第1回
だれにもわかることばで、
たいていのことはできる。

2012-10-17-WED
第2回
はっきりことばにならない
未分化な心の部分。

2012-10-18-THU
第3回
たどり着かないもの
2012-10-19-FRI

第4回
「聞くこと」と「わかりません」。
2012-10-22-MON

第5回
違和感とコロッケが大事。
2012-10-23-TUE
 
 
 

野村 この本はこれまでに糸井さんが
紡いでいらっしゃった言葉の中から、
とくに若い人に向けてまとめられた本だと
うかがったんですが、
どうしてこの本を出そうと思われたんですか?
糸井 この本については、ぼくは読者なんですよ。
もとの原稿は、たしかにぜんぶ
自分で本気で書いているんですけど、
本にするにあたって、このことばを載せようとか、
こういう順番で読ませようとかいうのは
ぜんぶ、うちの編集者がやってることなんです。
だから、ぼくは、できたときに読んで
「へー、おもしろいじゃん」っていう立場で。
野村 読者として読んで、あらためて(笑)。
糸井 自分が書いたのを忘れてたりもしますしね。
だから「どうして出したんですか?」っていうのは、
まぁ、ぼくの書いたものが、
若い人のところに届いてないんじゃないか、
それはもったいないんじゃないかと
思ってくれた人がいて、
こうやって文庫本の形にまとめて読みやすくすれば、
十代の人でも読んでくれると思うから
つくりたいって思った。
ぼくはその話を聞いて、
「へぇーー」って言っただけなんです。
恵まれた著者です、はい。
野村 もとのことばを書かれるときっていうのは、
誰に向けて、というのを考えられるんですか。
それとも、マスに向けてのことばとして?
糸井 うーん、あんまりね、考えないんですよ。
誰にも向けてないともいえるし、
ひょっとしたら自分用のメモかもしれないし、
誰かに訴えたいなっていうきっかけが
あるときもあるんですけど、
いつもはあんまり考えないでやってます。
そのなかに、たまたま若い人がいい時期に
出逢えるといいなと思えることばが
これだけあったということじゃないかな。
野村 私は、若くはないですけど、この本を読んで、
いま言われてすごくほっとするものもありましたし、
もっと若いときに知ってたらラクに生きられたかも、
っていう気持ちもあったりするんですね。
糸井さんは、これらのことばに
「ボールのようなことば。」という
タイトルをつけてらっしゃるんですけど、
それは、誰かに投げたという意味のボールですか?
それとも、ボールのようにいろいろなところへ
飛んでいってほしいという思いからなんですか?
糸井 ボールって形はただの球体なんですけど、
どこに行くかわからない性質がありますよね。
どう弾むもわからない。強くも弱くも投げられるし。
で、ボール1個あれば
どんな遊びもできるじゃないですか。
だいたいの球技って、
ボール1個からはじまりますよね。
「ことば」も、そういう性質を持っていて、
そこがいいなと思ったんですよね。
だから、このタイトルは、
「『ボールのようなことば』っていいな」
っていう意味のタイトルなんです。
そういうものでありたいし、ぼくも受け止めたいし。
野村 糸井さんご自身は、若いときから
この本に書かれているようなことを
考えてらっしゃったんですか?
糸井 うん、じたばたじたばた考えてましたね。
だから、若いときにこういうことばを
知っていたらよかったのになっていうのは、
まず、ぼく自身かもしれません。
いま自分が、「やっとこう書けた」
っていうことを、若いときはどうして
気がつかなかったんだろう、というような。
野村 糸井さんって、70〜80年代の、
いわば時代の寵児としてご活動されていた時期と、
いまの、ほぼ日の主宰者として注目されている時期と
それぞれの立場で発することばに違いはありますか?
糸井 考えてることは、そんなには違わないんですけど、
やっぱり、年をとると、ちょっとずつこう、
足される部分があるんですよね。
時間とともに、粉みたいものが
ちょっとずつ溜まっていて、その結果、
時間を経て「別もの」っていうくらいに
違っていることもありますし、
一方で「ずっと同じこと言ってるな」
っていうこともあります。
野村 糸井さんって、いま、六十‥‥。
糸井 今年、64歳になります。
『When I'm 64』です。
野村 以前、お話をうかがったときに、
精神的な年齢っていうのは止まったままなんだと
おっしゃってましたけど。
糸井 自分のことを何歳だと思って生きているか、
っていう話ですね。
それをぼくらは「魂年齢」って呼んでるんですけど、
どうも自分はそれが29歳くらいなんですね。
あの、誰かのことがどうしても
年上に感じられることがあるじゃないですか。
野村 あります!
すごく年齢が下の人でもあります。
糸井 っていうことは、自分のことを、
その人より下だと思ってるってことですよね。
そういう年齢って、変わらないと思うんですよ。
だからぼく、いまでも電車に乗ってて
