みなさま、おひさしぶりです。
2000年(まだ20世紀!)に始まった
「新宿二丁目のほがらかな人々。」。
連載の3シリーズ目「ゴージャスって何よ?」から
2015年の68シリーズ目「結婚って言われても。」まで、
ジョージさん、つねさん、ノリスケさんの3人で、
ほがらかなトークをお届けしてきました。
その後、ジョージさんとは「ほぼ日」で
いろんなお仕事をご一緒してきましたけれど、
最近はめっきり3人での登場がなく、
「どうしているかなぁ」なんて思ってくださったかたも
いらっしゃるかもしれません。
また、あのトークが聞きたいな、と、
「ほぼ日」も思っていたのですけれど、
残念なおしらせをしなければいけなくなりました。
2020年4月23日、木曜日の朝、
ジョージさんのパートナーであるつねさんが、
亡くなりました。
56歳でした。
そのときのこと、そしてつねさんのことを、
この場所でちゃんとおしらせしたいと、
ずっとそばにいたジョージさんが、
文章でお伝えすることになりました。

イラストレーションは、ジョージさん、つねさんと
とても親しかったイラストレーターの
おおたうにさんが担当してくださいました。

なお、「ほぼ日」には、これまでの、
アーカイブも、たーーーーっぷり、残っています。
ほがらかにおしゃべりする3人に、
いつでも、ここで会えますよ。

文=ジョージ
イラストレーション=おおたうに

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その1 その朝。

大切な人を失いました。
それもあっけないほど突然でした。
目を覚ましたらボクの隣で
彼はもう冷たくなっていたのです。

前日の夜。
早くすませた夕食のせいで、
夜の10時を過ぎた頃合いでお腹がすきました。
どちらからともなく、
夜食でも作ろうかということになり
「作りたいスパゲティーがあるから」と彼が作りました。

何をどう組み合わせればこういう味になるのかわからない、
ちょっと不思議なナポリタンで、でもおいしかった。
ボクならこう作るんだけどなぁ、って嫌味を言ったら、
じゃぁ、二度と料理は作らないからなんて、
ちょっとしたいつもの小さな口喧嘩をして、
たのしく食べて元気に笑って、
お風呂に入ってボクは寝ました。
宵っ張りの彼は
しばらくテレビを観てから寝るネ‥‥、
とリビングルームにそのまま残りました。

あれは何時ぐらいだったんだろう。
掛け布団がひっぱられるような感じがあって、
それに続いて寝息を聞きました。

翌朝。
目覚まし時計で目を覚まし、
何気なく伸ばした手にふれた彼の背中が
妙に冷たいのに、あれって思いました。
声をかけても反応はなく、
肩はこわばり寝息も立てず、
顔を見るも、血の気がうせて蒼白でした。

彼には持病がありました。
重度の糖尿病と腎不全。
定期的に通院をして、
大事にいたらぬように心がけていたのだけれど、
4月後半のその時期、
病院から来院は控えていただけないかと言われ、
薬だけは送ってもらって養生をしていました。
元気にしてはいたけれど、
時折、つらそうな表情を見せることもありました。

あぁ、これは‥‥、と救急車を呼びました。
10分足らずで到着した救命士が、
脈もなく死後硬直がはじまっていることを確認した上、
事件ですので警察の臨場になりますと言いました。

事件。
死因が特定されぬ以上、病死ではなく変死、
場合によっては殺人の可能性もある。
彼の死は、事件なのです。

緊張しました。
ボクたちの関係をどのように説明すればよいのか。
救急に電話をかけたときには、
同居人の男性の息がない‥‥、と伝えました。
警察に対してはその同居の実体を説明せねばと、
やはり緊張してしまいます。

まずボクの名前と年齢を訊かれ、
続いて彼の名前と年齢。
そして思ったとおり、
「お二人の関係は?」と質問が続きました。
どう答えようと迷っていたら
「ご友人ですか、それともパートナー?」
と訊く刑事さんの声の調子はやさしく、
自然に「パートナーです」とボクは答えました。
今はそう尋ねることになっているのか、
それともその刑事さんがたまたまそのように言ったのか、
どちらにしてもホッとしました。
ボクは60
彼は56
そんな男がふたり、
ひとつの家に住んでいることの理由を、
パートナーというひとことで
あれこれ言わずともすむありがたさを感じました。

最近の生活状況であるとか、仕事の話、
病気はあったのかどうなのか、
そして親族の連絡先と質問は続き、
彼の身分を証明するものはありますかと訊かれました。
財布の中に確か運転免許証があったはずと、
脱ぎ散らかしたズボンのポケットを探ると、
それはまだほのかにあったかなように感じました。

検分はひと段落し、
彼の体は袋の中に収められ家を出ていきました。
帰り際に検分を取り仕切った刑事さんが、
私たちもご親族に連絡しますが、
まずあなたら電話を一本入れてあげてくれません
と言い残して出ていきました。

お父さんを去年なくしたばかりの彼です。
彼のお母さんに連絡をしなくちゃなりません。
でも、ボクには面識がない。
ただ、何度か電話で話をしたことはあり、
そのたびに「息子のことをよろしくお願いします」
と頼まれていました。
けれどボクたちの本当の関係を、
おそらく知らないお母さんです。

