東京なべぶた流、 世界の普遍に通ず、 自由の穴をあける。 中沢新一+糸井重里talk about吉本隆明

6 虚数、愛。
糸井 アダム・スミスについて、また、
マルクスについて分析するときもそうですが
吉本さんは、もともと
自然と人間の関係について
注意深く見ている気がするんです。
中沢 例えば、田舎に行って農業をしよう、
というような生き方に関しては、
批判はしないけど、
人にすすめたりはなさらないでしょう。
糸井 好きでやってる分にはいいけど、
それはなんでもないことだよ、という
スタンスです。
中沢 それはやっぱり自然に対する理解じゃないかと
僕は思うんです。
年をとられて、体の自由がきかなくなって、
吉本さんはきっとますます
自然に対する感受性を
鋭くされたのではないかと思います。
糸井 ご自分の中の自然も
広がっている気がします。
中沢 心の中の自然が無限に広がって
それが猛烈な勢いで動いているから、
自分の言語が追いかけることが
できなくなっている。
そのもどかしさとおかしさについて、
語っていらっしゃいますね。
糸井 それは、自分が
自然の結果として存在している、
ということとも
つながる考え方ですね。
中沢 しかし、いまはむしろ
産業としての自然、ビジネスとしての自然、
というほうに動きつつあります。
その時代にこそ、自然というものの全体性に
向かわなければいけないのかもしれません。
それにはまず、今、
世の中で語られている自然というものを
いったん全部否定してみよう、
というぐらいのところから出発しないと、
「吉本隆明」にはならないと思います。
糸井 そういう発想ができる、
別のジャンルの人が、
明石家さんまさんだと思います。
みんな「愛」って言ってるけど
その「愛」が怪しいんじゃないか、という
発想をしているんですよ。

つまり、「愛」というのは、
暫定的に作った神みたいなもので、
それはあることにして生きていかないと
お互いに難しいから、
あることにしましょう、
という「虚数」みたいなものだと言うんです。
中沢 たしかに、愛は虚数ですね。
何かの符丁、
イマジナリー・ナンバーでしょう。
人間関係の中に
本当は実在なんかしてないんだけど
あることにして
トランプゲームをすると、
人間関係がうまく成り立つんですね。
「私のことを愛してる?」
「愛してるよ」
どこにもないんですよ、そういうものは。
だけど、その愛‥‥あ、虚数もiだけど(笑)、
それが飛び交う世界になっていく。
糸井 きっと、今の自然観というのは、
虚数に近いものがあるのかもしれないですね。
愛とか、自然とか、
虚数をちっとも疑わずにいたほうが、
今日も明日も無事なんです。
中沢 ですから、それに棹さそうと思ったら、
大変なことになるんです。
そのことは夏目漱石も言ってますが、
iに棹させば、
もう大変なことになるわけですね。
世の中はだいたい
イマジナリー・ナンバーの交換で
成り立つようになっています。
糸井さんはそれに近い世界で
ずっと仕事をされているから、
痛いほどそれが見えるでしょうね。
糸井 そうですね。
どれが通貨として認められ、どれが贋金か、
もしかしたら贋金に見えるもののほうが
使い勝手がいいかもしれない、
ということは、
いくらでもあるわけです。
それはどうやって比べるかというと、
権力の問題です。
中沢 産業もね。
産業というのは権力だから。
糸井 だけど、パワーの話で
すべてを解決できちゃうんだったら、
つらいめだらけですよね。
中沢 うん。エネルギー分配の問題に、
最終的な決定がすべて
行ってしまうようでは‥‥
糸井 寂しい問題が出てくる。
中沢 だからこそ吉本さんの言う
『芸術言語論』になるんじゃないかと
僕は思います。
糸井 ディスコミュニケーション分野に
俺は立ってやる、という決意。
中沢 そうです。
真実を隠して虚数を作り
これを交換し合うことに
アンチテーゼを置くわけです。
そして、ディスコミュニケーションを
出発点に立てようとしたときに、
芸術がはじまります。
これは、言ってみれば
世の中全体の流れを
押し戻していくことになるし、
みんなが仲良く会話し合っているところに
乱入していって、
その会話が成り立っていないということを
主張することになりますから、
ボカボカにやられます。
だけども、本来芸術って、
そういうものだと思います。

(続きます)

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2008-09-26-FRI

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