お年寄りっぽい人がいると、
「あ、席譲らなきゃ」って思っちゃうんだけど、
そのオレって、何歳よ? とか思って。
野村 (笑)
糸井 もともとぼくは傾向として晩熟だったんですよ。
ちょっと同じ年齢の人より遅れて
いろんなことを考えたり、体の発達も遅かったし。
いまもたぶん晩熟のまま
生きてるんじゃないかなと思いますね。
野村 言葉に対してのセンシティブさっていうのは、
小さい頃からですか?
糸井 そこはもう。まったくわからなくて、
作文とか褒められた覚えってほとんどないですから。
なにか書けるような気がするっていうのを
思ったこともあんまりないんですよ。
コピーライターになろうって決めたときは、
コピーライターの学校に行こうって思ったときです。
そのときは「オレ、これ得意だぞ」とは思いました。
野村 他の人よりできるだろうなって。
糸井 うん。
ただ、自分の文章が上手だとか下手だとか、
そんなふうに思ったことはないですね。
人が書くきれいな文章だとか、いい文章について、
いいなぁって思うことはありましたけどね。
だからそこは、いまでも
書き手としてより読み手としてのほうが
自分としては訓練してきたような気がしますね。
書き手としてはいい加減です、ぼくは。
野村 そんな(笑)。
糸井 ほんとですよ。
走るにしても、長い距離をちゃんと走れないから、
適当な距離ばっかり走ってるというか。
走るのが競争になるんだったら、
面倒だからやらないとか。
やっぱり文章の書き手としては、
ぼくは本当にいい加減だと思いますね。
野村 それは、ご謙遜‥‥?
糸井 って聞こえたら伝わってないんだと思います。
ほんとに謙遜じゃなくてね、
ぼくは、「思うこと」とか「感じること」のほうが
文章なんかよりも優先順位が高いんです。
だから、たとえば、
「前々からそのことについては思っていて、
 うまく言えないんだけど、言うね」っていうふうに
なにかのことばを出したときに、
そのことばを出すに至るまでに感じたこととか、
思ったことのほうにみんなの目がいってほしい。
ことばとしては不完全だけどよかった、
っていうふうに受け止められたらうれしい。
野村 あの、『ボールのようなことば。』のなかに
「だれにもわかることばで、
 たいていのことはできる。」
ということばがありますけれど、
糸井さんは、すごくわかりやすいことばや手法で、
いままで見えていそうで見えていなかったものを、
違う角度からものすごくはっきり見せてくださる
というのがあるように思うんですね。
それは、ことばそのものよりも、そこに至る、
「思うこと」や「感じること」のほうが
得意だからこそ、できることなんでしょうか。
糸井 そうかもしれませんね。
だから、うまくことばにできたときには、
「やっと言えた」みたいな感覚がありますし、
「あ、いま言えたね」って、その場で自分を
ちょっと褒めてあげることもあります。
でも、それはたぶん、誰にでもあることで、
文章が上手だ、みたいなこととは違うことです。
たとえば、子どもとしゃべっているときに、
「この子が、いましか言えない」っていう、
「それ!」っていうことばがあるじゃないですか。
野村 はい。
糸井 それって、人はみんなできてたはずだと思うんです。
だからぼくは、そういうことばを
いつでも取り出せるように
ふわふわさせておきたいっていうか。
スポーツをやってる人って、
どっちの方向にもすぐにダッシュできるように、
いつもかかとを上げてるじゃないですか。
そういうことを長年やってきたから、
たぶん、人より少し得意なんだろうと思うんです。
かかとを上げて、自分を不安定にしておくことで
どっちにもダッシュできる。
こどものことばがすごくいいのも、
もともと持ってる基礎が少なくて、
しっかりしたことばなんか使えないから、不安定で、
どっちに転ぶかわからないからだと思うんです。
こう、体が傾いちゃうことと、
飛び出したことばが同じ、みたいな。
その意味で、ぼくは、意識的に
不安定に不安定にさせておいて
「いま、俺、言えたね」ってことを
なるべく呼び覚ますようにしてる。
野村 はーー。
糸井 あと、「それについては、ずーっと考えてる」
というようなことがたくさんあります。
それも、誰しもあると思いますけど、
たとえば、女の子って、恋愛について
ずっとしゃべってるじゃないですか。
しゃべってること自体が大好きで、
「で、なにかわかったの?」って訊いたら
「なんにもわかんない」って言うかもしれない。
でも、たまにちょびっとだけ
「私、わかったような気がする」
っていうことがありますよね。
そういうことなんだと思いますよ。
恋愛のことであろうが、社会のことであろうが、
人間関係だろうが、お金だろうが、仕事だろうが、
とにかくいつも、ゆらゆらさせておいて、
「やっとこれはここまでは書けるわ」みたいな。
そういうことがたくさんあって、
ぼくの場合はたまたま
「毎日書く」という立場にあるもんですから、
人よりも溜まるんですよね。



(つづきます)

2012-10-17-WED