緊張して電話をかけると、
彼のお母さんはいつものように
「うちの息子がお世話になって。元気ですか」
と元気な声で話しはじめました。

‥‥それが実は、
今朝、お亡くなりになりました。

それを聞いたお母さんのうろたえ方は、
叶うことなら今すぐ飛んでいって
抱き締めたくなるほどでした。
それでも声をふりしぼりながら、
「娘から、電話を、あらためて、かけさせますから」と。

彼にはお姉さんと妹さんがいます。
いい年をしてまだ結婚もしないで
東京でふらふらしている立場だから、
里帰りもあんまりしたくないんだよねと、
彼は実家を敬遠していたふしがありました。
なのにちょうど死ぬ2日前、
珍しく彼からそのふたりに電話をかけて、
とてもたのしそうに話をしていたのです。

なにか気持ちの変化があったのかなぁ‥‥、
なんて思って聞いていました、
そのお姉さんから、
ほどなく電話がかかってきました。

はじめましての挨拶に続いて、
お姉さんがボクに訊きます。

失礼を承知でお訊きします。
弟のパートナーさんでいらっしゃいますよね‥‥、
と。

そのとおりです、と答えると、
電話でも、家に帰ってきたときも、
弟があなたのことを話すときは本当にうれしそうで、
信頼しきっているように感じて、
母もわたしたち姉妹も
みんなでそうだろうなぁって
言っていたんですよ‥‥、と。

彼がうとましがっていた、
まだ結婚しないの? という問いは、
なぜ結婚しないんだ、という叱責ではなく、
みんなあなたのことを心配してるという気持ちで
何気なく言ってしまう、
挨拶のようなものだったのでしょう。

Facebookも拝見しています。
いつか弟と3人で食事ができたらいいななんて
思っていたのに残念です。

そう言われて、感極まりましたが、
まずは現状を伝えねばなりません。
今朝のこと。
そして救急車が来て、
警察の検分が終わり、
遺体は検死のために病院に運ばれていったこと。
ボクの目の前で起こったことの一部始終を丁寧に伝え、
ご遺族としてこのあと、
どう対処されるでしょうか、と訊きました。

彼はボクのパートナーです。
恋人であり、
仕事も手伝い合って、
叶う限りずっと一緒に人生を歩もうと誓った仲です。
けれど法律で認められた夫婦ではありません。
あくまで他人ですから、ボクは彼の遺族ではない。
遺体は検死のあと遺族のもとに戻され、
ボクは葬儀だって口を出す立場にはないのです。

ただ長距離の移動の自粛が要請されている時期でした。
どうしますか? と訊くボクに、
親族の代理としてすべておまかせすることは
できるでしょうか‥‥、とお姉さんが言いました。

あぁ、ありがたい。
そうさせてください、
もちろん、相談させていただきながら、
と快諾し、電話を切りました。

ボクは彼と一生一緒にいることを覚悟していました。
彼もおそらく同じ気持ちで、
ふたりの未来の話をすることもよくありました。
けれどそれは「ぼくらふたりだけ」の未来の話でした。

付き合っている、
一緒に生活している、
そして、一緒に生きている。
生きるということは、社会に対峙すること。
つまり、二人で生きるということは、
二人で社会に立ち向かうこと。
そして数ある社会の中で、
もっとも身近で、
もっとも小さく、
もっとも大切な社会は「家族」です。
ボクたちは、彼の家族との付き合いを
おろそかにしてしまっていたんだ‥‥、と後悔しました。

ボクの母は彼のことを知っています。
ボクの仕事を彼が手伝ってくれていたから、
母は彼の仕事ぶりをよく見ていました。
一緒に食事をしたこともあって、
そのたび、うちの息子をよろしくネ‥‥、と。
母は、ボクの子供の頃の話や
親子喧嘩のことをしゃべっては、
こんなわがままな子の面倒をみるのは大変でしょう、
なんて言っていました。
それを聞いていた彼のうれしそうな表情を、
今も忘れることができません。

ただボクには妹がいて、
彼女に彼を紹介したかというと
そうじゃありませんでした。
もしかしたら母が、
妹に彼の話をしたかもしれないけれど、
ボクには彼を妹に会わせることに
ちょっとしたためらいがありました。
照れくさかったと言ったほうがいいんだろうなぁ‥‥。

彼も、ボクを家族に会わせることはありませんでしたが、
もしそのためらいがなかったならば、
ボクたちの関係はもっと深くて
親密なものになっていたかもしれません。

彼が亡くなってから、
彼のお姉さんや妹さんと
SNSのチャットでやり取りをはじめました。
最初は葬儀に関する事務的なやり取り、
そして大切な人をなくした互いを
勇気づけあうような内容でした。

それが徐々に、
昔話にうつっていきました。
東京でボクと過ごした時間は、
姉妹ふたりは知らなかったことですし、
彼の子供の頃や、ボクと付き合う前の出来事は、
ボクの知らないこと。
ゆっくり、みんなの中で、
欠けてた彼の人生のパーツが揃っていきました。

あぁ‥‥。
「人生を共にする」ということは
こういうことからはじまったはずなのにと、
悔やんでも悔やみきれない気持ちになります。

いまだに気持ちが整理できません。
哀しい。
寂しい。
悔しい。
戸惑い。
不安に後悔。
そういうさまざまな気持ちがやってきては消えていき、
消えたはずなのに別の気持ちにおきかわっていく。
ボクは数日、表情をなくしていました。

(つづきます)

2020-06-12-FRI

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