住む人? 利用する人、使う人?
設計した人? 受け継いだ人?
それとも、お金を払った人‥‥?
エストニア国立博物館の設計で
建築の世界へデビュー、
文化も歴史も言葉も知らない国の
巨大建造物を
10年がかりでつくりあげ、
日本の新国立競技場のコンペでは、
印象的な「古墳」のアイディアで
最終選考にまで残った
建築家・田根剛さんに聞きました。
建築の「主役」って、誰ですか?
全7回。担当は、ほぼ日奥野です。
田根剛(たねつよし)
建築家。1979年東京生まれ。Atelier Tsuyoshi Tane Architectsを設立、フランス・パリを拠点に活動。場所の記憶から建築をつくる「Archaeology of the Future」をコンセプトに、現在ヨーロッパと日本を中心に世界各地で多数のプロジェクトが進行中。主な作品に『エストニア国立博物館』(2016)、『新国立競技場・古墳スタジアム(案)』(2012)、『とらやパリ店』(2015)、『Todoroki House in Valley』(2018)、『弘前れんが倉庫美術館』(2020)など多数。フランス文化庁新進建築家賞、ミース・ファン・デル・ローエ欧州賞2017ノミネート、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞、アーキテクト・オブ・ザ・イヤー2019など多数受賞 。著書に『未来の記憶|Archaeology of the Future』(TOTO出版)など。www.at-ta.fr
- ──
- 当初、計画段階では想定されていなかった
隣接の軍用滑走路を、
エストニア国立博物館の建築アイディアに
盛り込んで、提案した。
- 田根
- 敷地の真横に滑走路があって、
何にもない、荒れた土地だったんですよね。 - そこが軍用地だったってことも知らなくて。
何なんだろう、ここ‥‥って。
- ──
- ええ、ええ。
- 田根
- 調べていくと、
それは旧ソ連が建設した軍用滑走路でした。 - これは見逃すわけにはいかないぞと思って
建築のプランに含めたんですが、
ルールを破ってるんで、
あとになって、
ちょっと怒られちゃったんですけど(笑)。
- ──
- でも、その、ルール的にも物理的にも
はみ出しちゃった部分を含めて採用された。
- 田根
- そうなんです。
- ──
- そういうことって、珍しいんでしょうね。
- 田根
- あれだけの規模、国家プロジェクトですし、
あまりないことだと思います。 - 審査員のみなさんが、
他の100以上の応募の中で、
ぼくらの出した案だけ意味がぜんぜん違う、
これはやるべきだと判断してくれたことが、
大きかったと思います。
- ──
- 案を出すまでの時間も短かったんですよね。
- 田根
- そうですね、作業できたのは
実質3週間ないくらいでした。 - 日中は会社の仕事があったので、
はたらきながら、夜ずっと作業してました。
朝から晩まで会社ではたらいて、
そのまま友人と集まって、
夜中コンペの準備をして移動中バスで寝て、
そんなのを3週間‥‥毎日。
もう、できませんけどね(笑)。
- ──
- 楽しかったでしょうね。
- 田根
- すごく楽しかったです。
- ──
- ただ本当に「はじめての試合」ってことは、
実際、わからないことだらけなのでは‥‥。
- 田根
- コンペを獲ったのを機に独立したので、
まわりに
教えてくれる人は誰もいなかったし、
しかも、右も左もわからない
エストニアに通いながら、
仕事を進めていく必要があったんです。 - 言葉も文化も歴史も知らなかった国で、
あれだけ大きなプロジェクトを
実現していくのは‥‥正直大変でした。
- ──
- それを、社会人2年生みたいな若者が。
七転八倒しながら、みたいな?
- 田根
- 気づいたら、10年かかってました。
- ──
- はああ‥‥計画では、何年で?
- 田根
- コンペが2006年で、
当初は、建国100周年にあたる
2009年を目標にしてたんですけど、
さすがに3年じゃ無理だろうと、
まあ‥‥ぼくたちは思っていました。
- ──
- 心のなかでは。
- 田根
- はい。2011年くらい‥‥
5年後くらいを目指してやってました。 - でも、まさか10年もかかるとは。
- ──
- それでもずっと、
エストニアのみなさんは待ってくれて。
- 田根
- その間に大統領が変わったり、
リーマン・ショックが起こったり、
EUからの文化予算が下りなかったり、
何度か‥‥2度かな、
計画がなくなるかもしれない局面も
あったりしました。
- ──
- 紆余曲折!
