‥と、
出てくる人がまったくバラバラだったため、
タイトルをつけるのがタイヘンで。
唯一、すべての記事に共通していたのが
「インタビューをとったはずなのに、
出来た原稿は、おしゃべりみたいだった」
ので、こうしたのですが。
今度は逆に、積極的に、最初から
「インタビューでなく、おしゃべりしよう」
と思って、6名の方にお声がけしました。
こころみとして、そうとう無目的。
お声がけの基準は
「以前からおつきあいがあるんだけど、
どういう人か、実はよく知らなかった人」。
4人目は、編集者の堅田浩二さん。
和田ラヂヲ先生の伝説の怪連載
『ネコが出ますよ。』で知り合って以来、
10年以上のお付き合いです。
堅田浩二(かただこうじ)
編集者。「江口寿史責任編集 COMIC CUE」創刊に携わり、後に同誌編集長に。よしもとよしとも『青い車』、田中圭一『神罰』、吾妻ひでお『失踪日記』『アル中病棟』、山本直樹『明日また電話するよ』、地下沢中也『預言者ピッピ』、江口寿史『江口寿史のお蔵出し 夜用スーパー』、和田ラヂヲ『容赦ない和田ラヂヲ』ほか多くの単行本編集を担当。2021年よりフリーランスに。
ほぼ日刊イトイ新聞の編集者である奥野が過去に行ったインタビューのなかの14篇を、星海社さんが一冊の本にしてくださったもの。ご出演いただいた方々の肩書は、俳優、洞窟探検家、自転車販売・修理業、画家、友人、映画監督、俳優、会社員と主婦、映像作家、詩人・歌手・俳優、俳優・アーティスト、政治学者‥‥と、まさにバラバラ。具体的には柄本明さん、吉田勝次さん、鈴木金太郎さん、山口晃さん、巴山将来さん、原一男監督、山崎努さん、Nさん夫妻、佐々木昭一郎監督、ピエール・バルーさん、窪塚洋介さん、坪井善明先生‥‥と、何が何やら。装丁は大好きな大島依提亜さん、装画は大人気の西山寛紀さん、あとがきの部分でわたくしにインタビューしてくださったのは大尊敬する古賀史健さん‥‥と、なんとも幸せ者な一冊です。Amazonでのお求めは、こちらからどうぞ。
- ──
- 大先輩をお呼び立てしてしまいまして、
たいへん申しわけございません。
- 堅田
- 何をおっしゃいますやら。
- ──
- 最近、会社を辞められたとか?
- 堅田
- そうなんですよ。
20年以上いたのでもういいかな~と(笑)。 - 晴れてフリーランスになりました。
- ──
- その昔‥‥水曜日のほぼ日刊イトイ新聞には、
和田ラヂヲ先生の
『ネコが出ますよ。』という怪連載があり、
話を持ってきてくださったのが
当時イースト・プレスにいらした堅田さんで。
- 堅田
- そうですか。
- ──
- そうです。それ以来のおつきあいなので、
もう‥‥10年以上、
ことあるごとにお世話になっていますね。 - たとえばで言えば、
吉田戦車さんの伝説の連載「逃避めし」を、
書籍化してくださったり。
- 堅田
- はい。
- ──
- 逆に、ほぼ日の横尾忠則さんのコンテンツ
「アホになる修行の極意」の
もとになった書籍
『アホになる修行 横尾忠則言葉集』の
編集者だったり、
渋谷パルコで開催した大好評のイベント
「大ラヂヲ展・小ラヂヲ展」の
もとになった漫画
『容赦ない和田ラヂヲ』の編集者だったり。
- 堅田
- はい。
- ──
- ゲーム「MOTHER」のトリビュート本
『Pollyanna2』の奥付には、
「相談」という何ともナゾめく肩書で、
クレジットされていたりもして。
- 堅田
- 漫画家さんの選定の相談に乗ったんです。
- ──
- そんなこんなで、お付き合いは長くて。
- ラヂヲ先生と3人で、何度も
酒席をともにさせていただきましたが、
このたび断酒されたとのことで、
いまでは「断酒師匠」と呼ばれてます。
- 堅田
- そう呼んでいるのは
あなたとラヂヲさんだけですし、
それに、もう断酒も辞めたんです。
- ──
- えっ、あ、そうでしたか。断酒も断ったと。
次々、断ちますね。
酒も断ち、会社員生活も断ち、断酒も断ち。
- 堅田
- 町田康さんの影響で断酒をはじめて、
1年半続けられて自信がついたから、
断酒断(だんしゅだ)ちしたんです。
- ──
- そういうものですか‥‥。
- ともあれ今日は、
かように長いおつきあいの堅田さんに、
お仕事のお話など、いろいろと。
- 堅田
- オレの編集道を。
- ──
- ぜひ。
- 堅田
