日々のできごとを記してみたり、
これからのことに思いをめぐらせてみたり。
手帳をひらくだけで、
じぶんとじっくり向き合う時間がうまれます。
そこに、おいしいお菓子と心地いい空間があれば、
さらに「いうことなし」だと思いませんか?
気まぐれに更新する「東京甘味手帳」は、
手帳タイムを過ごすのにぴったりな
東京のおいしいもの&お店案内です。

写真:川原崎 宣喜

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page_22 夜想曲を聴きながらのアンプレス

 
ここ数日のうちに朝晩が急に涼しくなって、
今日はほんの少しだけ
どこかが寂しいような、せつないような気分。
こういうときは、
なんとも言い表せない心の中のいろいろを、
相棒の手帳に聞いてもらいたくなる。

 
神田・須田町にある昔ながらの喫茶店、
「珈琲ショパン」へやってきた。
ただ、ぼーっと考え事をしたい、
いまの気持ちにぴったりはまる気がしたから。

 
扉を開けて、中に入る。
ふわっと漂ってきたのは
コーヒーのいい香りと
やさしいピアノの音色。

 
あ、この曲好きなんだよなあ。
ショパンの「幻想即興曲」。

 
赤いビロードの椅子と
小さなテーブルが並ぶ店内。
奥の席に座って、
このお店の名物を注文した。

 
カウンターの向こうで、
ここに勤めて49年になるチーフが
ていねいに焼いてくれる
「アンプレス」。

 
すこし小さめの食パンの、
厚さは2cm。
あんをたっぷりのせて。

 
バターもたっぷりと。

 
すこし、火を通してから‥‥

 
さらに、バター!

 
年季の入ったプレス機で、

 
まんべんなく、じっくりと焼いて‥‥

 
おおっと、またまたバター!?

 
パンとバターがこんがりと焼ける、
ふわっと甘い、いいにおい。

 
最後に、極めつけのバター!!!

 
この色、この香り、
「じゅわーっ」という音。
ああ、おいしそう。

 
包丁でさくっと四等分すれば、
アンプレスの完成!
心の中で拍手喝采。

 
アンプレスを引き立てるのは
創業した昭和8年から変わらないという
オリジナルブレンドのコーヒー。

 
「浅く焙煎した豆をいっぱい使って
 濃い味に仕上げているんだよ」
とチーフが教えてくれた。

 
ああ、温かいうちに食べなくちゃ。
いったん手帳は閉じて‥‥

 
いただきます。

 
口に入れると、
表面はさくっ、なかはふわっ。
そして噛みしめると、
あんこの甘さとバターのしょっぱさが
どんどん押し寄せてきて、
やがてはいっしょになって
わたしの中にゆきわたっていく。

 
コーヒーもひとくち。
うん、この濃さが
アンプレスと絶妙にマッチするんだなあ。

 
オレンジ色の光が灯る空間と
哀愁漂うピアノの音色が
秋のちょっと物悲しい気持ちに
寄り添ってくれる。
バターしみしみのアンプレスと
がつんと濃いコーヒーが
そんな気持ちを
おいしさで満たしてくれる。

 
思い出した。
日ごとに空気が冷たくなって
すこしだけ寂しさも感じるこの季節は、
あたたかい甘味や飲みものが、
すてきな音楽や物語が、
いっそう身体と心に染み入る
すばらしい季節でもあるということ。

 
流れている曲が
「夜想曲(ノクターン)」に変わった。
もうちょっとだけ、
ピアノの音に浸っていこう。

 

珈琲ショパン

地元で長く愛される蕎麦屋や寿司屋が集まる、
神田須田町の一角にある喫茶店。

創業は1933年、ことしで88年目をむかえます。
昭和のはじめ頃、神保町の書店街や
御茶ノ水の学生街が近いこの界隈は
若者たちでとても賑わっていたそうです。
「ショパン」は、クラシック音楽を
レコードで聴ける名曲喫茶として
人気を集めていました。

実は初代のご主人は、
ショパンやクラシックについて
詳しい方ではなかったのだそう。
店名が決まったのは、
当時営業にきていたレコード屋さんが、
ここでクラシック音楽をかけてもらえれば、
たくさんのレコードが売れるだろうと考え、
「ショパン」の店名を強く推したからなのだとか。

3代目店主の奥さまで
現オーナーの岡本由紀子さんが
こんなことも教えてくれました。
「店内のステンドグラスにも
初代がショパンの綴りを入れ間違えてしまって。
CHOPINじゃなくてSHOPINになっているの(笑)」

カウンター内でコーヒーを入れ、軽食を作るのは
ここに勤めて49年目になるという
チーフの佐々木信博さん。

「この49年で、いろいろ変わりましたね。
バブルの崩壊後からは
お客さんもだいぶ落ち着いてきました。
最初かけていたSP版のレコードがLP版に変わり、
オープンリール、CD、オートチェンジャーになって
そしていまはウォークマン
(デジタルオーディオプレーヤー)で
音楽をかけているんですよ」

時代とともに、若者たちの音楽の聴き方は
大きく変わってきたけれど、
焙煎の浅い豆をふんだんに使って淹れる
「ショパン」のコーヒーの味は
創業当初からずっと変わりません。

◎アンプレス  500円

50年以上のお付き合いになるという
板橋の「鈴木ベーカリー」の食パンを使用。
あんこをはさみ、
有塩バターをたっぷりと加えながら
じっくりと時間をかけて焼いていきます。
このアンプレスを考案したのは、
チーフの佐々木さん。

「毎日来てくれるお客さんに
『飽きちゃうから、なにかほかのを作ってよ』
って言われて作ったのが最初なんです」

ふわふわのパンにじゅわっと染み込んだ
バターのしょっぱさと、
あんこの甘さが絶妙に混じり合う一品。
ひとつのサンドイッチプレスで
じっくりと調理するため、
アンプレスやホットサンドのオーダーは
1グループにつき1品まで。
またフードメニューは飲み物といっしょに注文を。
ブレンド珈琲は550円。

◎レモンジュース  650円

レモン、氷、砂糖をミキサーにかけて
シャリシャリとした
シャーベット状にしたジュース。
最初はスプーンですくいながら、
溶けてきたらストローでどうぞ。
フレッシュジュースはレモンのほか、
バナナとイチゴもあります
(イチゴは12月半ばから4月までの季節限定)。

 

珈琲ショパン

東京都神田須田町1-19-9
営業:8:00〜20:00、土曜11:00〜20:00
休み:日曜・祝日
電話:03-3251-8033

 

食後にぼうっとしていたら、別のお客さんが「アンプレスひとつ」とオーダー。バターが溶けるいい音と美味しいにおいを、もう一度楽しみました。ほどよい暗さの店内に、やさしく光るステンドグラスの灯りとショパンの音色。居心地が良くて去りがたい、隠れ家のような喫茶店です。

(次はどんなお店に行こう? 11月も、おたのしみに。)

2021-10-23-SAT

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