こんにちは、ほぼ日の永田です。
もう、20年以上前から、2年に一度、
オリンピックの全種目を可能なかぎり観て、
そこに寄せられる膨大なメールに目を通し、
それらを翌朝までに編集し、読むだけでも
1時間くらいかかる長文コンテンツに仕上げて
大会期間中毎日公開する、という、
常軌を逸することをやっておりました。
しかしそれも2020東京オリンピックで一区切り。
前回の北京オリンピックからは、
毎日、観ることは観るものの(観るんですね)、
メールの編集と長文テキストの公開はやめて、
1日1本、観戦コラムを書く、という、
のんびりした姿勢でやっています。
観戦しながらのリアルタイムな感想は、
永田の旧ツイッターのアカウント
(@1101_nagata)で発信しています。
ぎゃあ、とか、うぁっ、みたいな反応は
そちらでおたのしみください。
旧ツイッターのアカウントをお持ちの方は
ハッシュタグ「#mitazo」をつけて、一緒に、
くわっ、とか、ひぃぃ、とか言いましょう。
#18
4年に一度
- パリオリンピックが終わりました。
ほら、言ったでしょう?
オリンピックは終わっちゃうって。 - そう、オリンピックは終わってしまう。
そしてもうひとつ、予言しよう。 - 私たちはこの熱戦の日々を、忘れてしまう。
そんなわけないよといまは思うかもしれないけど、
でも、そうなのだ、忘れてしまうんだよ。 - 4年後、なんなら、
「前回ってパリだっけ?」とか言うよ?
ふつうに言うよ? - 北口榛花選手の金メダルとか、
柔道混合団体の悔しい銀メダルとか、
開会式がセーヌ川だったとかは
憶えてるかもしれないけど、
いくつもの名勝負やメダルやアスリートたちを
どうしても私たちは忘れてしまう。 - なぜなら、4年が過ぎるからである。
4年というのは、それだけの月日なのだ。 - しかし、その4年という周期を含めて、
オリンピックはいいとぼくは思っている。
いいスポーツはルールがよくできていると
前にも書いたと思うけど、
4年に一度開催するというオリンピックの仕組みは
とてもよくできていると思う。 - 調べてみると、その周期は、
争いが絶えなかった古代ギリシャで、
休戦を促すために4年に一度、
競技大会を開いていたことに由来するという。 - ああ、それはなんというか、実感のある周期だ。
休戦のために毎年競技大会を開いていたら、
どこかで実行力がなくなったかもしれないけれど、
4年に一度の競技大会なら、古代ギリシャの人たちも
ちょっと武器を置こうぜってなりそうな気がする。 - いや、数字が先じゃなくて、
人々がそういう実感をを持つ周期として、
「4年に一度」が生き残ってきたのかもしれない。
古代ギリシャでも何年おきにやるかいろいろ試してみたら、
4年に1回やるのが一番みんなの気持ちがそろったとか、
そういうことかもしれない。 - スコーン! と脱線するけれど、
大学の授業で「オリンピック学」ってあったら、
そこだけはぼくはしっかり出ただろうと思う。
いまだって歴史とか由来とか知りたくて
すぐ調べちゃったくらいだし、授業も熱心に聞くと思うよ。
どこかの大学にあるのかしら、「オリンピック学」。
あるだろうなあ、国際的な文化の営みだものな。
歴史、文化、経営、情報と、
多分野の「オリンピック学」があっておかしくない。 - さぁ、一本、と、
ポイントガードがボールを運びながら
チームに声をかけるように話題を切り替えるなら、
4年に一度というオリンピックの周期は、
観るぼくらにとってもじつはありがたい。 - 終わらないでくれ、もっとやってくれ、と、
いまぼくらは思うけれども、
じゃあ、たとえば、来月にまた、
中国かドイツか韓国かスウェーデンと
卓球団体戦の準決勝をやるよといわれたら、
はたして同じテンションで
テレビの前に集まれるだろうか。 - 4年に一度だから、観るほうも気持ちが入る。
夜ふかししたり、有休をとったり、無理ができる。 - もちろん、そのサイクルは、観るぼくらよりも
アスリートのためにある。
たとえば今回のオリンピックで
メダルを手にできなかった
ほとんどのアスリートやチームが、
もう一度、組織やからだをつくりかえて、
今度こそ勝つぞと仕切り直すためには、
やっぱり1年くらいじゃダメなんだろうと思う。 - このパリオリンピックで、
日本は20個もの金メダルをとった。
金メダルの数だけでいうと、
アメリカと中国についで第3位だ。 - すごいな日本、とも思うけれど、それはたぶん、
前回の東京オリンピックに向かって、
かなり前からいろんな競技の実力を
底上げしてきた影響がまだ続いているのだと思う。 - 競技の実力というのは、すぐには上がらない。
4年というサイクルだから、
各国の各競技はきちんと選手を育成し、
競技の環境を整えていくことができる。
4年に一度のオリンピックは
アスリートにとっても、
私たちにとってもほんとちょうどいいのだ。 - つけ加えると、4年が過ぎると、社会も変わる。
技術も価値観も問題意識も変わる。
そういう不ぞろいなものを、
OSの大型アップデートみたいに
4年に一度のオリンピックをきっかけにして
世界が照らし合わせるのは意味があることだと思う。 - 思えば、中継技術なんていうのは、
もう、オリンピックのたびに変わっている。 - 今回のパリオリンピックでは、
