みなさま、おひさしぶりです。
2000年(まだ20世紀!)に始まった
「新宿二丁目のほがらかな人々。」。
連載の3シリーズ目「ゴージャスって何よ?」から
2015年の68シリーズ目「結婚って言われても。」まで、
ジョージさん、つねさん、ノリスケさんの3人で、
ほがらかなトークをお届けしてきました。
その後、ジョージさんとは「ほぼ日」で
いろんなお仕事をご一緒してきましたけれど、
最近はめっきり3人での登場がなく、
「どうしているかなぁ」なんて思ってくださったかたも
いらっしゃるかもしれません。
また、あのトークが聞きたいな、と、
「ほぼ日」も思っていたのですけれど、
残念なおしらせをしなければいけなくなりました。
2020年4月23日、木曜日の朝、
ジョージさんのパートナーであるつねさんが、
亡くなりました。
56歳でした。
そのときのこと、そしてつねさんのことを、
この場所でちゃんとおしらせしたいと、
ずっとそばにいたジョージさんが、
文章でお伝えすることになりました。
イラストレーションは、ジョージさん、つねさんと
とても親しかったイラストレーターの
おおたうにさんが担当してくださいました。
なお、「ほぼ日」には、これまでの、
アーカイブも、たーーーーっぷり、残っています。
ほがらかにおしゃべりする3人に、
いつでも、ここで会えますよ。
文=ジョージ
イラストレーション=おおたうに
お姉さんとの電話を終えて、
そういえば起きてからまだ
何も食べていなかったことに気づきました。
なにか食べるものでも作ろうかと冷蔵庫を開けます。
そこには見慣れぬ食材がぎっしりとありました。
そう言えば昨日、
これからしばらく家にこもらなくちゃいけないから、
食材をまとめて買っといたよ‥‥、
って彼が言っていました。
その食材です。
整理整頓なんかしないで無造作に押し込まれていて、
未開封のジャムや希少糖が、
野菜と一緒に並んでいたりしました。
こういうだらしないところが嫌で、
随分喧嘩したなぁ、
って昔のことをぼんやり思いました。
もう25年を越える関係です。
四半世紀。
今年で60のボクの人生の半分近くです。
いろんなことがありました。
おっかなびっくりではじまった恋が、
燃え上がるような愛に変わって、
ボクは彼の、
彼はボクの好きなものを貪るように吸収し、
互いの気持ちはどんどん
切っても切れないものになりました。
おいしいものを食べ、
たのしいものを観、旅行にも行きました。
ボクがカミングアウトする勇気を得るに至ったのも、
彼がいつもかたわらにいてくれるという
安心があったからこそでした。
ふたりの間には、
最初から約束事がひとつありました。
それぞれ別々に部屋をもち、
けれどなるべくどちらかの部屋で一緒にいよう、
という約束です。
わがままな男ふたりの付き合いです。
居を同じくしても必ずプライバシーを求めたくなる。
一時の感情に流されて拙速に同居をはじめることで、
結果、関係を短命にしてしまった人たちを、
ボクも彼も数多く目の当たりにしてきたから、
心は同居していても、
生活は別居にしよう、と考えたのです。
付き合いはじめて5年くらいたったころ、
終の棲家にと思って買ったマンションに
彼の部屋を作りました。
これでいつでも一緒にいられるね、
これからずっとよろしくねって、
ふたりきりで小さなパーティーをしたけれど、
それでもボクは彼に、
一緒に住もう、とは言わなかったし、
彼も一緒に住みたいとは言いませんでした。
互いのプライバシーを尊重し合う、
大人の付き合いを守ったのです。
けれども、例外が2回だけありました。
1回目は10年ちょっと前。
ボクは会社の経営に失敗しました。
どう金策をしても調達できないほどの借入金があり、
裁判所の指導のもとに会社再生の道筋をつけよう、
と決心したのです。
当然、ボクはすべてを手放すことになりました。
会社も、個人的な蓄えも。
当然、2人の終の棲家と思っていた部屋もすべてです。
こういうことは、
すべて秘密裡に行われなくてはなりません。
だからずっと彼にも言えず、
いよいよ明日、裁判所に行くという前夜、
初めてボクは彼にその顛末を説明しました。
