田原総一朗さんのTwitterで
ほぼ日の「ドコノコに大変助けられました」と
書いてくださっているのを見つけました。
ドコノコを‥‥田原さんが?!
驚いた私たちは、田原さんと、
犬のハンナちゃんに会いにいきました。

>田原総一朗さんのプロフィール

田原総一朗(たはら そういちろう)

1934年生まれ。
1960年に早稲田大学を卒業、岩波映画製作所に入社。
1964年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に
開局とともに入社。
1977年にフリーになり、
テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」
「サンデープロジェクト」で
テレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。
現在も「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)
「激論!クロスファイア」(BS朝日)の
司会をはじめ、テレビやラジオの出演を多く続ける。
おもな著書に、『日本の戦争』(小学館)
『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』(講談社)
『コミュニケーションは正直が9割』(クロスメディアパブリッシング)
『さらば総理 歴代宰相通信簿』(朝日新聞出版)など。

Twitter https://twitter.com/namatahara
YouTubeチャンネル https://onl.sc/Vr4zxwh
公式サイト https://www.taharasoichiro.com/

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第2回 犬のたのしみは。

──
ハンナちゃん、
自分で消防署に行ったんですか?
田原
自主的にね。
だから結局、自分で見つかったんです。

──
自分で見つかる、それはすごい。
田原
でも実際は、ぼくらにはそれが
なかなかわからなかったの。
ハンナが消防署に行ってから、
こっちに連絡が来るまで時間がかかったんです。
消防署にハンナが入ったのは夕方の6時。
保護されていると連絡が来たのは、
夜中の1時だった。
和田
ハンナがいなくなったことは、
警察にはすでに届けていたんです。
でも、生きものであろうがなんであろうが、
「遺失物」としての扱いになるようですから、
警察と消防署の連絡も、
業務としてはいちばんあとまわしに
なってしまうのかもしれません。
──
消防署に自ら行った犬が、
警察に届け出のあった「ハンナ」であると
判明するまでに
時間がかかってしまった、と。
18時から1時まで、
ハンナちゃんはよく我慢してましたね。

和田
保護してくださった隊員の方が、
犬がお好きだったようです。
ハンナが消防署に入っていったときも、
その方が迎えると、逃げなかったそうで。
──
人見知りのはずなのに、よかったですね。
ここなら、とわかったのかな。
田原
そうですね、とにかくラッキーですよ。
和田
消防署ではダンボールに毛布敷いて、
お水用意して、不安だろうからと
屋根もつくってくださっていました。
──
よかったね。
田原
ね、ハンナ。

和田
ふふふ。
田原
でもこっちはそうと知らないから、
あまり眠れなくてね。
──
そうですよね、タイムラグがあって。
和田
見つかったのは夜中だったので、
父への連絡はひかえていました。
父はいつも朝9時に起きるんです。
しかしその日は8時に電話がかかってきました。
開口一番「見つかったかー?」と言うので、
「見つかったよ!」と伝えました。
田原
もう、ホッとしましたよ。
ともかく大騒ぎでしたから。
和田
それはだって、もう、大騒ぎですよ。
オロオロするばかりでしたから、
ドコノコのみなさんが
集まってくださったときには
ほんとうに心強く思いました。
夕方の6時くらいから、
消防署から連絡のあった1時まで、
ずっと探してくださった。
みなさんはてきぱきと、
たまたま道を歩いていた警察の方に
「犬がいなくなったんです、こういう犬で」
と伝えてくださったりして。
田原
そんなふうに
多くの人が協力してくれるような、
すごいシステムがあるもんだなぁと思ってね。
──
いま、SNSが発達していますので、
ペットがいなくなったり、
困ったことがあったら、
知らない人同士が助け合うという動きが
どんどん生まれる時代になりましたね。
田原
ほんとうにいい勉強になったですよ。

──
ドコノコは、どういうきっかけで
知ってくださったのでしょうか。
和田
「犬マイスター」と呼んでいる、
ゴールデンレトリーバーを飼っている
友人がいるんです。
その方が、ハンナが我が家に来たときに
「ドコノコ、たのしいからやったらいいよ」
とすすめてくれました。
その人にも今回の顛末を話したら、
「ドコノコの人たちに悪い人いないから。
よかったね」
って。
──
ああ、うれしいです。
ハンナちゃんは自分の力で
消防署に行ったけれども、
そこまでの過程で
ドコノコのみなさんが助けてくださって。
田原
そうそう、それがなきゃ、
気持ちがね、たいへんでしたよ。
──
田原さんとハンナちゃんは、
どのくらいの頻度で会われているんですか?
田原
娘がほとんどすべての仕事に同行するので、
犬とは毎日会っています。

──
そうなんですか、田原さんに
あまり愛犬家のイメージをもっていなかったです。
和田
私もそうですが、
父も小さい頃から、
つねに犬のいる生活をしていたんですよ。
──
小さい頃から。
田原
子ども時代もそうですが、
自分が結婚してからも、
娘たちの母親が、犬が好きでね。
いつも犬が家にいました。
和田
父はご存知のとおり
仕事ばかりしていましたので、
私たちに対しては、
教育もなにもなかったんですよ。
でも、犬のごはんをあげるのを
ちょっとサボって、
時間がすぎちゃったりすると、
すごく叱られたんです。
田原
あ、それはそうです。
和田
「犬は、それがたのしみで
生きてるんだから!」
と、ほんっとうに、叱られました。
それがもう、
唯一の教育だったかも。
──
唯一の。
田原
(笑)

(明日につづきます。やっぱり野坂昭如さんのケンカの話になりました‥‥)

2023-06-28-WED

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