野村 |
『ボールのようなことば。』の話に戻って、
本のなかからいくつかことばを挙げさせてください。
「見ることは愛情だと、かつてぼくは言ったけれど、
聞くことは敬いだ。」
これもまた深いですね。
「聞くこと」はやっぱり大事なこと?
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糸井 |
大事ですね。
「聞く」っていうのは、相手の言うことを
どんどん吸い込んでいくわけですから。
この人はちゃんと聞いてるなと思ったら、
相手の人はどんどんアクティブになりますよね。
心から「聞く」っていうことは、
ある意味、すごく受け身で、
裸になって大の字で横たわるようなこと。
相手を敬って、心から「聞く」。
それは、相手にとってうれしいですよね。
だから、話を聞いてあげるだけで
おばあちゃんが元気になったりしますし。
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野村 |
ああ、それはありますね。
語れる相手がいるっていう大事さ。
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糸井 |
そうそう。つまり、大の字になった相手に
のしかかっていいんだ、ということで
ある種のエネルギーが出るんだと思いますよ。
だから、「聞いてもらえる」だけで力が出る。
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野村 |
その一方で、いまの世の中って、
どうプレゼンするか、どう聞いてもらうか、
っていう時代でもありますよね。
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糸井 |
ああ、そうですね。
「聞かないぞ」っていう
ディスコミュニケーションを前提にしますから、
そのアプローチが役立つんだよね。
だから、シニカルな言い方をすれば、
社会としてはディスコミュニケーションが
前提になっているほうが、
なにかを商品化するには便利ですよね。
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野村 |
ああ、はい。
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糸井 |
でも、ほんとは、それだけっていうことはない。
コミュニケーションがある場所、あるいは
敬いだとか愛情の関係がある場所と、
そうじゃない場所が入り組んでる。
ぜんぶがどっちかになるっていうことはない。
たとえば、ぼくがことばをつかう仕事をしているとき、
多くの場合は、ディスコミュニケーションが前提です。
つまり、「通じると思うなよ」と
自分に言い聞かせながら仕事しています。
でも、ひとりの人間として人に接するときは、
通じるとか通じないじゃなくて、
できるだけ裸になれるかどうか。
褌一丁みたいな状態でいられると、相手も
「ああ、脱いでいいんですね」ってなりますから。
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野村 |
(笑)
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糸井 |
やっぱりコミュニケーションってそういうもので、
プレゼンテーションで無理やり
「犬でも猫でも人でも、
こういう言い方をするとびっくりして
必ずこっちに来ますから」みたいな、
そういうことばはやっぱり不幸だよね。
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野村 |
でも、テレビって、けっこう
そうやってしまいがちなところがあって、
自己反省しなきゃいけないところでも
あるんですけれども‥‥。
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糸井 |
テレビは、一回短くわかりやすく言って、
相手の状態がどうであろうと、
「はい、たしかに伝えましたよ」
みたいなところがありますよね。
まぁ、しかたがない部分はありますけど、
でも本当の人と人との付き合いだったら、
「うまく伝わらなかったかもしれないけど、
あの人はずいぶん熱心だったね」
みたいなことでOKなんですよね。
「あれは本気だよ」とかね、
「悪い人じゃないのはわかった」とかね、
そんな程度のことで充分なんだよ。
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野村 |
ああー、そうですね。
あと、本のなかのことばに戻ると、
「『わからないですね』って、しっかり言える人って、
ぼくはやっぱりかっこいいと思うんですね。」
というふうに書いてあります。
「わからない」ということがしっかり言えると
息がらくになる、ともおっしゃってますが。
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糸井 |
そうですね。自分もらくになりますし、
相手の人もらくになると思いますね。
なにより、問題自体がはっきりする。
「ABCDE」の「C」が「わからない」ときに、
「Cがわからない」と言うのと、
「Cがないものとして進める」のでは
組み立ての道筋がぜんぜん違いますからね。
「そこはわからない」ってはっきりしてたら、
そこを補ってつぎに進めたりしますから。
たとえばチームでなにかをやるときにも、
「ここがわからないです」って言ってくれたら、
「じゃあ、キミはそれをわからないメンバーとして
こうやってスクラム組んでやろう」って
スタンスを決めることができる。
「わからない」と言えるってことは
自分の弱さを言えるってことですよね。
それがきちんと言えると、逆に、
ほかの人の強さが頼りにできたりする。
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野村 |
とくに組織にいると、「わからない」って言うことは
責められるというか過失になると考える方も
多いと思うんですけれども、
むしろそこをオープンにすることで、
その問題自体が進んでいく‥‥。
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糸井 |
そうですね。
だから、さっきの話にもありましたけど、
その人を商品価値で考えるなら、
「わからない」と言うのはその人の商品価値を
少し下げるということになりますよね。
でも、ひとりの商品価値なんかで、
仕事は進まないんだよって言いたいんです。
その人の値札がいくらついてるのか知りませんけど、
そんな価値よりもっといいことをしたいんですよ。
だから、わからなかったり、ダメだったとき、
自分がここがダメだったってことを言える人、
あるいは言われた時に
「そっか」って言える人だったら
つぎになにかありますよね。
そこで「いや、そんなことはない」って言ったら
その人のほんとの商品価値からなにから
全部下がっちゃって迷惑がかかりますよね。
「SOS」がきちんと出せたら進み方はあるから、
それこそ自分がリーダーのときでも
「わからない」っていうのは言うべきですよね。
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野村 |
すごくわかります。
うまくいってないときは、
できないことをうやむやにしておくようなことが
すごく多いような気がして。
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糸井 |
それは、競争のある組織のなかにいると、
「できない」「わからない」って言ったときに、
自分から離れていく票が何票かある
っていう発想をしてしまうからで、
他人の評価する価値に準拠して生きていると
やっぱり、つらいですよね。
そういう組織にいてさえ、
ストレートに弱さを表現できたほうが、
案外、土台が鍛えられるんですけどね。
組織をほんとうに率いていく人って、
弱みをきちんと見せて
乗り越えていく人だったりしますから。
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野村 |
弱みを見せることで
信頼関係が生まれるっていうのはありますよね。
「わからないって言ってるよ」っていうのが
逆に信頼関係になるっていう。
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糸井 |
まわりが助けられるようになるというのもあるし、
「わからない」って言った俺は
じゃあなにをしたらいいのかな?
って、きちんと考えるようになりますし。
右手がしびれてるときに、
左手の筋肉が鍛えられるようなことがありますから。
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野村 |
いろんな人がそういう風に思えたらすごく‥‥。
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糸井 |
いいですね。
それができたら笑いながら失敗できますよね。
そこから、ちゃんと学べますし。
(つづきます)
2012-10-22-MON |