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糸井 |
アダム・スミスについて、また、
マルクスについて分析するときもそうですが
吉本さんは、もともと
自然と人間の関係について
注意深く見ている気がするんです。 |
中沢 |
例えば、田舎に行って農業をしよう、
というような生き方に関しては、
批判はしないけど、
人にすすめたりはなさらないでしょう。 |
糸井 |
好きでやってる分にはいいけど、
それはなんでもないことだよ、という
スタンスです。 |
中沢 |
それはやっぱり自然に対する理解じゃないかと
僕は思うんです。
年をとられて、体の自由がきかなくなって、
吉本さんはきっとますます
自然に対する感受性を
鋭くされたのではないかと思います。 |
糸井 |
ご自分の中の自然も
広がっている気がします。 |
中沢 |
心の中の自然が無限に広がって
それが猛烈な勢いで動いているから、
自分の言語が追いかけることが
できなくなっている。
そのもどかしさとおかしさについて、
語っていらっしゃいますね。 |
糸井 |
それは、自分が
自然の結果として存在している、
ということとも
つながる考え方ですね。 |
中沢 |
しかし、いまはむしろ
産業としての自然、ビジネスとしての自然、
というほうに動きつつあります。
その時代にこそ、自然というものの全体性に
向かわなければいけないのかもしれません。
それにはまず、今、
世の中で語られている自然というものを
いったん全部否定してみよう、
というぐらいのところから出発しないと、
「吉本隆明」にはならないと思います。 |
糸井 |
そういう発想ができる、
別のジャンルの人が、
明石家さんまさんだと思います。
みんな「愛」って言ってるけど
その「愛」が怪しいんじゃないか、という
発想をしているんですよ。
つまり、「愛」というのは、
暫定的に作った神みたいなもので、
それはあることにして生きていかないと
お互いに難しいから、
あることにしましょう、
という「虚数」みたいなものだと言うんです。 |
中沢 |
たしかに、愛は虚数ですね。
何かの符丁、
イマジナリー・ナンバーでしょう。
人間関係の中に
本当は実在なんかしてないんだけど
あることにして
トランプゲームをすると、
人間関係がうまく成り立つんですね。
「私のことを愛してる?」
「愛してるよ」
どこにもないんですよ、そういうものは。
だけど、その愛‥‥あ、虚数もiだけど(笑)、
それが飛び交う世界になっていく。 |
糸井 |
きっと、今の自然観というのは、
虚数に近いものがあるのかもしれないですね。
愛とか、自然とか、
虚数をちっとも疑わずにいたほうが、
今日も明日も無事なんです。 |
中沢 |
ですから、それに棹さそうと思ったら、
大変なことになるんです。
そのことは夏目漱石も言ってますが、
iに棹させば、
もう大変なことになるわけですね。
世の中はだいたい
イマジナリー・ナンバーの交換で
成り立つようになっています。
糸井さんはそれに近い世界で
ずっと仕事をされているから、
痛いほどそれが見えるでしょうね。 |
糸井 |
そうですね。
どれが通貨として認められ、どれが贋金か、
もしかしたら贋金に見えるもののほうが
使い勝手がいいかもしれない、
ということは、
いくらでもあるわけです。
それはどうやって比べるかというと、
権力の問題です。 |
中沢 |
産業もね。
産業というのは権力だから。 |
糸井 |
だけど、パワーの話で
すべてを解決できちゃうんだったら、
つらいめだらけですよね。 |
中沢 |
うん。エネルギー分配の問題に、
最終的な決定がすべて
行ってしまうようでは‥‥
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糸井 |
寂しい問題が出てくる。 |
中沢 |
だからこそ吉本さんの言う
『芸術言語論』になるんじゃないかと
僕は思います。 |
糸井 |
ディスコミュニケーション分野に
俺は立ってやる、という決意。 |
中沢 |
そうです。
真実を隠して虚数を作り
これを交換し合うことに
アンチテーゼを置くわけです。
そして、ディスコミュニケーションを
出発点に立てようとしたときに、
芸術がはじまります。
これは、言ってみれば
世の中全体の流れを
押し戻していくことになるし、
みんなが仲良く会話し合っているところに
乱入していって、
その会話が成り立っていないということを
主張することになりますから、
ボカボカにやられます。
だけども、本来芸術って、
そういうものだと思います。
(続きます)
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