>谷川俊太郎さんについて

谷川俊太郎さん(たにかわ しゅんたろう)

1931年生まれ。詩人。
「朝のリレー」「二十億光年の孤独」
「いるか」「みみをすます」「生きる」など、
数千篇におよぶ詩作品や、レオ・レオニ作『スイミー』、
スヌーピーでおなじみ「ピーナツブックス」シリーズ、
『マザー・グースのうた』などの翻訳、
そして、テレビアニメの「鉄腕アトム」主題歌や
「月火水木金土日のうた」などの作詞も手がける。
詩の朗読を中心とした
ライヴ活動も精力的に行なっている。
現代を代表する詩人のひとり。

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第6回 詩の現場はどこだろう。

糸井
谷川さんは、きっかけがなくても詩を書きますか?
谷川
もうぜんぜん(笑)、
自分からきっかけ作って書いてます。
むしろ計画して書いてる。
糸井
夏休みのラジオ体操でスタンプもらうみたいに(笑)。
谷川
そうね。
いまはできるだけ、
少ない言葉で詩が書けるかどうかをやってるんです。
これ、下手すると俳句になっちゃうけど、
絶対俳句にはしないで、現代詩っぽくやってんです。
読んでもおもしろくないだろうって、
心配なんだけど、編集者が
「これでいいんじゃないですか」なんて言うからね。
糸井
あ(掲載サイトを見てみる)、短い、短い!
谷川
なんだかこの頃、
あまりにも言葉が多すぎるからね、
「少し」で、なにかできないかと思って。
糸井
いまは、言うことが余ってるという
表現ばかりですね。
たとえばおいしいときには、
「うますぎる」と言っちゃう。
なんとかして「もっと言いたい」という
表現にあふれています。
そういえば晩年の吉本隆明さんは
「コミュニケーションの邪魔をしてやる」と
おっしゃっていました。
「いまはなんでもコミュニケーションというから、
俺はそこに石を置いて、
コミュニケーションの邪魔をしてやろうと思う。
それが芸術です」
って。
谷川
福田恆存(こうそん)っていたでしょ?
糸井
はい、恆存(つねあり)さん。
谷川
あの人が「言葉のインフレ」について
言い出したのは、
たしか1960年代あたりでした。
そのときに「あ、当たってる」と思った。
あの頃からすでに言葉はすごく
増えてたってことなんですね。
糸井
それはきっと
「向こうから来るものに期待しない」という
考え方でしょうね。
とにかく渡しちゃう、出しちゃう。
みんなが「~すぎる」を乱発しだしたのは、
ここ数年のような気がしますし、
プロは、とにかくいっぱいしゃべる人が
持てはやされています。
谷川
言葉の値打ちが下がってるから、
みんなどうにかして値打ちを上げようと思って
工夫してるんでしょうね。
量で上げようって人もいるし、
質でどうにかしようっていうのもいる。

