三浦雄一郎さんの、関野吉晴さんの、
星野道夫さんの傍らには、
「もうひとりの冒険者」がいた。
映像カメラマンとして、
名だたる冒険家や探検家たちと
行動を共にしてきた前田泰治郎さん。
他の誰かを撮るという仕事柄、
極地での前田さんご自身の写真は、
ほとんど残っていないそうです。
でも、お話をうかがってみたら、
前田さんの人生こそが、
ダイナミックな冒険者のそれでした。
冒頭の南極の話からびっくりします。
全7回、担当は「ほぼ日」奥野です。
前田泰治郎(まえだ・たいじろう)
1946年(昭和21年)8月15日生まれ、
令和2年で74歳。
1968年、駒沢大学経済学部卒業。
1970年より映像制作会社にて撮影に従事。
1980年、フリーランスカメラマンとして独立。
1981年より14年間、
NHK制作技術局撮影部山岳撮影研修の講師を務める。
1987年、撮影を主とする株式会社タイムを設立し
各局の番組を250本あまり撮影する。
2015年から、はドローンによる撮影を手掛け、
2018年からは6K映像も手掛ける。
- ──
- これまでおうかがいしてきたように、
前田さんは、
いろんな方の冒険や探検に同行して、
旅してらっしゃいますけど。
- 前田
- ええ。
- ──
- やっぱり、おもしろいですか。
- 前田
- いやあ、おもしろいですねえ。
- 三浦さんや関野さん、
星野さんみたいな人たちと一緒に
世界を回れたことは、
本当に、ぼく、しあわせだと思う。
- ──
- そうですか。そうですよね。
- 前田
- そういったみなさんのおかげで
現在のぼくがあるんだし、
反対に、ぼくの記録したものが、
少しは彼らの力に
なったんじゃないかと思ったら、
これほどうれしいことはないし。
- ──
- エベレストのてっぺんとか、
ギアナ高地とか、
極寒のアラスカとか、
どうして人は、
そんな場所へ行くと思いますか。
- 前田
- うーん‥‥じつはね、
いまだに、こんな歳になっても、
フラフラ~っと、
どこかへ行きたくなる気持ちが、
湧いてくるんです(笑)。 - この気持ちって何なんだろうと
思うんだけど、
自分でもわからないんですよね。
- ──
- 理由みたいなものが、何なのか。
わからないけど、行きたくなる。
- 前田
- そう。
- ──
- 誰かの同行とかはなく、
ご自身でも旅されてたんですか。
- 前田
- 海と山と両方、行ってましたね。
- ただ、歳を重ねてきたら、
山は、きつくなってはきました。
往復8時間だったものが、
10時間になって、
12時間になって、
もうちょっと無理だなと思ったら、
下から眺めてお終いにしようとか。
- ──
- 海は、どういった感じで?
- 前田
- 若いころヨットに乗ってたんです。
- で、あるときに、
昔、チャーチル首相が乗っていた
93フィートの古い名艇を、
イギリスから日本へ回航するとき、
記録を取っとく係で、雇われて。
- ──
- 航海の撮影担当として?
- 前田
- ええ、1年ヨットに乗ってました。
- ──
- 1年も!?
- 前田
- イギリスのサウサンプトンの港を出て、
ドレーク海を南下して、
パナマ運河を渡って、太平洋に入って、
それから、
トンガとかイースター島とか、
そのあたりを回って、ギルバート諸島、
最後は小笠原に寄港して、横須賀まで。
- ──
- は‥‥その旅を、1年もかけて。
- 前田
- 11か月ちょっとくらいですか。
正確には、
まるまる12ヶ月じゃなくて。
- ──
- すごい旅をなさってたんですね。
もともと。
- 前田
- いやぁ、おもしろかったですよ。
- それこそジャーニーでした。
だから、ぼくもみんなと一緒で、
あんまり
人のこと言えないなと思ってる。
- ──
- 具体的には、何歳のころですか。
- 前田
- 学校出てすぐ、26から27歳。
- サザンクロスラリーで、
オーストラリアへ通ってたあと。
もう、47年も前のこと(笑)。
- ──
- というと‥‥1973年ですか。
- 堀江謙一さんが
ヨットで太平洋横断したのって、
1962年でしたけど。
- 前田
- そうですね、だから
当時は堀江さんが超有名人でね。 - ほんのちいさなヨットで
神戸を無断出港したんですよね。
24フィートだから、
ぼくらのヨットの3分の1です。
- ──
- そうか、大きさが違うんですね。
- じゃ、前田さんたちは、
その名艇へ何人かで乗り込んで。
- 前田
- キャプテン、エンジニア、航海士、
4人のイギリス人と、
ぼくを含めて
日本人のクルーが4人でしたね。
- ──
- イギリスからだとずいぶん‥‥
大西洋を越えて、太平洋も越えて。
- 前田
- そうですね。
- ──
- 各地で、フィルムを補給しながら。
- 前田
- そう、寄港するたびに、
そこから撮影の済んだフィルムを
日本へ送ったりしながら。 - それを使って、フジテレビが
30分番組を56週やったんです。
- ──
- すごい。当時のフィルムって‥‥。
- 前田
- どこへいっちゃったんだろうなあ。
もうぜんぜん、手元にないです。
- ──
- はあ‥‥。
- 前田
- 当時のぼくは、あんまり
何かをとっておこうという意識が、
なかったのかもしれない。
- ──
- でも、やっぱり前田さんご自身も、
若いころに、
そんなに大きな冒険をされていた。
- 前田
- いやいや(笑)、
ぜんぜん大したもんじゃないです。 - 自分としては、
ただの遊びだと思ってましたしね。
- ──
- 遊び。
- 前田
- ヨットに乗って仕事になるんなら、
それも1年も‥‥みたいな
単純な気持ちで、
「ハイ、ぼく行きます!」
って手を挙げたのが、運のツキで。
- ──
- 当然、大変なこともありますよね。
1年も海の上で暮らすのって。
- 前田
- 船の座礁も経験しましたしね。
- ──
- わあ。
- 前田
- そう、潮を読み間違って、
出港時間がズレちゃったんですよ。 - そしたら、ものの見事に座礁して、
たちまち非常事態宣言、
キャプテンが
「All hands on deck!」‥‥と。
- ──
- いまのは‥‥。
- 前田
- つまり「手伝え」という意味です。
- 船で「All hands on deck」って
号令がかかったときは、
総員、何があっても
駆けつけなければならないんです。
- ──
- なるほど。みんなで手伝え、と。
- 前田
- ただ、ぼくは特別に許されていて、
「お前は自分のことをやれ」と。
- ──
- つまり「撮れ」と。
- 前田
- そうです、そのようすを撮れ、と。
- でも、そんなの撮れないんです。
機材が水浸しになる寸前なんです。
- ──
- おおお。
- 前田
- だから、何とか浸水から守ろうと、
機材を担いで、
陸までの200メートルくらいを、
海の中を3回、往復して。 - 沈没こそしなかったですけど‥‥、
ああ、沈没もしたなあ。
- ──
- えええ。
- 前田
- 沈没したことある、パタゴニアで。
2020-10-21-WED
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