「あの人、自由にやってるよなぁ」
「儲かりそうにないことを、たのしそうにやるんだな」
「熱意がたっぷりあるな」
そんなふうに仕事をしてみたいと思いませんか。
みんなからそう見えているような、3人が集まりました。
こんなに自由にやっている人たちなのに、
ときには他人に勧告‥‥いや説教を、することがあります。
なぜなら「あいつのなかに、俺がいる」から、なんです。
このおしゃべりは「生活のたのしみ展2023」の
トークイベントで収録しました。
「ほぼ日の學校」で動画バージョンを公開しています。
みうらじゅん
1958年、京都生まれ。イラストレーターなど。
武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。
以後、作家、ミュージシャンなど多方面で活躍。
1997年には「マイブーム」が
新語・流行語大賞のトップテンに選出。
「ゆるキャラ」の名づけ親でもある。
2018年、仏教伝道文化賞沼田奨励賞受賞。
著書に『マイ仏教』、
『「ない仕事」の作り方』
(2021年本屋大賞「超発掘本!」に選出)、
『マイ遺品セレクション』、
『ハリネズミのジレンマ』
『ラジオ ご歓談!(いとうせいこう氏との共著)』など。
佐久間宣行(さくま のぶゆき)
1975年、福島生まれ。TVプロデューサー。
早稲田大学卒業後、テレビ東京入社。
『ゴッドタン』『ピラメキーノ』
『ウレロ☆シリーズ』『あちこちオードリー』
『青春高校3年C組』
『SICKS~みんながみんな、何かの病気~』など、
数々のバラエティ番組を手がける。
2019年よりラジオ
「オールナイトニッポン0」(ニッポン放送)
パーソナリティ。
2021年にテレビ東京を退社、フリーに。
YouTubeチャンネル「NOBROCK TV」など
新たな分野に挑戦している。
- みうら
- そうやって僕は、糸井さんの、
いわば「すもう部屋」で
かわいがりを受けていたわけです(笑)。
ほんとうに、ずいぶんかわいがってもらいました。
周りもまた、それを知っていましたしね。
たとえばメジャー漫画誌で
描かせてもらうきっかけもね。
- 糸井
- うん、漫画雑誌ね。
- みうら
- 出版社から
「みうらさんに漫画を依頼したい」と、
お話をいただいたのですが、
「ただし、糸井さんに原作をお願いして」
と付け加えられるんですよ。
ぼくにとって、連載はうれしい話です。
でもそんなこと、
僕から糸井さんにお願いなんてできないでしょ?
- 佐久間
- そうですよね。
- みうら
- 結局、お願いする運びになったんですが、
そのとき糸井さんは
「原作はやだけど相談役なら」といって
引きうけてくださいました。
その漫画連載のタイトル
「見ぐるしいほど愛されたい」も
糸井さんが考えてくれました。
そうそう、そのころ
ヤングマガジンに掲載されていたのは、
大友克洋さんの「AKIRA」でしたよ。
- 一同
- (笑)
- 佐久間
- 大友克洋、みうらじゅん、
同時に載る、歴史的な雑誌発行。
- 糸井
- こっちはカラーだもんな。
- 佐久間
- 「AKIRA」はカラーじゃないんですか?