NHKとTVerのネット配信がかなり重要だった。
ちょっと前のネット配信というと、
ロードレースとかボートとか、
日本だとあまり馴染みのない長時間の競技を
外国の実況のまま流している、という印象があったけど、
今回はPCに向かって熱く応援する、
ということも頻繁にあった。
屋外でスマホに向って祈った人も多かったと思う。 - 4年後は、ついにぼくもあの、
ゴーグル型のビジョンをつけて‥‥
いや、それはもうちょっと先かなあ。
あ、でも、意外に速いのかな、ああいうものの普及は。
技術とか情報の常識ってドッグイヤーだからな、
ほんっと速いからな。ドッグレッグだからな。
否、それはゴルフである。 - だいたい、ツイッター(現X)でつかっている、
ハッシュタグの「#mitazo」って、
なんで「#観たぞ」じゃなくて「#mitazo」なのか、
みんな、憶えているのかな。 - ツイッターが普及してけっこう長い間、
ハッシュタグに日本語ってつかえなかったんだよ。
技術的な問題だったか、常識的な慣習だったか、
ハッシュタグはアルファベット推奨だったんだよ。 - そういう意味でいえば、
きっと「#mitazo」というオリンピック観戦の仕方も、
もちろん、それが長く続けばという前提だけど。
そのうち忘れられていくのだと思う。
実際、ツイッター上で
「この#mitazoってなんですか?」と
質問している人を見かけたこともある。 - 忘れられて、昔から引き継がれる謎の呪文のように、
「#mitazo」だけが残っていったらおもしろいのになと、
前々からぼくはけっこう真剣に思っている。
100年とか続かないかな。オリンピック25回分だ。 - さっき、社会も変わっていくと書いたけど、
スポーツを観る側の感覚もすこしずつ変わっていく。
ご存知のように、今回のパリオリンピックでは、
アスリートへの誹謗中傷などネガティブな話題も多かった。 - スポーツを観て、怒る人や、煽る人がいるのは、
それはそれでしかたのないことだ。
自分とは違う反応をする人がいても、
向こう側から見ればぼくが逆側なわけだし、
それはもう、止められるものではない。 - けれども、今回、ぼくが、
それはちょっといやだなと思ったことがひとつあって、
最後だから書いておくと、
それは、観ていない人が、
ネガティブな情報を先に知って、
観る気を失ったり、それどころか、
「観なくてよかった」と思っていたりすることだった。
そりゃないよ、とぼくは思う。 - でも、オリンピック以外の、自分が不得意な分野では、
そういうことをぼくもやってるんじゃないかとも思う。 - そういえばオリンピックをめぐるこの遊びに、
ぼくは「観たぞ」というコンセプトをあらかじめつけていた。
なにを言ってどう遊んでもいいけど、
実際に「観たぞ」というところからはじめようよ、
とみんなに呼びかけたのは、
この指とまれの指を出したものとして、
間違っていなかったと20年後のいま思う。 - たぶん、たぶんね。
スポーツですら、「ちゃんと観る」人は
時代とともに減っていくのだと思う。 - だって、映画やゲームだって、
「実際の長さで観ない」で、「実際にプレイしない」で、
それを知るようになるなんて思いもしなかったもの。 - おそらくどんなスポーツもアーカイブ化されて、
お金はかかるかもしれないけど、
きっとそれを効率よく観ることが一般的になっていく。
そういう技術や文化の流れは止められない。 - そういう時代に、「観たぞ」という遊びがどうなるか?
ぼくは、一段とおもしろくなるのではないかと思うのだ。 - 夜ふかしして、仕事を調整して、休みをとって、
らくに観られるスポーツをわざわざ「ちゃんと観る」。
「あの人はほら、オリンピックのときはあれだから」とか、
変わり者扱いされることは
あるかもしれないけど(永田のように)、
逆転を信じて負けてる試合を2時間観る、
みたいなことのダイナミズムは、
おそらくどんどん純度を高めていく。 - そんなときに「観たぞ」の遊びが、
いまのしょうもなさとか、
人間らしさをそのままに維持できていたら、
そりゃあきっともっとおもしろいぞ、とぼくは思う。 - 最後の最後まで、やっぱり長く書きました。
オリンピックを毎日観て、
ここや、SNSに感情をどんどん表して、
しかもそれを読んでもらえているだなんて、
なんと恵まれていることだろう。
ぼくはほんとうに運がいい。 - 2024年のパリオリンピックも
ありがとうございました。ほんとうに。
あと、あんまり書いたことがないから書いておくと、
この20年、これを許してくれている
家族にも、とても感謝します。
あ、家族に感謝するとなんかメダリストっぽいね。
いや、バッハか? バッハもおつかれさまでした。 - それでもやっぱり2年後は、
自分がどうするかどうなるかわかりません。
そういうことも、そのときどきでしっかり考えよう。 - あ、閉会式がまさにいまはじまる。
観なきゃ。 - また遊びましょう。
(おわります)
2024-08-12-MON
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「#mitazo」をつけて投稿したりすると最高にたのしいです。
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