こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
村山治江さんという、
御年91歳にはまったく見えない
素敵な女性と知り合いました。
はじめてお会いした日、
「次回は染色家の柚木沙弥郎先生を
紹介してさしあげましょう」
と、村山さんはおっしゃいました。
はたして後日、お目にかかった
96歳の柚木沙弥郎さんは、
新作を描き終えた次の日でした。
その絵「鳥獣戯画」は、
なんと12メートルもあったのです。

>柚木沙弥郎さんプロフィール

柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう)

1922年、東京に生まれる。染色家。
国画会会員。女子美術大学名誉教授。
1946年、大原美術館に勤務。
民藝にみせられ、柳宗悦の著作を読みはじめる。
1947年、芹澤銈介に師事。
以後、型染めの作品を発表し続けている。
布地への型染めのほか、染紙、壁紙、版画、
ポスター、絵本など、幅ひろいジャンルで活躍。
装幀、イラストレーションも手がける。
1958年、ブリュッセル万国博覧会で銅賞受賞。
主な絵本に『てんきよほう かぞえうた』
『トコとグーグーとキキ』『雉女房』『夜の絵』
など多数。
主な作品集に『柚木沙弥郎作品集』『夢見る手』
『柚木沙弥郎の染色』などがある。

>村山治江さんプロフィール

村山治江(むらやま・はるえ)

1928年、大阪船場に生まれる。
1984年、東京渋谷にギャラリー・トムを開設。
視覚障害者が
彫刻に触って鑑賞できる場所として設立された
私設の美術館である。

「村山亜土と治江の一人息子、(故)錬(れん)は
生来の視覚障害者として生まれ育ちました。
あるとき、錬が
「ぼくたち盲人もロダンをみる権利がある」
と言った言葉に突き動かされた二人が、
視覚障害者のための美術館を設立したというのが
ギャラリーTOMの誕生の経緯です。」
(ホームページより)

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第6回 すばらしい作家は、みんな人生が楽しいらしい。

──
まったく何も知らない自分が、
世界のアートの歴史のワンシーンを
垣間見せていただいてるようで、
なんだか、
非常に申しわけない気分になります。
村山
あら、どうして。
──
いや、聞く人が聞けば‥‥とか。
村山
そんなことないわよ。
でもね、わたしが作家だって思う人、
5人しかいないの。
──
5人。どなたですか。
村山
華道家の中川幸夫さんでしょ、
彫刻のズビネック・セカールでしょ、
ハンガリーのシモン・アンタイ、
で、さっきのシュールレアリストの
ロベルト・マッタでしょ。
──
ええ。
村山
それに、この先生。
──
柚木沙弥郎さんが、5人目。
村山
世界の美術史に名だたる人ばかりね。
最後に会ったのが、この先生。
共通してるのは、どの人もね、
楽しいらしいよ、なんだか、人生が。
──
わあ、そうですか‥‥。
やっぱり人生、楽しんでこそですか。
村山
その人の実際の人生を見てみたらね、
すごく苦しんだ人もいる。
牢屋にぶち込まれたりとかしてるし。
──
柚木さんも戦争を経験されてますし。
でも今は、楽しいですか。
柚木
楽しいね。
村山
ウキウキしてるんだもん、みんなね。
柚木
ぼくはね、人生が楽しいってことは、
結局、憧れを見つけることだと思う。
それも自分で見つけることだと思う。
村山
そうね。
柚木
ただ、ぼくは、これから
かたちを壊さなきゃならないから。
それはそれで、大変じゃないかな。
村山
壊れていきますよ、自然に。
柚木
そうかなあ。わかんないよ。
村山
壊れますよ、先生。自然に、きっと。
柚木
とめどなく、次々と、くるからねえ。
絶えるってことがないから。
──
柚木さんへのオファーが、ですよね。
展覧会の予定が、この先ずっと、
途切れずに入ってるってすごいです。
柚木
だから、こっちはもうブランクだよ。
何もないのよ、ぼくのなかには。
──
そう思われますか?
柚木
芹沢銈介が、いちど、
ぼくのことを褒めたことがあるんだ。
「きみは、空っぽだ」って。
村山
あぁ、いいことね。
──
いいこと。
柚木
空っぽの人間には入ってくるじゃん。

──
なるほど。
柚木
ぎゅうぎゅうになっている人にはさ、
もう、なんにも入らないよ。
──
柚木さんは、
ずーっとパリで展覧会を開きたいと、
思ってらしたんですか。
柚木
思ってた。
村山
でも、わたしが
「先生、パリで展覧会したいですか」
って聞いたときは、
したいとも、
したくないとも言わなかった気がする。
柚木
こちらが「本気でやりたいか」って、
聞いたんだよ。
だって、やるのは簡単にできないし。
ずいぶん念を押したね。
村山
だって、先生が本気でないと。
──
柚木さんは、やりたかった。
柚木
最後はパリでやりたいと思っていた。

