• 写真家の藤井保さんと瀧本幹也さんは、
    2019年6月から、
    写真による往復書簡を続けてきました。
    途中、コロナ禍や
    藤井さんの地方移住なども挟みながら、
    師弟の間柄でもあるふたりは、
    そこでのやりとりをふまえて、
    ひとつの展覧会を、つくりあげました。
    いま、恵比寿のギャラリーで開催中の
    『藤井保 瀧本幹也 往復書簡 その先へ』
    が、それです。
    2年半にわたる往復書簡では、
    途中意見を異にする出来事もあったり。
    でも、師と弟子が、
    ここまで真正面から向き合えることに、
    感動しました。
    担当は「ほぼ日」奥野です。どうぞ。

>藤井保さんのプロフィール

藤井保(ふじいたもつ)

1949 年、島根県大田市生まれ。写真家。大阪宣伝研究所を経て、76 年に藤井保写真事務所を設立。主な展覧会に「南方熊楠」(田辺、和歌山/1990)、「月下海地空」(semina rerum チューリッヒ/1998)、「藤井保展・旅する写真」(銀座リクルートギャラリーG8& ガーディアンガーデン/2003)、「カムイミンタラ/ 神々の遊ぶ庭」(MA2 Gallery /2006)、「THE OUTLINE – 見えていないデザイン – 深澤直人、藤井保」(21_21 デザインサイト/2009)、「BIRD SONG」(MA2Gallery /2009)、「Naoto Fukasawa × Tamotsu Fujii “Medium”」(シュシュインスティトゥート、台湾/2013)、「TWO FOGGY ISLAND 」(MA2 Gallery/2015)。写真集に「ESUMI」(リトルモア)「ニライカナイ」(リトルモア)、「A KA RI」(リトルモア)、「カムイミンタラ」(リトルモア)、深澤直人氏との共著「THE OUT LINE 見えていないデザイン」(ハースト婦人画報社)など多数。2021年に東京から、石見銀山のある島根県大田市大森町へ拠点を移す。

>瀧本幹也さんのプロフィール

瀧本幹也(たきもとみきや)

1974年、愛知県名古屋市生まれ。写真家。94 年より藤井保に師事、98 年に瀧本幹也写真事務所を設立。独立後も、06 年より銀塩写真の表現を繋げていくGELATIN SILVER SESSION の活動をともにする。代表作に『BAUHAUS DESSAU ∴ MIKIYA TAKIMOTO』(2005) 、『SIGHTSEEING』(2007)、『LOUIS VUITTON FOREST』(2011)、『LAND SPACE』(2013)、『GRAIN OF LIGHT』(2014)、『海街diary』(2015)、『Le Corbusier』(2017)、『CROSSOVER』(2018)など。近年の個展では、『CHAOS』(Galerie Clémentine de la Féronnière パリ 2018)、『CROSSOVER』(LAFORET MUSEUM 東京 2018)、『CHAOS 2020』(妙満寺 京都 2020)、また『建築 x 写真 ここのみに在る光』(東京都写真美術館 2018)、『隈研吾展』(東京国立近代美術館 2021)に参加。映画撮影も手がけ、是枝裕和監督『そして父になる』(2013)で、カンヌ国際映画祭コンペ部門審査員賞、『海街diary』(2015)で日本アカデミー最優秀撮影賞を、『三度目の殺人』(2017)ではヴェネツィア国際映画祭コンペ部門などを受賞。

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第1回 師と弟子の、写真の往復書簡。

──
まず、往復書簡って、
こんなにおもしろかったんだと思いました。
やりとりが「メール」だったということも
影響しているかと思うんですが、
何かのミーティングの日の前の晩とかに、
藤井さんが
「いろいろ考えて明日の会議には出ません」
と送ってらしたり(笑)。
瀧本
きたーと思いました(笑)。
──
数時間の間隔でやりとりしていたと思えば、
途中で、何ヶ月も間が空いたり。
瀧本
それも、いろいろ事情があって。
──
メールならではの急な展開もあったりして、
読んでいて、おもしろかったです。
まだコロナの兆しもなかったような時期に、
スタートしているんですよね。
瀧本
そうですね、2019年の6月からなので。
──
毎回、必ず写真が添えられるという形式の
師弟の往復書簡ですが、
今回の藤井さんと瀧本さんの二人展を
開催している
恵比寿MA2ギャラリーの松原昌美さんが、
企画してもちかけた‥‥と。
瀧本
当初は展覧会をつくっていく過程を
インスタグラムでアップしていくみたいな
方向性もあったんですが、
新型コロナウイルスの問題が出てきて、
開催が1年延期になったりしたので、
文章の量も増えて‥‥
結果、書籍化しようという話になりました。
藤井
途中で、半年ほどの空白があるのは、
ぼくの責任なんです。
コロナのことがはじまってから、
写真の仕事の量が激減していったんですが、
そのことによる
メンタリティも影響したんだとは思うけど、
腰が‥‥腰痛がひどくなってしまって。