- みうら
- 「AKIRA」は数ページだけカラーで、
こっちは全ページカラーでしたからね(笑)。
あの‥‥‥申しますとじつは、
雑誌の「なかとじ」の真ん中の
読者プレゼントのカラーページが余ってて、
そこの4ページをもらった
漫画連載だったわけです。
つまり、ふつうの漫画ページでの
掲載じゃないんですよ。
グッズプレゼントとか、
写真が載っていたところです。
でも、糸井さんのおかげで連載をいただいて、
僕はすごくうれしかった。
だから毎週、その漫画の相談をしに、
糸井さんのすもう部屋に、
通い続けました。
- 糸井
- ええ、よく打ち合わせをしていました。
- 佐久間
- ぼくがみうらさんに気づいたときには、
すでにもう、いまの
「みうらじゅん」だったんですよ。
- 糸井
- うん、そうでしょうね。
- 佐久間
- みうらさんはいつ、現在の
「みうらじゅん」になったのでしょうか。
- みうら
- それがですね‥‥、
ある日、いつものように
糸井さんの事務所に行ったとき、
そこに集っていたみなさんといっしょに、
サウナに連れていってもらったことがあるんですよ。
そこのごはん食べるところでね、
突然糸井さんは僕に向かって、
「みうら、最近、文章がメインで、
絵、描いてないな」
と、おっしゃいました。
みんなが一様に陽気になっている場で、
「うん、それじゃダメになるな、お前」
と言われ、シーンとなったんですよ。
- 佐久間
- うわぁ。
- みうら
- 僕はその場を取り繕おうと
「そうですかねぇ」
なんていってごまかしたんですが、
帰り道、涙が出てきて。
- 佐久間
- 糸井さんに「ダメになる」と言われ、
みうらさんが泣いて帰った‥‥
すごいお話です。
- みうら
- たしかに僕はそのとき、
文章の依頼が多くなっていて、
そのほうが絵より楽だと思ってたんです。
あのサウナの日、僕は糸井さんに
破門されたのです。
入門も許されてないのに、
破門だけされました(笑)。
- 一同
- (笑)
- 佐久間
- 「もう来なくていい」と?
- みうら
- 僕は勝手に糸井さんの事務所に
行っていただけなので、
「もう来なくていい」ということですね。
- 佐久間
- このとき糸井さんは、
「関係を断ち切らないとダメだ」と
思われたのでしょうか。
- 糸井
- さきほどがら申し上げていますが、
みうらは、かわいいんですよ。
だからよけい「ダメだ」と思いました。
なぜなら、
自分もそういうタイプだったからです。
- 佐久間
- ああー、なるほど!!!
- 糸井
- 僕のようなタイプは、放っておくと
楽なほうに流れていってしまうんです。
みうらも同じです。
文字を書いたら、みうらは、
文藝春秋のような雑誌から
依頼を受けることになります。
みうらの文章は、おもしろいんです。
すると、絵の仕事は、どんどんなくなる。
文を書くと、つきあう編集者が
上の年代になっていくんですね。
でも、若いうちに頼まれる仕事って、
そういうものじゃないんですよ。
自分にあてはめて考えると、
そこであっというまに、
ダメになるとわかりました。
- 佐久間
- 楽な企画を選べるような人に、
若いうちから、なってしまうんですね。
- 糸井
- そういうことです。
でも、そこから月日が流れ、
みうらはついに漫画
「アイデン&ティティ」を完成させました。
ギャラ無料の雑誌「ガロ」に、
えらくリキが入った漫画を描きだしたな、と
連載当初から僕はうれしく見てました。
- みうら
- ある日、糸井さんから
電話がかかってきたんですよ。
まぁ、電話といってもそれは
「かわいがり」の一種なんですがね(笑)。
その前からよく
「岡本太郎だが」とか、
電話口で言うんですよ、糸井さん。
- 佐久間
- 急にですか?
- みうら
- そうです。でも、岡本太郎さんなら
「岡本太郎だが」って言わないでしょう(笑)。
- 佐久間
- ははは。
- みうら
- でも、僕としてもそこは
「あ、太郎さんですか!」
と返すわけです(笑)。
- 佐久間
- 糸井さんが岡本太郎さんのものまねで電話して、
それを否定しないで、
みうらさんは乗っかっていくんですね。
- みうら
- もちろん、乗っからないといけません(笑)。
で、そのときの電話はこんな感じでした。
「あのぅ、ぼく、『ガロ』に載ってる
『アイデン&ティティ』のファンなんですけどぉ」
と、若い読者のフリだったんです。
- 一同
- (笑)
- みうら
- こっちも「あ、そうなんだぁ、ありがとう」
なんて応じましたが、
その読者はそれからも
すごく褒めてくださって、それはもう、
涙が出るほどうれしかったです。
- 佐久間
- 糸井さん、
名乗って電話するのは、
恥ずかしかったんですか?
- 糸井
- いやいや、恥ずかしいとかはないです。
でも、普通の声じゃ、
しょうがないから(笑)。
(あす日曜日も、更新あります)
2023-10-21-SAT