2023年春の「ほぼ日の大開拓採用」。
今回の採用について、背景にある思いまで
くわしくお伝えできたらと、
ふだんからほぼ日という会社について
経営の立場で考えてきている
「糸井重里」「あやや」「もとお」の3人に、
ほぼ日のいまとこれからについて
話をしてもらいました。
会社全体についての話が多いですが、
こんなふうに、一緒に未来を作っていける
新しい仲間と出会えたらと
わたしたちは本気で考えています。
応募の参考にしていただけたら幸いです。

 

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「こうあったらいいのに」が未来を作る。

──
2023年新春の秋元康さんとの対談のなかで、
糸井さんが
「ぼくらは規模が大きくなりにくい
仕事のしかたをしているかもしれない」
「でも、維持どころか、成長したい」
といった話をされていたんですね。
このあたりの「ほぼ日の成長」について、
いま、糸井さんはどんな思いがありますでしょうか。
糸井
そこはずっと思っていることですよね。
もともと僕や、初期のものすごく小さなほぼ日が
自分たちの力を発揮するためには、
あんまり欲張らないほうがよかったんです。
できること、大丈夫なことを精一杯やる。
それだけで自然成長ができていたので。
それは、ものすごく良くいえば
「謙虚」だったのかもしれないし、
性格的に「あまり風圧にさらされたくない」という
気持ちもあったのかもしれない。
でも、ぼくらは会社をよく船に例えますけど、
「小舟」って実は難しいんです。
グラグラするし、大きな波ひとつで転覆もする。
「おれたちは小舟だから大丈夫!」
という方法も、もちろんあります。
なにか起きたらすぐ岩につかまるようにするとか、
外海に出ずに湾のなかにいるようにするとか。
だけど、ほぼ日をやりながら、
会社についてのいろいろな考え方に触れたり、
よその会社や自分たちの活動を見たりするなかで、
「うーん。小舟とか中くらいの船って、
そのサイズならではの面白さはあるけれど、
『もうこれでいいや』と思ったら、
やることがなくなっちゃうな」と感じたんです。
ぼくはホラで「世界制覇だ!」とか言う人は
大の苦手なんですけど、
トレーニングを重ねて、
いろんなパフォーマンスをしているうちに、
もっと踊れるようになったり、
よりお客さんと関われるようになったりする
人の姿は大好きなんです。
こどもってまさしくそうやって大きくなるんですね。
「字を書け」と言われなくても書くし、
「走れ」と言われなくても走って、
できることがどんどん増えていく。
ぼくはそういうこどもたちの、見た目だけに限らず、
行動まで含めて全体的に育っていく姿に
ずっと昔から憧れがあるんです。
その意味で、ぼくらの「ほぼ日」も、
もしも自分たちが小さいままでいることに
美意識を感じているんだとしたら、
それは逆にダサいなと思ったんです。
大きくなるべきときには
「よいしょ!」って掛け声をかけて、
大きくなっていくチームでありたい。
そんな時期が今、来てるだろうなと。
あと、いまのほぼ日はもう
これだけのチームになっているわけですから、
ぼくの持つ小さな個性だけで
まとまってしまうのはダメだと思ってますから。
むしろ、ぼくが邪魔になるくらいのものが
育っていけばいいなという気持ちもあるんですね。
こんなことも、すでにぼく個人のエリアから
出ているから言えるんだと思うんですけど。

──
「育つ」ということだと、経営のチームのみなさんは、
これからのほぼ日について
「この分野をこんなふうに増やしていきたい」
みたいなイメージなどもあるのでしょうか?
あやや
ああ、そこについては、ほぼ日ってあんまり
「動画をこれだけ増やしましょう」とか、
そういう発想じゃないんですよね。
だから、そのときどきの、
糸井さんやはたらいてるみんな、
あるいは関わってくださっている方の
「こういうのがあったらいいよね」という感覚から、
新しいものが生まれていくというか。
糸井さんが昔から、ときどき、
「もしかしたら未来のぼくたちは、
いまとぜんぜん違うことをやって食べている
可能性だってあるかもしれない」
みたいなことをおっしゃったりするんです。
そのくらい自由な可能性のあるものとして
将来の自分たちのことを
捉えているというのはあると思います。

糸井
いまは
「最初に枠を決めて、そこから考える」
みたいな発想が一般的かもしれないんだけど、
目的を決めると、
その目的が限界を決めちゃうんですよね。
ほぼ日はそれだと、ちょっともったいないなと
思うところがあるんです。
だから「ほぼ日のやれることをどう広げていくか」
みたいなことについても、
設計図を書いてそのとおり進めていくというよりも、
そのときどきの自分たちの
「実際どうなの?」「どうなったら嬉しい?」
「こういうのがあったらいいのに」
といった感覚を頼りに進んでいくようなイメージというか。
これ、ちょっと難しく聞こえるかもしれないですけど、
みんなユーザーとしては自然にやっていることなんです。
たとえばTwitterだったら、使っている人は
仕様について「どうなじんでいて」
「どこが良くて」「どこが不便で」といった意見を
それぞれにみんな持ってますよね。
その「ユーザーが自分だ」というところが
すごくでかくて。
ぼくらはそこを、すごく大事に考えているわけです。
ほぼ日が作るコンテンツって、基本的にどれも
「自分たちがほしいもの」なんですね。
自分たちが「あったらいいな」と思ったり、
それがあることで嬉しかったりするもの。
そういうものを出しているから、
自信をもって「いいですよ」と言えたり、
みんなに心から「いいね!」と喜んでもらえたりする。
そういう発想をしているんです。
だからぼくらはこれまで、
いろんなコンテンツを作るときに
「このあたりのターゲットに向けて考えるぞ」
みたいに発想してきたことって、全然ないんですよ。
とにかく「自分たちがほしいと思える」というのが先。
もう少し言うと、そこには
「人がみんな好きなものって、大昔も今も
そんなに変わらないはずだよね」
という思いがあるわけです。
「室町時代の人も喜ぶかどうか」とか、
毎回いろんな言い方をしてるんですけど、
とにかく
「時代や場所を超えて、人間だったらみんな好き」
というものをやろうということ。
そういうことがほぼ日の活動のベースにあるんです。
自分たちの感覚をたよりに
「人は何を喜ぶか」を考えて、
「人はこれが好きだ」というものを出していく。
そのあたりは、きっと今後もそうだと思うんです。
──
なるほど、そうですね。
糸井
その意味では、
「送り手として優秀な人」というより、
「こういうのがあったらいいのにな」
というユーザーとしての感覚が、
ぼくらのクリエイティブの源泉だと思うんです。
だから会社全体としては、
みんながユーザーとしての感覚や目線を
のびのび育てる事ができて、
しかもそれが、お互いの関わりのなかで育っていく。
「そう思う!」「それいいと思うんだ。なんで?」
「これ良かったよ」「こうすると楽しいよ」とか、
共有や個性の刺激のしあい、教え合いとかから、
またさまざまなコンテンツが
生まれていくような環境にできたら、
すごくいいんじゃないかとは思っています。

(つづきます)

2023-02-28-TUE

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  • 写真|池ノ谷侑花(ゆかい)