──
そうなんですか。
藤井
それまでのように、
旅へ出てロケをする仕事は難しいだろうなと。
それで、東京の事務所を引き払って、
故郷の島根に移住しようと考えはじめました。
つまり、その間、
往復書簡も半年間の空白期間になったんです。
写真に対する思いという以前に、
まずフィジカル面の問題が大きかったんです。
──
なるほど。
藤井
でも、そのとき瀧本が、
病院の紹介から、
事務所の維持をどうするかみたいなことまで、
提案したりしてくれて。
──
おお。往復書簡は、ひとまずお休みしつつ。
藤井
裏の往復書簡で、やりとりしてたんですけど。
──
ああ、裏!(笑)
瀧本
もともとの往復書簡には、
松原さんやギャラリーのアシスタントの方が
CCで入っていたんですが
「裏」では、
もう2人だけのやりとりになってました。
そのなかで、藤井さんから
「引退を考えている」と告白されまして。
──
なんと。
瀧本
で、「ええっー?」と思いまして(笑)。
でも、いずれはコロナも落ち着くはずで、
そのときがくれば、
また体調も気持ちも変わるかもしれない。
だから、ここで引退してしまうより、
島根に引っ越すにしても
「移転で、いいんじゃないでしょうか?」
という提案をさせていただきました。
──
師への思いですね。すばらしい。
瀧本
写真をやりたいときにやれる環境は、
絶対に、
残しておいたほうがいいと思ったんです。
藤井
腰、ひどいときは本当にひどかったから、
こんな状態では、
仕事を受けるのは無責任だと思いました。
カメラマンにとっての「腰痛」って、
ほとんど職業病みたいなものなんですが、
あれほどひどい状態は、はじめてだった。
でも、どれくらいだろう、
半年くらいでだんだん治ってきたんです。
──
あ、そうですか! よかったー。
藤井
で、いまは、完全に治っているんですよ。
そうするとね、
「え? 俺、引退なんて言ってたっけ?」
みたいな‥‥コロッと(笑)。
瀧本
絶対そうなるだろうなと思ってました。
──
ふふふ(笑)。
瀧本
だって藤井さん、ひどいときは、
東京の事務所をたたむって言ってたので、
フィルムで撮ってきた写真家だし、
暗室がなくなっちゃったら、
そのあと大変になるだろうと思いました。
そこで、杉田知洋江と片村文人という
一緒に「五大陸」も撮ってくれた
ぼくの弟子ふたりに、
藤井さんの事務所を引き継いでもらって。
──
藤井さんも、いつでも使えるように。
瀧本
暗室も、そのままの状態にしておこうと。
だから、いつでも戻って来れるっていう、
そういう作戦を練ったんです(笑)。
──
その思いに、グッときますね‥‥。
藤井
今回の二人展の作品も、
先週かな、その暗室でプリントしました。
ぼくは、もう二度と
暗室に入ることはないと思っていたけど、
作業をしながら、
俺、
まんまと瀧本に誘導されてるなあ‥‥と。
──
かつての、お弟子さんに(笑)。
瀧本
裏の往復書簡では、
「もう二度とあそこの暗室は使いません」
とか、
「わたしの人生に関わらないでください」
とか‥‥(笑)。
藤井
そんなこと言ったっけ?(笑)
──
ふふふ(笑)。
でも、逆に言うと、たった半年間で
島根県へ移転を決めちゃったというのは、
すごい実行力だとも思ったんですが。
藤井
そうですね‥‥ま、アスリートにしても
いずれ引退の日は来るし、
ぼくも、それがいつだろうとは思ってた。
コロナと腰痛が決心させたんでしょうね。
東京って、仕事する場ではあったけど、
生活する場としては、
けっこうきつかったのかもしれない。
実際、瀧本もそうだけど、
年の3分の1は東京にいない生活だから。