ボクはすべてをなくしてしまう‥‥、と。
すると彼がこう言ったのです。
ボクはどこにも行かないよ。
いなくなったりはしないから。
うれしかった。
うれしくてうれしくて、声を上げて泣きました。
彼がそっと差し出した手をずっと握って、
どのくらい泣いたでしょう。
それで気が済みました。
ボクには彼がいる。
どんなことがあったとしても、
人はすべてをなくしたりはしないんだ。
そう思ったら、
これから新しい人生がはじまるんだと、
気持ちがスッキリさえしたのです。
ボクが泣き止んだのをたしかめて、
彼はたちあがり台所に向かいました。
「腹が減っては戦はできぬ」って言いながら、
作った料理を「はい」と手渡しました。
大きなお椀でした。
そうめんを茹でて洗って、
出汁で煮込んで、
クタクタになったところに刻んだ青ネギをたっぷり。
片栗粉を混ぜた溶き卵を注いで、
チリチリさせた卵とじのにゅうめんでした。
おいしい湯気と、
手にずっしりとくる重さで、
気持ちがホッとしました。
あれは本当においしかったなぁ‥‥。
彼も隣でおなじにゅうめんをズルズルすすって、
おいしいねぇって顔を見合わせニッコリ笑いました。
お腹も気持ちもあったかになり、
その夜はぐっすり寝ました。
翌朝、目覚めたときには彼は起きていて、
トーストを焼いてくれ、
がんばってという言葉に背中を押され、
ボクは出かけました。
裁判所に書類を提出し、
会社のみんなに今後の会社の話をし、
家に帰ったら、まだ彼はボクの部屋にいました。
それから半年ほどだったか。
目を覚ますと彼がいて、
彼に見送られて部屋を出て、
仕事が終わって家に帰ると彼がいました。
ボクがいないときに、
自分の部屋に帰っていたこともあっただろうけれど、
彼はずっとボクといました。
もしそうしてくれなかったら、
ボクはもしかしたら消えてしまっていたかもしれません。
彼は「散らかす」ということに対して天才的な人でした。
ボクは一方、あるべきものがあるべき場所にないと
落ち着かない性格で、
だから、彼がボクの家に遊びに来て、
帰ったら最初にするのが
部屋の整理整頓でした。
それがまた、楽しかったのですよね。
脱ぎ散らかした部屋着や、
テーブルの下に転がるペン。
キッチンに行けば使ったままのフライパンが残っていたり、
なんでこんなにだらしないんだろう‥‥、
と、そう思いながらも、
ついさっきまでここに確かに彼がいたんだということを
しみじみ思い出させてくれるたのしい散らかり。
その彼がずっとボクの部屋にいる。
彼はほんのちょっとだけ散らかさないよう気遣って、
ボクはほんのちょっとだけ散らかっている分には、
その散らかりが気にならなくなってくる。
ふたりでひとつの空間を共有するって
こういうことを言うんだろうなぁ‥‥、と、
ボクは生まれてはじめて
「誰かと一緒に住む」ということを楽しみました。
ただふたりが住んでいた部屋は、
いつか競売にかけられることが決まっている部屋でした。
事業に失敗すると、
膨大な借金が返せないまま残ります。
経営者として債務保証をしているボクは、
自分の資産のすべてを使って、
返せるだけの借金を返さなくちゃいけない。
銀行預金は差し押さえです。
住んでいるマンションも自分で売却できるわけではなく、
一旦、裁判所が差し押さえ、
裁判所の管理下において入札がなされる。
結構時間がかかります。
ボクの場合、8ヶ月ほどだったでしょうか。
ありがたいことに細々と仕事をすることができたから、
ボクらふたりが贅沢をしなければ
食べることはできました。
それに競売が完了するまで
部屋に住むことは許されたので、
ボクらは8ヶ月間、その部屋に
居座ることができたのです。
不思議な感覚でした。
自分のものではなくなって、
まだ誰のものでもない部屋。
もしかして、ボクたちって
日本で一番贅沢な管理人かもしれないね‥‥、
なんて言いながら。
徐々にボクの新しい仕事も軌道にのりはじめ、
その部屋を明け渡す日がやってきました。
代わりに借りたのは小さな部屋でした。
それでも2人で過ごそうと思えば、
なんとか、できなくはない部屋で、
けれど彼は、
もう大丈夫だね、
ボクも近所に部屋を探すよ、
