くるりの音楽を聴いて
自由とか旅とか宇宙とか広い空を
思い浮かべる人は、きっと多い。
でも、くるりという音楽の集団は、
さまざまに形を変えてきました。
岸田繁さんご本人も、
スリーピースからクラシックまで、
いろんな「楽団」から、
多様な音楽をとどけてくれました。
でも「真ん中にあるもの」は、
ずっと変わらないといいます。
くるりが、くるりでいることの証。
そのことについて、
全6回の連載にしてお届けします。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>岸田繁さんのプロフィール

岸田繁(きしだしげる)

1976年、京都府生まれ。作曲家。京都精華大学特任准教授。ロックバンド「くるり」のボーカリスト/ギタリストとして、98年シングル「東京」でメジャーデビュー。代表作は「ばらの花」「Remember me」など。ソロ名義では映画音楽のほか、管弦楽作品や電子音楽作品なども手掛ける。

前へ目次ページへ次へ

第6回 半径数メートルの円の中で。

岸田
たぶん、ゴッホみたいな人もあれですよね、
絵とか美術以外に、
宗教とか信仰からも影響を受けてますよね。
──
そうみたいですね。
いわゆる宗教画は、ほぼ描いていませんが。
最初は宣教師になりたかったけど挫折して。
岸田
強烈な信仰と抑圧‥‥と言ったらいいのか。
あの青の色、すごいなぁと思う。
──
そう、青と黄色が中心の「星月夜」って、
その前年くらいに描いて
掻き削ってしまった
「ゲッセマネのキリスト」という作品と、
ほとんど同じ色使いらしいですね。
岸田
そうなんですか。
──
宗教的な絵を描いたけど掻き削ってしまい、
同じ色使いで星の渦巻く月夜を描いた。
激しく憧れているのに理解されないという、
おっしゃるとおり、
まさに強烈な「信仰と抑圧」というものを、
内に抱えていたんだと思います。
岸田
それが表現の軸として、あるんでしょうね。
ブレない、確固たるものとして。
だからこそ、ちょっと気分悪くしながらも、
惹かれてしまうんやろなあと思う。
──
岸田さんの軸って、何ですか。
岸田
私の?
──
いや、スリーピースからオーケストラまで、
メンバーの人数も音楽の種類も、
さまざまなスタイルで
音楽をやってきた岸田さんの「軸」って。
ご自身では、どう思ってらっしゃいますか。
岸田
自分自身の音楽に関しては‥‥そうだなあ、
たとえば、自分自身が楽曲をつくる、
あるいは
何らかのインスピレーションを音楽にする、
そういうときっていうのは。
──
はい。
岸田
半分「表現者」、半分は「職人」として、
自分らがこんなふうに表現すれば、
もしかしたら、
誰かに何かの感情を抱かせたりとか、
誰かの気持ちを軽くさせるようなことが、
できるかもしれない。
実際、そうやってきた自負もあるんです。
──
はい。自分もそのひとりです。
岸田
だから、それをやるだけだということは、
あるのかなと思います。
おもしろくも何ともない答えですけど。
こんなね、新型コロナみたいなことでも、
自分自身の音楽と向き合うこと。
──
向き合うこと自体が、軸であると。
岸田
技術面で言えば「緊張と弛緩」というかな。
もしかしたらね、ぼくらの音楽、
ものすごくストイックに聞こえているかも、
しれないんですけどね。
──
ええ。
岸田
でも、なんか、どこかに
ギャグを忍ばせておけないかなあとか。
──
ギャグ! 
や、その気配はある気もします(笑)。
岸田
そういう気持ちは、常に持っているんです。
息を止めて走り抜けるみたいな緊張状態が、
しばらく続いたとしても、
どこかで、ファッとフヌケになったりとか。
──
はい、はい。
岸田
これまでも何度か話には出てきましたが、
トンネルの暗がりの向こう側に
青い空がバアーっと広がっていたりとか、
長い階段を上がっていった先に、
気持ちいい光景が広がっていたりとかね。
──
ええ。
岸田
ぼくらの音楽のそういった部分を、
リスナーのみなさんには、
愛してもらってるのかもしれないなとは
思ったりしてますから。
──
はい。そうだと思います、実際。
岸田
それと、これは音楽以外の部分ですけど。
──
ええ。
岸田
バンドの人としてもそうやし、
職業音楽家としてもそうやし、
ひとりの社会人としてもそうなんですが、
やっぱり、
自分は立派な人ではないと思っています。
──
え、そうなんですか?
岸田
だって、それはね、そうだと思うんです。
くるりというバンドからは、
これまでにも