- 田根
- エストニアの国立博物館は、
古都タルトゥに建っているんですけど、
ナショナルミュージアムである以上、
首都のタリンに建設すべきだ‥‥とか、
何度も議論になったりして。
- ──
- そのへんは、でも、
田根さんが介入できる問題でもないし。
- 田根
- そうですね、そういうときは、
自分の設計を進めるだけだと思って。
- ──
- 俯瞰で見ると長方形の建造物ですけど、
これって、入り口は‥‥。
- 田根
- この写真で見て「右側」が正面ですね。
- 展示を見ながら進んでいくと、
だんだん天井が低くなっていって‥‥
その先に、出口があるんです。
- ──
- で、その出口の先に、軍用滑走路。
- 田根
- 博物館と軍用滑走路とをつなげることで、
ソ連による占領時代を乗り越えて、
未来へ進むエストニア‥‥という意味を
建築に持たせたいと思ったんです。
- ──
- そういう建築物のなかだからやれる展示、
というのもありますよね、きっと。
- 田根
- そうですね、そう思います。
- 民族の歴史を常設展示しているんですが、
いちばんはじめに、
オフィス用の椅子が一脚が置いてあって。
- ──
- 椅子?
- 田根
- そうなんです。椅子一脚。
ようやく完成して、展示を見たら、それ。 - 何なんだろうと思っていたら、
じつは「スカイプ」を開発したのが、
エストニアの人なんだそうで。
- ──
- へえ。
- 田根
- つまり、その創設者が
スカイプをつくっていたときに
座っていた椅子が、最初の展示物なんです。 - そこからさかのぼって、
ソ連に占領されていた時代の展示物があり、
自由を願うエストニア市民の話が語られ、
さらにはキリスト教が弾圧されていた時代、
そして最後は「氷河期」に、たどりつく。
- ──
- スカイプから氷河期までの「数万年」が、
時間の流れを遡行するように、
ひとつの長い展示になっているんですね。
- 田根
- 出口の側からさかのぼれば、
氷河期から現代へ向かう展示になります。
- ──
- 建築って、国境を超えやすいというか、
日本人でも外に出ていきやすいのかなと
思っていたんですが、
やっぱり当然、ご苦労はあったんですね。
- 田根
- 音楽は楽譜さえあえれば
世界中どこへでも行けるものですけど、
同じように建築も、図面が、
ひとつの言語であることはたしかです。
- ──
- はい。
- 田根
- ただ、やっぱりそれは、ほんの一部です。
- 建築というものは、
その土地・場所の文化や歴史を踏まえて、
その場所の人たちと一緒に
その場所を見つめながら、
つくっていかなければとは思っています。
- ──
- 場所。
- 田根
- はい、場所です。場所が、大事なんです。
(つづきます)
2020-10-29-THU
-
田根剛さんによる、かっこいい
弘前れんが倉庫美術館。
小沢剛さんの展覧会を開催中!©︎Naoya Hatakeyama
今回のインタビューをした場所は、
田根剛さんの手掛けた
「弘前れんが倉庫美術館」でした。
この建物のすばらしさを、
どんな言葉で表現したらいいのか。
かっこよかった、とにかく。
オレンジ色のれんがに、金の屋根。
入口を入ると、奈良美智さんの
《A to Z Memorial Dog》。
美術館そのものが
すでに、ひとつの作品かのような。
現在は現代美術家・
小沢剛さんの展覧会を開催中です。
小沢さんといえば、個人的には、
世界中の「お鍋の具材」を使って
武器をつくる
《ベジタブルウェポン》のことを
真っ先に思い浮かべます。
お醤油で書いた名画シリーズや、
新作も展示されているとのことで、
来年3月まで開催でもあるし、
どこかで時間を見て
見に行ってこようと思っています。
小沢さん展覧会については
こちらの公式ページでご確認を。小沢剛《帰って来たS.T.》(部分) 2020年