太陽の出ない北極圏の「極夜」を、
何ヶ月も、さまよう。
ゴールは、太陽の出る瞬間。
誰もやったことのない旅から、数年。
探検家の角幡唯介さんが、
いま、取り組んでいることについて、
話してくださいました。
舞台は、ふたたび、北極圏。
極夜は明けて、次なるフィールドへ。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>角幡唯介さんのプロフィール

角幡唯介 プロフィール画像

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976(昭和51)年、北海道芦別市生れ。探検家・ノンフィクション作家。早稲田大学政治経済学部卒、同大学探検部OB。2003(平成15)年朝日新聞社入社、2008年退社。著書に『川の吐息、海のため息』、『空白の五マイル』(開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞)、『雪男は向こうからやって来た』(新田次郎文学賞)、『アグルーカの行方』(講談社ノンフィクション賞)、『探検家の憂鬱』、『探検家の日々本本』(毎日出版文化賞書評賞)、『漂流』、『旅人の表現術』、『探検家、40歳の事情』、『極夜行』(Yahoo! ニュース 本屋大賞2018年ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞)、『新・冒険論』、『極夜行前』、『探検家とペネロペちゃん』、『エベレストには登らない』など。

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第9回 冒険の同志たち。

──
独りで大きな冒険をしてきた角幡さんの
「死生観」があったら、教えてください。・
角幡
死生観‥‥なんだろう。
何度か
「あのとき、よく死ななかったなあ」
ということは、あるんです。

──
おお。
角幡
いちばんリアルに死を感じたときは、
なぜだか、
どうでもいいことを考えていました。
雪崩に埋まっちゃってて、
だんだん息ができなくなってきてて。
──
そんなことが‥‥。
角幡
雪で身動きとれないどころか、
指一本動かせない状況だったんです。
10分後に死ぬのを待っている状態。
──
わー‥‥‥‥。
角幡
それまでの「死」のイメージって、
いろいろ納得したうえで、
意識が途切れる‥‥
みたいなふうに捉えていたんです。
──
俺の人生やりきったぞ、みたいな。
角幡
自分の人生を総括する瞬間がある、
みたいなことじゃないかと。
──
つまり、走馬灯みたいな感じ。
角幡
だけど、ぜんぜん違ったんですよ。
当時は新聞記者だったんですけど、
「俺が死んだら
明日の中日新聞に2段立つかなあ」
とか、
そういう呑気なことを考えていた。
──
かなり‥‥第三者的な?
角幡
もうすぐ死ぬって状況にいるのに、
どうして俺は
こんなこと考えてるんだって、
イライラするほど、
どうでもいいことを考えてました。
だから「死ぬ瞬間」って、
けっこうくだらないっていうかな。
──
大層な感じでは、死んでいかない。
人間というものは。
角幡
少なくとも、
納得して死ぬんじゃないんだなと。
よほど、死が訪れるまでに、
覚悟を決める時間を持てるのなら、
別なのかもしれないけど。
──
雪崩に巻き込まれてしまったのは、
どういう状況だったんですか。
角幡
冬山に登って雪洞に泊まってたら、
雪崩が起きて埋まっちゃった。
──
どうやって‥‥生還したんですか。

角幡
ふたりで登っていたんです。
もう一人は、雪洞の奥にいたから、
完全には埋まらずに、
上半身を起こすことができた、と。
──
おお。
角幡
それで、雪から這い出して、
ぼくを掘り出してくれたんですよ。
──
本当にギリギリだったんですね‥‥。
やっぱり雪に埋もれると、
自分では、何もできないんですか。
角幡
指一本すら動かせませんでしたね。
寝袋に入った状態だったんで。
あれは、完全に死ぬケースでした。
──
写真家の石川直樹さんも、
気球で太平洋を横断しようとして、
海に落ちて、生きるか死ぬか、
死ぬ確率のほうが高いような目に
遭ってらっしゃいますが‥‥。
角幡
ええ。
──
その石川さんから聞いたんですが、
角幡さんとは、
大学時代からお知り合いだったと。
角幡
彼は、ぼくよりも2つ下の学年で、
早稲田の探検部に、
チョコチョコ顔を出してたんです。
ただ、石川くんは
当時から、自分のやりたいことが
わかってる人だったんで、
探検部には入らなかったんですが。
──
石川さんが気球で出発するとき、
当時、新聞記者だった角幡さんが、
取材に来てくれた‥‥って。
角幡
たぶん、それ2回めじゃないかな。
つまり、ぼくが取材に行ったのは、
石川くんが
気球冒険家の神田道夫さんと
太平洋横断しようとして、落ちて、
もう1回、
神田さんだけで挑戦したときです。
──
ああ、そうなんですね。
石川さんは、のちに、
神田さんと挑戦したときのことを
『最後の冒険家』に書いて、
「開高健ノンフィクション賞」を
受賞されましたよね。
角幡
じつは、ぼくも、
神田さんに誘われていたんですよ。
──
えっ‥‥一緒に行かないか、と?
角幡
そう。
──
わー‥‥。
角幡
その当時、勤めていた朝日新聞に、
企画書まで出したんです。
太平洋気球横断同行取材‥‥って。
そしたら、却下されて。
──
じゃ、もし。一緒に行っていたら。
角幡
一緒に行方不明になってるか‥‥、
あるいは、
生き残ったかもしれないですね。
誰かと一緒に行くことで、
結果が変わる可能性はあると思う。

──
今回は、倉岡裕之さんにも
取材させていただいたんですけど、
倉岡さんも、
若き日の角幡さんを知っていると
おっしゃっていました。
角幡
ああ、倉岡さん。お元気でしたか?
もう7~8年は
お会いしていないと思いますけど、
エベレスト、
まだ、やってらっしゃるんですか。
──
ええ、9度も登頂しているそうで。
角幡
すごいなあ、あいかわらず。
憧れの人だったんです、倉岡さん。
南アメリカのギアナ高地にある、
エンジェルフォールって
世界最大級の滝を初登してる人で。
伝説のクライマーなんです。
──
クライミングで2度も世界王者になった
平山ユージさんも、
若いころ、
倉岡さんと一緒に練習していたそうです。
角幡
みたいですね。
山野井(泰史)さんなんかも、たしかね。
──
勢ぞろいしてたんですね、すごい才能が。
角幡
ぼくらの世代でも、
いまでも活躍している同世代の連中って、
学生時代から知ってるんですよ。
──
ああ、そういうものなんですね。
角幡
昔から目立っていたので、
面識がなくても、名前は知っていたりね。
──
たとえば、どなたですか?
角幡
極夜行の前の北極の長旅に一緒に行った
荻田泰永くんとか、
さっきの石川くんもそうだし、
プロスキーヤーで国際山岳ガイドの
佐々木大輔くんも
昔から、名前だけは、知っていましたね。
──
へえ‥‥。
角幡
若くして、すごいスキーヤーだったんで。
服部文祥さんも、昔から知り合いです。
──
どうですか、旧知の人たちが、
まだまだ、挑戦を続けている姿を見ると。
角幡
刺激をもらえますよね、やっぱりね。
ようし、ぼくも‥‥って気になるし。
──
同じような志を持つ者どうし、
切磋琢磨するような感覚もあるんですか。
角幡
それは、あると思いますよ。
みんな、それぞれに、それぞれですけど。
──
角幡さんは、北極圏で犬ぞりの旅を。
角幡
うん、続けようと思ってます、当面。

(おわります)

2020-09-03-THU

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