糸井
量や質もそうですが、
言葉にはなにかこう、色や形があると思うんです。
あえて言えば「デザイン」です。
谷川
ええ、言葉はデザインと地続きですね。
糸井
そうですよね。谷川さんがいま、
詩をなるべく少ない言葉で作ろうとしているのも、
質で勝負というよりも
言葉のデザインを変えようとなさっているのでは
ないでしょうか。
思えば谷川さんはこれまでずっと、
言葉と世界をデザインしてこられました。
あの「かっぱかっぱらった」も、
同じような文字を並べて音で出すことを想像させて、
「成り立つんだよ」と見せてくれた。
谷川
無意識にだけど、ぼくは
言葉から意味を剥奪したいという気が
あったんですよ。
糸井
はい、はいはい。
谷川
「かっぱ」なんかも、
音でみんな喜ぶわけだから、
意味はあまり問わないわけです。
ぼくはそれがいいと思ってます。
絵や音楽は、いつもうらやましくてね、
意味がないところがね。
糸井
言葉はどうしても、
解釈や意味とつながりますから。
谷川
そうなんです。
だから糸井さんがほぼ日で
「もの」を作ってらっしゃるのは、
ひとつの解としてふさわしいと
いつも見てるんです。
糸井
はい。「ものを作る」もそうですし、
谷川
「ものを発見する」もそう。
糸井
ああ、そうだ。
発見は好きです。
あとは「仕組みを作る」も。
谷川
そうですね、仕組みね。
糸井さんはそうですね、
言葉というより「場」を
デザインしつづけている人です。
糸井
ぼくは多分、いちばんにやってきたのは、
場を作ることだったと自分で思います。
谷川
そうでしょうね、うん。
糸井
でも、場を作る人のおもしろくなさが、
つまんないものを生むこともあるので。
谷川
ああー。
糸井
アカマツ林で松茸採ろうと思って場を作っても、
毒キノコが生えてくることもあるし。
谷川
なるほどね(笑)。
糸井
でもそこで、排除をしすぎると、
場としては痩せるんです。
谷川
あのね、ぼくはなんだかここ数年、
「現場」というものがすごく気になってんです。
現場がある人の文章っておもしろいんですよ。
たとえば養老孟司さんの『バカの壁』も、
解剖という現場があるから、すごく強い。
糸井
ああ、なるほど。
谷川
京大の山極(壽一)さんも、ぼくなんか大好きだけど、
あれもゴリラという現場があるからで。
じゃあ俺の現場はどこなんだってことに
なっちゃうんです。
詩の現場って、ないんです。
言葉の現場はない。
だから朗読かなんかでごまかしてるって感じ。
朗読すれば、お客さんが来てくれてる
現場にはなりますから。
だけどほんとうは、
詩以外のものがそこに絡まないとね。
例えばゴリラが絡むとかさ(笑)、
死体が絡むとかってことでリアルになるわけだけど、
詩には、そのリアルが「言葉」しかないの。
だからぼくは言葉をどうしても疑っちゃうのです。
どうにかリアルにしたいと思ってる。
糸井
うわぁ、それは厳しいですね。
でも、対面で人といるときって、
詩を作ってるわけじゃないけど、
鍛えられてるわけじゃないですか。
だから、人間関係すべてが詩の現場だとも
言えませんか。
谷川
そうするとやっぱり、
言葉になっちゃうじゃないですか。
詩は美辞麗句。
どうしても、そこに行っちゃうんです。
ほぼ日
詩人の現場は日々の暮らしだ、ということでも
ないんですか。
谷川
私はそう思ってんだけど、
そうじゃない人たちもたくさんいる。
だから詩人の現場は日常だとは言い切れない。
糸井
詩は、現場は苦手かもしれないけど、
デザインは得意です。
そこがいちばんの大仕事だともいえる。
だからそこで勝負していくしかないのかも
しれないですね。
谷川
そうですね、けっこう、
「デザインがすべて」みたいなところはありますよ。
糸井
デザインって、言葉は軽くとらえがちですが、
「神は天と地を創りたもうた」というときは、
神は天と地をデザインしたんだ、
ということでもあるような気がします。
クリエイトというより、デザイン。
谷川
配置ってすごく重要ですからね。
ほぼ日
そこまでデザインを
重要視したことはあまりありませんでした。
それは編集ということでもありますね。
谷川
編集もデザインですね。
そういや英語の辞書で見たんだけど、
「メンタルプラン」という言いまわしがあったな。
つまり、精神的な計画です。
精神的な計画はデザインだと思う。
ほぼ日
ああ、私たちがじっさいに暮らしていく中で、
精神をデザインすることは、とても大切です。
糸井
精神的なものを含めて、どこかにあるものを
「こういうものとして、ここにいてもらいましょう」
と配置することは、
ゼロからすべてを創造するのとはちがうけど、
同じくらい重要なことです。
‥‥ああ、そうですよね、
こんな歳になる前に、
そういうことを思いついていたかった!
谷川
でも、糸井さんは無意識のうち
メンタルプランをつぎつぎ
くり出してきたじゃないですか。
糸井
つぎつぎに出してきたとすればそれはただ、
飽きちゃうからですよ。
谷川
まあ、それはしょうがない。
ぼくも飽きっぽいからよくわかる。
糸井
あらゆるものについて
「飽きちゃう」のとの闘いです。
「いや、それそのままやってておもしろい?」って
すぐに聞きたくなる。
谷川
ぼくも、詩を書いててそうなります。
糸井
でも谷川さんは、
詩の中で飽きないことを、
それこそデザインしなおしながら、
やってますよね。
谷川
うん。
形でごまかしたりしながら、
いろいろやってます。
糸井
谷川さん、
飽きながらいろいろやっていくことの後輩として、
またここに、遊びにこさせてください。
谷川
いつでもお待ちしてますよ。
糸井
ありがとうございます。

(ひとまず、おしまいです。 また機会があればふたりのおしゃべりを届けます)

2021-03-23-TUE

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  • 谷川俊太郎さんへの質問を募集します。

    今年アプリで開校する予定の
    「ほぼ日の學校」で、
    谷川俊太郎さんが授業を
    してくださることになりました。

    谷川さんは
    「できればみなさんからの質問に
    答えてみたい」
    とのこと。
    谷川さんへの質問をぜひお送りください。

    <質問のテーマ>
    ・学ぶことについて、教育について
    ・言葉について
    ・詩について

    言葉について悩んでいること、
    日頃から疑問に思っていたこと、
    この連載を読んで思った質問、など
    あるていどテーマに沿っていればOKです。

    メールの件名を
    「谷川さんに學校の質問」にして
    postman@1101.comあて
    メールでお送りください。
    〆切は2021年3月31日です。