- そんな道はない(笑)。
- それより奥野さん、
前は宝島社だったんですよね。
- ──
- そうですね。
具体的には『smart』編集部でした。
- 堅田
- あら、おしゃれ。
- ──
- もともと別冊宝島とか、
「VOW」に関わりたいと思ってました。 - でも入社の時点で、宝島社は
すでにファッション誌全盛の時代でした。
そもそも「VOW」総本部(=編集部)も、
宝島社の中には存在しなかったんです。
- 堅田
- (編プロの)アート・サプライが
つくってましたよね。
- ──
- 自分が「編集者」に憧れたきっかけの
「VOW」に入れず、
正直言って当時はけっこう凹みました。 - 2代目総本部長(=編集長)であられる
古矢徹さんの
切れ味するどいコメントに、
斬られっぱなしの青春だったので‥‥。
- 堅田
- 投稿ネタの受け方がみごとでしたよね。
- ──
- ぼくは「VOW」に、
「あ、編集ってこういう仕事なのかあ」
「はたらくって、楽しいのかもなあ」
と教えてもらったんです。 - で、いざ編集者になってみて、
その奥深さを痛感しているという次第で。
編集と一言ではくくれないほど、
媒体によって、
ぜんぜん仕事がちがうじゃないですか。
- 堅田
- うんうん。
- ──
- ‥‥いや、ぼくの話はいいんですよ。
- 堅田
- 今日は、奥野さんに
インタビューしようと思って(笑)。
- ──
- それは、またの機会でお願いします。
- 堅田
- ほら、前に奥野さんから聞いた、
忘れられないエピソードがあるんです。 - 以前の「はたらきたい展。」のときの、
「月の石」の話。
- ──
- あー。はい。
- 堅田
- なんでも、開幕前日の夜に、
ようやく会場が出来上がったところで、
糸井さんがやってきて‥‥。
- ──
- 会場全体をじっくりとごらんになられ、
こうおっしゃったんです。 - 「うんうん、きみたち、よくやったなあ。
でも『月の石』がないね」と。
そう言い残してお帰りになられたんです。
- 堅田
- 鬼だ(笑)。
- ──
- つまり、大阪万博のときに展示された
「月の石」みたいに、
みんなが
それを目がけて大行列するような何かが
「ないね」と。
- 堅田
- その話を聞いて、
糸井さんって、クリエイティブに対して、
何て厳しい人なんだと戦慄しました。
- ──
- いや‥‥まあ、あることですし、
何よりも
糸井さんのおっしゃるとおりだったんです。 - すでに開幕まで12時間を切っていたので
さすがにちょっと焦りましたけど、
「月の石って‥‥」と考えたら、
案外すぐに「あれだ!」と思いつたんです。
それが、写真家の石川直樹さんが
太平洋を漂流して
九死に一生を得たときの錆びついたカメラ。
- 堅田
- ありましたね。
- ──
- その場で、すぐに石川さんにお電話をして、
貸していただけることになりました。
他にも、荒井良二さんが
絵を描いているときに穿いていらっしゃる
絵の具にまみれたジーパンなどをお借りし、
「はたらく道具」として展示しました。
結果、表現の幅がグッとが広がったので、
ほんと、言ってもらえて助かったんですよ。
- 堅田
- なるほど。
- 最後まで妥協しなかったおかげで、
結果いいものになったと。わかります。
- ──
- そうなんです。
で、ぼくの話はいいんですよ。 - 強引に取材マイクを奪い返しますが、
堅田さんは、
どうして編集者を目指したんですか。
- 堅田
- どうしてかな。
- ──
- 吾妻ひでおさんの『失踪日記』など、
数々の傑作マンガを
世に問うてきた辣腕編集者であり、
江口寿史さんが創刊編集長だった
伝説の雑誌『COMIC CUE』の
2代目編集長もつとめた堅田さんは、
いかにして、編集者に。
- 堅田
- 自分も、中学・高校くらいのときに、
『宝島』をよく読んでたんです。
それこそ、
糸井さんもよく登場されていたころの。
- ──
- はい、糸井さんの表紙の『宝島』は、
いまだに持ってますし、
何回か古本で買い直したりしてます。 - 最高に、おもしろかったですよね。
あのころのA5判の『宝島』。
80年代ポップカルチャー満載で。
- 堅田
- だからというわけじゃないんだけど、
中学校で
読書感想文の宿題が出たときに、
糸井さんの本で書いたことが(笑)。
- ──
- えっ、どの作品で?
