あなたは「スケーパー」を知っているか。
いるのだ、そう呼ばれる者たちが。
ふつうの人々に混じって、
気づかれることなく、そこらへんに。
彼ら彼女らは「見えない」わけじゃない。
それなのに、
完全には見わけることが難しい。
その目的は? 生態は? 正体は?
なぞのスケーパーを追う
某新聞のO記者によるレポートが、
ときどきここにアップされていくだろう。

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2023年10月7日@埼玉県さいたま市 黒 幕

黒幕は、目【méだった。アーティスト荒神明香・ディレクター南川憲二・インストーラー増井宏文を中心とするアートチーム。近年では、巨大な「顔」を東京の空に出現させて世間を大いに騒がせた、あの3人組だ。5月のひみつ会議の写真には、マスク姿の荒神と南川が写り込んでいた。よりによって、目【mé】か‥‥。面倒なことになった。彼らは、私たちの「みる」という行為を、徹底的に撹乱し、疑念を抱かせ、白紙に戻す。スケーパーを追い詰められないのも無理はない。視覚を封じられたも同然だ。彼らが「創造主」なのだとしたら。
コンドルズの近藤氏は、去り際に極めて重要な情報を耳打ちして飛び立った。10月7日に開幕するさいたま国際芸術祭で、会場付近に大量のスケーパーが放たれるというのだ。それも、65日間の会期中、毎日。そこには、目【mé】のスケーパーと、近藤氏のスケーパーとが混在する。互いが互いを知らない状態で。会場内には、田口所長のスケーパー研究所も開設されるらしい。現代アートの旗手と身体表現の第一人者と世界で唯一の研究者とが、本気で化かし合い、全力で鬼ごっこをやらかすというのだ。虚と実とがないまぜになった、三つ巴の大立ち回り。おもしろいじゃないか‥‥。
こうして私は、いま、さいたま国際芸術祭の会場に立つ。チケットを2000円で入手、スケーパーの巣窟へと足を踏み入れる。あくまで芸術祭であるからして、まずは参加アーティストの作品を堪能しよう。ああ、アーニャ・ガラッチオの作品があるなあ。かの有名な、花のインスタレーション。時間の経過とともに作品自体が萎び、くずおれ、崩壊していくという作品だ。開幕初日だから当然、花々はみずみずしい。会期終了の日までに、この鮮やかな生命たちは、どんなふうに朽ち果てていくのだろう。

おっと、その間にも抜かりなく目を光らせなければならない。どこだ、どこにいる。それらしい人物は、たびたび見かける。むしろ、そこら中にいるといっても過言ではない。ただし、確証はない。虚と実のあわいに存在する彼らは「ここにいますよ」というサインを発するほど親切ではない。交通整理をしているふうのない交通整理のおじさん、完全なる和装でMacBookを開く若者、さっきからずっと鬼ごっこをしている女子高生‥‥スケーパーにも見えるし、同じくらい、ふつうの人にも見える。自分の視覚を信じることができない。無論「あなたはスケーパーですか?」と聞いたところで詮無きことだ。ジャーナリストとしては悪手とさえ言えるだろう。なぜならスケーパーは、そうであることを絶対に認めないよう訓練されているからだ。
ひとり、階段の前に仁王立ちしている男性がいて、私はスケーパーではないかと勘ぐっていた。そこで、素知らぬふりで付近を行ったり来たりしていると、ひとりの来場者が近づき、あろうことか「スケーパーさんですか?」と聞いたのである! 私はただちに耳をダンボにし、彼の答えに全神経を集中させた。いったい、どう応じるのか‥‥いまや顔より巨大なパラボラアンテナをそばだてる。彼は静かに「いいえ、私はスケーパーではありません」と答えた。

この回答から、何かを判断することは不可能だ。まず「私はスケーパーではありません」という物言いは、一見、自分がスケーパーであることを認めているようにも思える。スケーパーという言葉を知る者は、まだ、それほど多くはないからだ。しかし、当該の人物が「スケーパーの存在を知る非スケーパー」であったなら? その反応に、何ら不思議はない。他方、本当にスケーパーを知らなければ「え、スケーパーって何ですか?」と聞き返す可能性もある。しかし、その場合もスケーパーがそう答えるよう仕込まれていたとしたら? 確実なのは、スケーパーであれば、絶対に「はい、私はスケーパーです」と言わない、ということだけ。思考はぐるぐると堂々めぐりをし、掌からするすると抜けていく。気が変になってしまいそうになるのを辛うじて踏みとどまらせたのは、そこここで見かける「スケーパーの痕跡」だった。

階段の下で時を刻む壁掛け時計。

登るための梯子にかかる、「登らないで」の看板。

むくろのように放置された、けん玉。

はめ殺しの窓の外、手の届かない場所に置かれたコーヒー。

とくに気になったのがこちら、清掃員のおばさま2名。見かけたのはバックヤードらしきスペース。だが、ごらんのように扉を開け放っている。展示会場内から「丸見え」状態で話し込んでいるようすが、まるで「展示物」のようでもある。しかも、何やら込み入った話をしているような雰囲気。どこか、お悩み相談風なのである。情報量の多さに、よっぽど「あなたたち、スケーパーですよね!?」と質したい衝動に駆られたが、踏みとどまった。しかし、それから10分後‥‥。

会場の外、ぽつんと置かれたミキサー車のおもちゃ‥‥の背後に注目してほしい。さっきの2人だ! 引き続き、困りごとの打ち明け話みたいな空気を醸し出している。たしかに、職場の人間関係は複雑だ。どこにでもある日常のひとコマだろう。しかし同時に、スケーパーである可能性が極めて高いと感じた。記者生活20余年の勘が、そう告げていた。それでも、やはり。スケーパーだと断定する術はない。ただの休憩中である可能性が、どうしても捨てきれない。

ポートレイト・プロジェクト。この日はマーク・ペクメジアンの撮影した作品が展示されていた。ポートレイト・プロジェクト。この日はマーク・ペクメジアンの撮影した作品が展示されていた。

ここまでだ、と思った。さすがは目【méの放ったトリックスター。つかんだはずの尻尾も、次の瞬間、雲や霧のように消え去り後には何も残らない。言葉や概念では捉えきれないから、物理的な接触を試みたのだ。それも、徒労に終わった。まるで蜃気楼。すべてを諦めた私は、くたびれ果てた両の目を閉じ、活動限界を迎えた脳と身体を引きずるようにして会場に背を向ける。もう二度と、スケーパーを追うことはないだろう。しかし、その存在を知ってしまったいま、今度はこちらが、永遠にスケーパーの影に追われて生きていくような気もする。何たる皮肉、何たるパラドックス。ハハハ‥‥。自らの自虐的な嗤い声を遠くに聞きながら「戦線離脱」の一歩を踏み出した、そのとき。

もしもし。
もしもし。
背後から、誰かの呼ぶ声がする。
振り向くとそこには、新聞記者風の若い男。
何かを探るような顔をして。
私の目をじぃ‥‥と覗き込みながら、言う。
「あなたはスケーパーですか?」
私は、こう答えるよりほかにない。

「いいえ、私はスケーパーではありません」

某新聞 記者 O

(完)

2023-10-13-FRI

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  • illustration:Ryosuke Otomo