と、引っ越し先の近くに小さな部屋を借りました。
家で仕事をする人だったから、
仕事するときには誰もいないところのほうが
集中できるからだろうとボクも合点して、
また2人の別居生活がはじまりました。
ただやっぱり寂しかったなぁ‥‥。
もうボクにとってプライバシーより、
いつも隣に好きな人がいるということの方が
大切になっていたのですね。
ひとりになって、部屋はキレイになりました。
あるべきものはあるべきところに、
本棚に並べた本は高さ、
大きさをきちっと揃えて見目麗しく、
ボクの部屋は本来のボクの部屋の姿になりました。
なのになんだか寂しくて、
ほんのちょっとだけ散らかしてみたり。
そのちらかりが愛おしく、居心地よく感じたとき、
あぁ、ボクは本当に彼のことが好きなんだ‥‥、
って実感しました。
そして2度目の例外。
これが、今に至る時間です。
絵を描く仕事をしていた彼。
恋人のボクから見ても、いい絵を描く人でした。
けれど職人気質で、
納得できないと納得するまで修正しながら描き込んでいく。
遅筆で、だからたくさんの仕事をこなすような
やりかたじゃなかった。
それゆえ、思ったような収入はなかったのでしょう。
それに自分が描きたい絵を描かせてもらえないという
焦りのようなものもあったに違いない。
ときおりふさぎ込むようになりました。
それに生来、体の弱いところがあって、
糖尿病の発症により、
見ていてちょっと辛くなるような印象がありました。
何度も、
何度も、
ボクは一緒に住もうよと提案し、
半年ほど気長に言いつづけましたか‥‥、
3年ほど前に彼はボクの部屋にやってきました。
正確に言うと最初にやってきたのは彼ではなく、
膨大な数の段ボール箱でした。
物欲はなかったけれど、
かなり独特の収集癖をもっていた彼。
業者をたのまず友人たちに手伝ってもらって、
時間をかけてちょっとづつ引っ越しするねと、
段ボール箱が1個、そしてまた1個と送られてきました。
開けてみると、中に入っていたのは
アンティークの玩具や描きかけのデッサン、
映画のパンフレットや美術本、
いかにも古そうなコミックブックに
ビデオテープやDVD、
カセットテープにCDと、
そのどれらもがボクにとっては
見知らぬタイトルばかりでした。
よくもこれほどボクと違った趣味や嗜好で
ものを集めることができるものよと、感心しきりでした。
なんとかそれらを格納しなくちゃいけなくて、
クロゼットの扉2枚分の服をボクは整理しました。
仕事のためにスーツを着る機会が
ほとんどなくなってしまっていたから、
ワードローブを整理するのにいいきっかけだと、
バッサバッサと、おそらく国産セダン1台分ほどの
スーツを捨てました。
そこに彼から送られてきた段ボール箱に
ラベルをつけて、ひとつ、そしてまたひとつ、
積み上げ整理をしていきました。
ところが箱は続々と、
終わりを知らぬ勢いで送りつけられてきます。
そろそろクロゼットの空きのスペースが
一杯になりそうで心配になり、
「まだ終わらないの?」と訊いてみました。
もうちょっとある‥‥、というのが彼の答え。
それに加えて、クロゼットなんかにわざわざ入れなくても
どこかに積んでおいてくれればいいのに、と言うのです。
これはいけない。
彼のペースに巻き込まれたら、
ボクの家は物で溢れてめちゃくちゃになってしまうと、
急いでステンレス製のシェルフを買って、
どうにかこうにか荷物を収めた頃、
彼は身の回りのものをボストンバッグ2つに入れて、
うちにやって来ました。
そういえば、洋服らしい洋服は
段ボールには入っていなかった。
収集欲はあったけれど、
物欲、特に着るものに関しては無頓着でした。
ボクの部屋は、彼が引っ越してきてからは
どちらかというと彼の部屋のようで、
ボクは彼の居場所に同居する間借り人のようでした。
部屋は心地よく散らかって、
冷蔵庫の中にしても、
思いがけない場所に
ありそうもないものを発見する楽しさ。
ふたりでひとつの空間を共有するとは
なんと贅沢でしあわせなことなんだろうと、
心底思うようになりました。
そんなときに、彼が突然、いなくなりました。
(つづきます)
2020-06-13-SAT