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中沢 |
吉本さんはね、
たくさんの「もの書き」の人に、
ものすごくサービスしたと思うんです。
この人はこんな優れたところがあるから
この人の書いたものを
理解してあげなければいけないといって、
あんなに一生懸命になって、
自分が付き合って、
みんなに紹介してきたでしょう。
だけど吉本隆明その人を、本当に理解した者が
そんなにたくさんあったかというと、
僕はそうじゃないんじゃないかなと思います。 |
糸井 |
それはきっと、
研究というものの特徴じゃないかな。
研究って、「分かる」ということの
一部分でしょうから。 |
中沢 |
吉本隆明の批評文というのは、
腑に落ちるんですよ。
ストンと落ちる「二行」が含まれているんです。
それが、吉本さんを研究する際には
もしかしたら欠けていたのかもしれません。
吉本さんはすごいなと思います。
戦後、茫然自失した後、
何をはじめたかというと、
アダム・スミスとリカードとマルクスを、
つまり、経済を勉強したんです。
でも、普通だったら
マルクスから行くでしょう?
普通は根っこに行かないで
マルクス主義に終始してしまいます。
でも、吉本さんは根っこの
アダム・スミスを一生懸命読んでから
リカードを研究した。
マルクスの経済学の
理論の骨格、道筋から
世界の中での
「マルクス」という植物の立ち場所や
風や日の当たり具合が見えるところに
自分が立ったときに、
『カール・マルクス』という本を書くわけです。
これは、腑に落ちる本なんです。
細部にわたっては、
マルクスが抱えていた問題を
捨象してるじゃないか、
こういうところに触れてないじゃないか、
というふうに言われるかもしれないけれども、
あの本は、腑に落ちるんです。
それは、マルクスという人が
いちばん重要に考えていたところを
吉本さんがつかんでいるからです。
ひょっとしたら、マルクスのやった
ほかのさまざまなことは、
吉本さんの喧嘩と同じで、
実はやらなくてもよかったんじゃないかな?
そのくらい、吉本さんのマルクス論は、
ストンと真ん中へ落っこちるものがあります。
アダム・スミスだって、
自由主義経済理論という側面だけじゃない
見方をされはじめたのは、最近のことです。
スミスが「人間とは何か」を考えながら
経済学を作っていったことを、
ようやく経済学者が気づきはじめましたが、
批評家吉本隆明は、
『国富論』を読んだだけで
とっくに、いっぺんに分かるんです。
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糸井 |
アダム・スミスについては、
『吉本隆明 五十度の講演』の中にも
入っているので、僕はよく耳で聞いてます。
そこで、俺は、ホロリときちゃうの。
だって、のちの吉本隆明という人に、
こういうふうに分かってもらえたんです、
アダム・スミスという人は。 |
中沢 |
ほんとに。
吉本さんは、他の人に対して、
それぐらい一生懸命サービスしてきた人です。 |
糸井 |
文芸についても経済についても政治についても
ものすごい付き合い方をなさいますね。 |
中沢 |
芸能についてもそうですよね。
藤田まことさんのことも、
一生懸命におっしゃってます。 |
糸井 |
そうですね(笑)。
(続きます)
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