- 堅田
- 『ペンギニストは眠らない』です。
- ──
- へえええええ。
- 堅田
- すごく衝撃を受けたんです。
湯村輝彦さんの装丁もかっこよくて。
- ──
- ということは、「ガロ」なんかも当然。
- 堅田
- うん。宝島も当時、ガロ系作家さんの
コミックスをたくさん出してましたね。
- ──
- ちなみに『ジャンプ』とかの王道は?
- 堅田
- それも、それなりに読んでた。
少女マンガとかも含めて、
気になったものは、なんでも。 - あとやっぱり『ビックリハウス』‥‥
高橋章子さん、ほぼ日に出てほしいな。
- ──
- 『ビックリハウス』の編集長だった方。
- ともあれ、糸井さんの本や
ビックリハウス、宝島、ガロなんかを
愛読していた少年が、
やがて、編集者・堅田浩二になったと。
人に歴史ありだなあ。
- 堅田
- でも自分のいちばんベースにあるのは、
ピーナッツなんですよ。スヌーピーの。
- ──
- ああ! お好きですよね、スヌーピー。
- 堅田
- 小学生のときに、
いまはなき鶴書房から出ていた
「ピーナッツ・ブックス」を、
40巻くらい買いそろえてた。
おこづかいやお年玉で、コツコツと。
- ──
- へえ~。
- 堅田
- まあ、本や雑誌全般が好きでした。
- ──
- じゃあ大学も、当然、文学部系に。
- 堅田
- 文学部の文芸専修だったんですけど、
あんまりちゃんと行ってなかったです。 - 卒論も文芸と関係ないテーマで。
- ──
- どんなテーマだったんですか。
- 堅田
- どんな人でも無意識的に、
自分はまともで、
他人はアホだと思っている部分があるでしょう。 - でも、誰もが互いにそう思っているから、
古今東西、争いも絶えなくて。
そんな感じのことを掘り下げて‥‥。
- ──
- すごそう。
- 堅田
- ただ、論文というより完全に雑文で、
余計な小ギャグを
随所に交えたりして(笑)。
担当の教授は苦笑いしてましたけど。
- ──
- ちゃんと4年で出たんですか?
- 堅田
- あ、もちろん。
- ──
- すばらしい。
- 堅田
- ちゃんと出席しなくても単位が来る
授業ばっかり取ってたから(笑)。
でも、留年する夢をいまだに見るな。
- ──
- ほんとですか。
- 堅田
- 単位が足りない卒業どうしよう‥‥って。
3~4か月に1回くらいの頻度で。
- ──
- そんな頻繁に!?
完全にトラウマじゃないですか。
- 堅田
- いや、ぜんぜん苦労しなかったんだけど、
苦労しなさすぎて、
どうやって卒業したか思い出せないから、
悪い夢を見るのかもしれない(笑)。 - 同じくらいの頻度で『COMIC CUE』の
入稿が間に合わなくなる夢も見ますよ。
こっちのほうがぜんぜんトラウマ(笑)。
- ──
- でも、そうやって大学では文芸を修めて、
新卒で出版社に就職されたと。
- 堅田
- そのころ‥‥いまもですけど、
あんまりはたらく気がなくて。
- ──
- 肝心の勤労意欲がなかった(笑)。
- 堅田
- なかった。とはいえもちろん、
就職しないわけにはいかないし。 - 本も好きだけど、ラジオも好きだったから、
消去法で出版社やラジオ局を受けて‥‥
でも最終的に、軒並み落ちてしまいまして。
- ──
- あら。
- 堅田
- そのあと、ちょっとズレたタイミングで、
さる出版社の採用試験があると知って。 - そこで出してた雑誌が好きだったんです。
いまも尊敬している、
著名な編集者がいらした会社だったし。
- ──
- ええ。
- 堅田
- で、受けたら受かったんです。
- ──
- おお、すごい。何編集部に配属ですか?
- 堅田
- いや、編集部に配属される前に、
3か月間の研修期間があったんだけど、
それを終えたころ辞めちゃったの。
- ──
- えええ。
(つづきます)
2022-05-23-MON
-
数多の漫画作品を手掛けてきた
編集者・堅田浩二さんの最新担当作が、
ただいま絶賛発売中であります。
「会社を辞めたあとも
引き続き担当をさせていただいている、
トマトスープ先生の
『ダンピアのおいしい冒険』4巻が
発売になりました。
実在した博学の海賊が
未知の世界を切り開いていく物語です。
ぜひ読んでください」(堅田さん)
2巻まで読んでました!
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