──
ああ、そうか。そうですよね。
瀧本
それも「僻地」というのかな、
大自然のなかに1年の半分くらいはいたので。
ぼくも藤井さんも、それで、
心身のバランスを取っていたんだと思います。
藤井
ずっとそういう生活をしてきたので、
急に移動できない‥‥ということになると、
やっぱりストレスは感じました。
もちろん写真家だけじゃないですけどね、
コロナの事情については。
──
とにかく、そういう時期が挟まった、と。
あの、おふたりの往復書簡には。
藤井
だからコロナにしろ、ぼくの移転にしろ、
オリンピックの延期と開催にしろ、
まるで見えない演出家がいるようだった。
最初は純粋な写真の往復書簡のつもりで、
ぼくも瀧本もはじめているから、
言葉の分量は、わりと少なかったんです。
──
ええ、そうですよね。はじめのうちは。
藤井
それが、だんだん、だんだん‥‥
おたがいが「どう、考えているのか」を、
言葉にする必要が出てきたんです。
コロナに対してどう思うか、
オリンピックに対してどう思うか‥‥と、
問われていったんですね。
それで回を追うごとに文章が多くなって。
──
まずは、写真がメインという雰囲気から
はじまっているけれども‥‥。
藤井
最初、往復書簡という提案があったとき、
何だろう‥‥
瀧本とおたがい褒めあって終わる、
みたいなものになったら嫌だなと思った。
だから「写真の往復書簡」なら、
ぼくは、おもしろいかもと思えたんです。
言葉よりも写真で語る‥‥
ということを、やるつもりだったんです。
瀧本
書籍化が決まったのもあとからだったし。
文章が増えたから、本にできると。
──
ああ、そうなんですね。それで‥‥。
いや、最初から本にすると決まってたり、
発表することを前提にしていたりすると、
フォーマットというか、
文字の分量もだいたい揃えたり、
書かれる内容も、
第三者を意識したものになりそうですが。
瀧本
ええ。
──
おふたりの往復書簡は、自由そのもので、
まったく型にはまっていなくて。
いい意味での「編集者の不在」が、
読んでいて、かなりスリリングでしたね。
瀧本
ああ、そうですか(笑)。
──
それと必ず写真が添えられているという、
そこを決めごとにしていたのも、
読者としては、すごくよかったんです。
おふたりの意見が違うところがあっても、
最後に、
必ず写真が添付されていることによって、
その一点で、
わかりあえているのがわかる、というか。
藤井
ああ、なるほど。
──
読んでいる側の気持ちとしては、
やっぱり、仲良くしてほしいので(笑)。
瀧本
そうですよね(笑)。
とくに、オリンピックの開催についての
意見の違いがあったときも、
必ず写真は添付するようにしていたから。
──
ふたりの考えが、どんなに違っていても、
最後に添えられた写真で、
なんとなく、安心したりもしていました。
瀧本
うん。やってるほうも、そうでした。
──
とにかく、
あんまり読んだことのない往復書簡で、
おもしろかった‥‥
読めてよかったなあって思います。
藤井
それはうれしい。ありがとうございます。

(つづきます)

撮影:石井文仁

2021-11-08-MON

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  • 師と弟子の展覧会、開催中です。
    同名の書籍も同時刊行。

    今回のインタビューは、
    藤井保さんと瀧本幹也さんによる二人展、
    『藤井保 瀧本幹也 往復書簡 その先へ』
    の会場で収録しました。
    (渋谷区恵比寿の「MA2 Gallery」です)
    往復書簡に出てくる写真や文章をはじめ、
    2年以上にわたり
    師と弟子が続けてきたやりとりをもとに、
    内容が構成されています。
    藤井さんと瀧本さんそれぞれの作品を
    ひとつのフレームに収めた展示や、
    貴重なポラロイドも見ることができます。
    ふたりがつくりあげてきた
    29年の関係性を感じられる展覧会です。
    休日や開廊時間など、
    詳しいことは、公式サイトでご確認を。
    曜日によってはアポイント制になるので、
    お気をつけください。
    また、ふたりの「往復書簡」そのものも、
    グラフィック社から書籍として同時刊行。
    タイトルは、同じく
    『藤井保 瀧本幹也 往復書簡 その先へ』
    です。こちらも、おもしろいです!

    特集 写真家が向き合っているもの。

    001 浅田政志/家族

    002 兼子裕代/歌う人

    003 山内悠/見えない世界

    004 竹沢うるま/COVID-19

    005 大森克己/ピント

    006 田附勝+石内都/時間

    007 森山大道/荒野

    008  藤井保+瀧本幹也/師と弟子。

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