──
やっぱり、憧れの地だから?
村山
ただ、先生の布の作品というのは、
6メートルも何メートルもあって、
そんなのかけられる画廊って、
なかなかそのへんにないんですよ。
だって、画廊というのは、
ふつうは絵を飾る場所なんだから。
美術館なら、まだしも。
──
ははあ、なるほど。
村山
だからね、探すのが大変でしたよ。
先生の作品を風呂敷に丸めて、
パリ中の画廊を担いでまわったら、
みんなが「泥棒」って言うの。
──
ドロ‥‥みんなというのは(笑)。
村山
画廊の人たち。
何かね、そんなのが入ってきたら、
恐ろしいらしいよ。
──
パリ中を担いでまわったのは、
村山さん、おいくつのときですか。
村山
75くらい。まだ勢いありましたよ。
──
まだまだ担いでまわりそうですが、
いや、いい意味で(笑)。
村山
だって、画廊の人に見せなきゃね。
画廊で風呂敷を解いて、
「これなんだけど、
あんたのところでやってくれるか」
って聞くんだけど、
だいたいが、風呂敷を解くまえに
「要らない」って言うの。
──
見もしないうちに。
村山
見せたいんだからって言ったって、
「いい、うちは絵だから、
そんなガラクタみたいなものをね、
担いでこられたってダメだよ」
って言うんです。
──
ご苦労があったんですね、だいぶ。
村山
見つけるためにはしょうがないね。
それは苦労でも何でもない。
でも2回、3回展覧会やるうちに、
ギメの館長に認められて。
──
ギメ‥‥ってパリの東洋美術館の。
村山
そうなってからはもう、
ポンピドゥー・センターからもね、
ルーブルからもね、
みーんな、この先生を見に来たの。
──
すごーい。
村山
ギメにお渡しした先生の作品は、
ナショナルトレジャー、
つまりフランスのコレクション、
国のお宝になってます。
──
そうなんですか。
ちなみにお渡ししたというのは、
どれくらいの量‥‥。
村山
ひとつの展覧会ができるくらい、
お渡ししています。
1枚や2枚あげたって、ダメね。
──
フランス人が先生の作品を見たとき、
どういう反応なんですか。
村山
すっごく、おろどいた。称賛した。
ようするに、
「木枠にはめこんだ絵じゃなく、
布というのはなんて自由だ」
とみんな言うし、
いろんな人が文章に書いています。
──
おおー。
村山
こう、フワーっと風に吹かれてね、
伸び伸びと‥‥そこがよかった。
だからわたし、
パネルに描かれた鳥獣戯画を見て、
そのことを、思い出したんです。
──
あ! ‥‥なるほど。
村山
枠に縛られず、自由に、
フワーッと広がっていくっていう、
先生は、そういう人なの。
風になびいて、それがいいんです。
──
パネルに詰め込むんじゃなく。
はー‥‥。

村山
今年の誕生日が、きっと楽しいわよね。
パリでやるの。ねえ、先生。
──
パリで、柚木さんのお誕生会を?
村山
いや、「誕生日展」やろうと思ってて。
──
誕生日の、展覧会。
村山
あちらのアーティストのみなさんにね、
「お祝いのケーキは要らないから、
みなさん、
ご自身の作品を1点ずつ持ってらして」
ってお願いしたの。
それをね、部屋が5つもあるんだけど、
そこへ並べて、ひとつの展覧会にする。
──
わあ、「柚木沙弥郎の誕生日展」!
いろんなアーティストの作品が集まる。
それは、おもしろそうです。
村山
ねえ、いいでしょう? 先生。
柚木
楽しみだね。
──
いつなんですか、そのお誕生日展って。
村山
9月26日から。
柚木
誕生日は、10月17日だけど。
村山
いくつになるの先生。
柚木
97歳。

(おわります)

2019-07-23-TUE

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  • 神奈川県立近代美術館葉山館で開催中
    柚木沙弥郎の「鳥獣戯画」

    96歳の柚木沙弥郎さんが描き上げた
    幅12メートル、
    高さ1メートルの大作「鳥獣戯画」。
    これが、展示されます。
    取材時、部分的には拝見しましたが、
    なにしろ「12メートル」です。
    いったい、どんな作品なんでしょう。
    美術館の壁にかけられた「全貌」を、
    ぜひ、見ていただきたいと思います。
    「鳥獣戯画」以外にも、
    美術館の収蔵品や絵本の原画など、
    柚木さんの多彩なお仕事を味わえる
    展覧会になっているようです。
    2019年9月8日(日)まで開催中。
    展覧会のガイドブックとして読める
    柚木沙弥郎の「鳥獣戯画」
    という本も出版。
    また、インタビュー中にも出てきた
    数百部の超限定本『夜の絵』も、
    筑摩書房から再刊行されるそうです。
    この書籍のTシャツを、ほぼ日で
    つくらせていただいたのですが‥‥
    とってもいいものに仕上がりました。
    販売するのは、ほぼ日と、
    神奈川県立近代美術館の葉山館だけ。
    よろしければ、ぜひ。