実際に何人かメンバーが辞めてますしね。
──
それは‥‥事実としては、まあ。
岸田
メンバーの辞めないバンドを見てたらね、
そりゃあ、思いますよ。
なんかよくなかったのかな‥‥とかって。
──
いろんな事情があるんでしょうから。
岸田
あるいは、たくさんのお金を使ったのに、
ちゃんと回収できなかったりとか。
ふつうに考えて、そんな遠いとこ行って
レコーディングしなくてもとかね。
さすがに、それば無駄使いでしょ‥‥
みたいなことに、
たくさんの時間と労力をかけてたりとか。
──
そんな思いがあるんですか。
岸田
バンドの人らにも迷惑をかけてきたしね、
それは、スタッフにも同じ。
音楽をつくるということは、
他人と深く関わっていくということだし、
確固たる思いや覚悟を持って
自分の責任を果たしていかなきゃなって、
たまに考えんのやけど、
なんかね、あまりうまくできているとは、
自分では思えないんですよ。
──
岸田さんほど才能も実績もある人でも
そういうふうに思うんですかと、
自分なんかは、思っちゃいますけどね。
岸田
自分自身の評価は、そうなんですよ。
だから、そういう意味での
人間的な成長みたいなことというのが、
自分には必要やなって、
最近、すごく思うことではありますね。
──
人間的成長。それは、自分もだなあ。
岸田
だって、何ていうかな、
助けられていることのほうが多いんで。
ぼくは、バンドの人や、まわりの人に。
──
そうですか。
岸田
そうですね。
──
で、そうやって生まれた音楽を聞いて、
ぼくらは助られている‥‥という。
岸田
それはもう、ほんとにね、
ありがたいことなんですよね‥‥うん。
──
何度も言ってすみませんが、
新型コロナで家から出れなかった期間は、
くるり聴いてましたもん。
それと、サニーデイ・サービスの新譜と。
岸田
ああ、あれ、いいですよね。
『いいね!』ってやつ。うん、よかった。
──
昨年、聴いたアルバムの中でも、かなり。
曽我部(恵一)さんの、
あの「奮い立たせ方」は何なんだろうと。
岸田
うん、うん。
──
たぶんサニーデイ・サービスのことを
知らない人だと思うんですが、
新譜の4曲目の「春の風」について、
SNSか何かで
「すごい新人バンドの曲かと思ったら
オッサンだった」
みたいなことを書いてたのを見かけて。
岸田
ああ(笑)。
──
ご本人はどう思うかわからないけど、
すごい褒め言葉に思えました。
だって、本当に、そうなんですもん。
曽我部さんって、
ぼくらよりも年齢が上なわけですが、
あんなにも走り出したくなるロック、
ひさびさに聴いた感じがして。
岸田
曽我部さんって、ぼくら出たてのころに
かわいがってくれた先輩なんです。
ああいう、ヒリヒリしていながらも‥‥
火がくすぶってて、
燃えそうで、
燃えそうで、
もういまにも燃え出しそうなんやけども、
ギリギリのところでパッと消えて、
フワーと灰になって、
どっかへ飛んでいっちゃったみたいなね。
──
ああ、そんな感じですね。そうだ。
岸田
それでいて表現はどこまでも誠実ですし、
そこにセンスを感じますし、
なにより、
うれしそうに楽しそうにやられますよね。
──
楽しそうって、本当ですよね。
いちばん強いと思うんです、そういう人。
岸田さんの楽しさは、どこにありますか。
岸田
音楽をやってる楽しさ?
──
評価されたとか、お金がもうかったとか、
ライブが最高にうまくいったとか、
音楽をやっていると、
楽しいことやうれしいことって、
さまざまなレベルであると思うんですが。
岸田
褒められたりね、お金もうけたりね、
そりゃあ、もちろん、うれしいんですよ。
でも‥‥やっぱり、ぼくの場合は、
バンドの人たちだとか
スタッフとかと、
くるりの音楽について、
「やっぱり、これだよな~」とか言って、
盛り上がれるのが、いちばん楽しい。
──
半径何メートルくらいの円の内側にいる
仲間たちと、
自分たちの音楽のことを、やんや言うと。
岸田
そうですねえ。マニアックなこととかね、
ここのギターが最高だよな、とかね。
そうやってワイワイやってるときが、
いちばん、エネルギーが高まる気がする。
──
バンドっぽいですね、その光景。
そこに「くるり感」があるんでしょうね。
岸田
ああ、そうかも。そうかもしれないです。

写真:岸田哲平 写真:岸田哲平

(おわります)

2021-02-13-SAT

前へ目次ページへ次へ
  •  

     

     

     

     

     

     

    写真:田口純也