ゴッホの絵に心から感動した青年が、
のちに、
その絵が「贋作」と知った‥‥。
今やゴッホ研究の第一人者となった
その人、圀府寺司先生に聞きました。
贋作とは何か。
贋作を見て覚えた感動は本物なのか。
そして、その問いから浮かび上がる、
ゴッホという画家の、真の魅力とは。
担当は「ほぼ日」奥野です。
圀府寺司(こうでらつかさ)
1957年、大阪府生まれ。
大阪大学文学部西洋美術史専攻卒業。
1981〜88年、アムステルダム大学美術史研究所へ留学、
文学博士を取得。
オランダ・エラスムス財団よりエラスムス研究賞を受賞。
広島大学総合科学部助教授を経て、現在、大阪大学教授。
著書に
『Vincent van Gogh, Christianity versus Nature』
(John Benjamins Publishing Company,
Amsterdam-Philadelphia)、
『ファン・ゴッホ 自然と宗教の闘争』(小学館)、
『ゴッホ 日本の夢にかけた芸術家』(角川文庫)、
『ああ、誰がシャガールを理解したでしょうか?』
(編著/大阪大学出版会)、
『「ゴッホの夢」美術館ーポスト印象主義の時代と日本ー』
(編著/小学館)、
『ユダヤ人と近代美術』(光文社新書)、
『もっと知りたい ゴッホ』(東京美術)など多数。
- ──
- 基本的な質問すぎて申し訳ないのですが、
昔の絵って、
なぜ、ゴッホの描かなかった宗教題材が、
多かったんでしょう。
- 圀府寺
- 注文主が、教会だったからですね。
- ──
- あー‥‥なるほど。
- 圀府寺
- 宮廷人、貴族のような富裕層、教会。
- 昔は、宗教や神話って、
主題としてユニバーサルだったので、
肖像画とならんで、
宗教の絵が、多かったんでしょうね。
- ──
- その時代は注文があって、なんですか。
- 圀府寺
- 注文制作が、ほとんどだったはずです。
- 18~19世紀に、
フランス革命などの市民革命が起こり、
市民社会が成立するまでは、
基本的には支配者層が
画家をお抱え絵師として雇い入れるか、
画家に注文を出すことで、
絵画というものは描かれていたんです。
- ──
- 絵描きとは「受け身の仕事」だった。
- 圀府寺
- 画家が、自らの芸術的イニシアティブで
芸術的な絵を描き、
それらを顧客が買い求めるということは、
基本的には、ありませんでした。 - だから、
ファン・ゴッホがたくさん描いていた自画像も、
昔は、ほぼありません。
雇われ画家が自分の顔を描いたって、
注文主の王さまや貴族は、喜ばないので。
- ──
- はあ、そりゃそうですね。
- 圀府寺
- 近代の市民革命を経て、
絵を買う人が、いわば「小粒」になって、
小金持ちの市民たちが、
自宅リビングに飾る絵を欲しだしたので、
サイズも小さく、値段も安くなっていく。
- ──
- レンブラントの「夜警」みたいな巨大な絵、
一市民のリビングには
飾りにくいですものね。
- 圀府寺
- それに、新興のブルジョワジーたちには、
王侯貴族たちが持っていた
芸術的センスというものが、
かならずしも備わっていないわけですよ。 - そこで、画家のイニシアティブで、
「描きたい絵」が描かれるようになった。
- ──
- それを市民が買い求めた‥‥今のように。
- 圀府寺
- 厳密に言えば、
それまでの絵画は「芸術」ではないんです。 - 美的・芸術的感動を得るためにじゃなく、
宮廷に納めるための宗教画として、
教会に飾るための祭壇画として、
発注に対して、描かれていたものなんです。
- ──
- そこに、現代のわれわれが‥‥。
- 圀府寺
- 芸術的感動を感じているだけ。
- ──
- こちら側から美術・芸術と呼んでいる、と。
- 圀府寺
- もともと、そういうものじゃなかったので。
- もっと時代をさかのぼって、
ラスコーの洞窟壁画なんかもそうでしょう。
- ──
- なるほど‥‥話が変わりますけど、
すこし前に、
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵が。
- 圀府寺
- ああ、508億でしたっけ。
「サルバトール・ムンディ」という絵。
- ──
- あれも、数十年前のオークションでは
複製画と鑑定されて、
数十ポンドとかで落札されていたとか。
- 圀府寺
- キリストを描いた作品ですよね。
- サウジアラビアの皇太子という人が
落札してました。
公開はルーブル・アブダビでしょう。
- ──
- 500億円‥‥。
- 圀府寺
- そもそもレオナルド・ダ・ヴィンチが、
この時代に売りに出ること自体、
ものすごいことですよ。信じられない。
- ──
- 他方でゴッホも、生きているときには
1枚しか売れなかったのに、
死んだあと、百何億にもなっちゃって。
- 圀府寺
- そうですねえ。
- ──
- 絵というものは、
なぜ、あんなに高くなるんでしょうか。
- 圀府寺
- アートが好きでお金もある、
そういうコレクターもいるでしょうが、
芸術的関心とは関係なく、
社会的評価、自己満足、投機目的と、
いま、絵というのは
さまざまな動機で買われていますから。
- ──
- なかでもゴッホは「高い画家」ですし、
展覧会にも人が大勢集まったりします。
- 圀府寺
- ファン・ゴッホ、お好きですか?
- ──
- 先日、ゴッホゆかりの地を巡るために
オランダを旅したのですが、
そのときまでは、
好きも嫌いもなかったんですけど‥‥。
- 圀府寺
- ええ。
- ──
- アムステルダムのゴッホ美術館はじめ、
ハーグ美術館、
クレラー・ミュラー美術館で、
あれだけゴッホの絵を見たら、
好きにならずにいられなくなりました。
- 圀府寺
- どのあたりの絵が?
- ──
- クレラー・ミュラーで見た
「夜のカフェテラス」や「ひまわり」、
「糸杉とふたりの女性」、
「郵便配達人ジョセフ・ルーラン」
「種をまく人」‥‥だとか、
ゴッホ美術館に
ズラリと飾られていた「自画像」とか。
- 圀府寺
- なるほど。
- ──
- いったい何に感動したのか‥‥
うまく言葉にできないんですけど、
まず、なによりも
「こんなに描いているんだ!」と。
- 圀府寺
- それは、ありますよね。
- たった10年で、あの量ですから。
まさに寝食も忘れていただろうと。
- ──
- 先生は、ゴッホのことについて、
ずっと研究されているわけですが、
好きとか、嫌いとか、
もはや、そういうような感情って。
- 圀府寺
- わからなくなってきました。
手紙とかも分析的に読んじゃうし。
- ──
- でも、先生が、
最初に「ゴッホ」から受けた感動、
それは本物なんですものね。
- 圀府寺
- そうですね、それは。
- ──
- 仮にそれが「贋作」であっても。
- 圀府寺
- はい。
- ──
- 美術や絵画における「真贋」って、
そう思うと、
いったい何なんだろうと思います。
- 圀府寺
- 真贋の鑑定というものは、
数十年前、数百年前の刑事事件を
再審するようなものなんです。 - その時代には使われていなかった
絵の具で描かれているとか、
科学的証拠が出れば別なんですが、
そうじゃなければ、
「白黒」を再審でハッキリさせるのって、
極めて、むずかしい。
- ──
- 17世紀の無名画を削ったカンヴァスに、
17世紀の顔料で描くという、
科学的な鑑定を見越した贋作まであると、
本で読みました。
- 圀府寺
- わたしは、絵の鑑定というものは
「どれくらいグレーか」
を示す作業だと思っているんです。 - 大量の贋作をばらまいた贋作師も
いたそうですし、
いま、堂々と
美術館の壁に掲げられている絵が、
ニセモノである可能性も‥‥
ありますから。
- ──
- 有名な海外オークションハウスでも、
自分たちが取り扱う美術品の
30%は贋作だと言ってるみたいで、
かなりビックリしたのですが。
- 圀府寺
- でも、仮に偽物だと判定されようが、
この絵は、この作品は、
自分にとって何より大事なんだ‥‥
という人は、いると思うんです。
- ──
- 先生の感動が、本物だったように。
- 圀府寺
- 情報の氾濫している時代ですから、
わたしたちの「感動」にとっては
純粋な「視覚」だけじゃなく、
作家の名前や、
その絵に添えられたテキスト‥‥。
- ──
- ええ。
- 圀府寺
- それらも、
大きな役割を果たしていますよね。 - ようするに、
かならず「色眼鏡」で見ています。
- ──
- ゴッホの作品だとわかった時点で、
素晴らしいはずだ‥‥とか。
- 圀府寺
- そうなります、どうしたって。
色眼鏡なしで見るのは、無理です。 - だから、わたしが学生に言うのは、
色眼鏡を外すのは無理だけど、
自分が
色眼鏡をかけているということは、
きちんと認識しておきなさい、と。
- ──
- 絵画を見るときには。なるほど。
- 圀府寺
- 本物とか、偽物とかは、情報です。
心がふるえたこととは、
本質的には関係ないと思うんです。 - そこを明らかにすることは、
もちろん、大切なことですけれど。
- ──
- はい。
- 圀府寺
- この絵が自分の心にとってどうか。
この作品を前にした感動は本物か。 - そのことは、真贋とは別個の問題。
- ──
- なるほど。
- 圀府寺
- そこに意識的でいられたらいいと、
わたしは、思います。 - そうすれば、
ファン・ゴッホだから、モネだから、
これは何百億だからじゃなくて、
目の前の絵画というものを、
もっともっと、
楽しめるんじゃないかと思います。
- ──
- 頭ではなく、心が‥‥どうか。
- 圀府寺
- はい。そうでありたいと思います。
006
ゴッホは「不幸」だったのか。
これも、じつに難しい質問だと思います。
たしかにゴッホの人生をたどると、
さまざまな「かなしみ」に満ちています。
希望していた聖職にも就けず、
女性との恋にも破れ、絵は売れず、
ゴーギャンとの共同生活も2ヶ月で破綻、
耳を切り落としてしまい、最後には自殺。
でも、最終的には、
やりたいことをやった人生であると思う。
ゴッホの素晴らしい作品を前にすると、
「かなしみ」には満ちているけど、
不幸だったとか幸せだったとか、
他人には解釈などできないと感じますね。
(おわります)
2019-10-15-TUE
-
ゴッホ展は、上野の森美術館で、
10月11日(金)から!ゴッホの短くも濃密な画業の移り変わりを、
ゴッホにつよく影響を与えた
オランダのハーグ派、
フランスの印象派の作品も交えつつ、
たどっていく展覧会だそうです。
《糸杉》や《麦畑》《薔薇》など
有名な作品もやってくるみたい。
監修は、テンペル館長。
ハーグ美術館からもゴッホの絵が来ます。
スヌーピーやベビースターラーメンなど、
コラボグッズも、おもしろそう!東京展
会期:2019年10月11日(金)
~2020年1月13日(月・祝)
会場:上野の森美術館
休館日:12月31日(火)、1月1日(水・祝)
兵庫展
会期:2020年1月25日(金)~3月29日(日)
会場:兵庫県立美術館
より詳しくは、公式サイトでご確認ください。