野村 |
この本はこれまでに糸井さんが
紡いでいらっしゃった言葉の中から、
とくに若い人に向けてまとめられた本だと
うかがったんですが、
どうしてこの本を出そうと思われたんですか?
|
糸井 |
この本については、ぼくは読者なんですよ。
もとの原稿は、たしかにぜんぶ
自分で本気で書いているんですけど、
本にするにあたって、このことばを載せようとか、
こういう順番で読ませようとかいうのは
ぜんぶ、うちの編集者がやってることなんです。
だから、ぼくは、できたときに読んで
「へー、おもしろいじゃん」っていう立場で。
|
野村 |
読者として読んで、あらためて(笑)。
|
糸井 |
自分が書いたのを忘れてたりもしますしね。
だから「どうして出したんですか?」っていうのは、
まぁ、ぼくの書いたものが、
若い人のところに届いてないんじゃないか、
それはもったいないんじゃないかと
思ってくれた人がいて、
こうやって文庫本の形にまとめて読みやすくすれば、
十代の人でも読んでくれると思うから
つくりたいって思った。
ぼくはその話を聞いて、
「へぇーー」って言っただけなんです。
恵まれた著者です、はい。
|
野村 |
もとのことばを書かれるときっていうのは、
誰に向けて、というのを考えられるんですか。
それとも、マスに向けてのことばとして?
|
糸井 |
うーん、あんまりね、考えないんですよ。
誰にも向けてないともいえるし、
ひょっとしたら自分用のメモかもしれないし、
誰かに訴えたいなっていうきっかけが
あるときもあるんですけど、
いつもはあんまり考えないでやってます。
そのなかに、たまたま若い人がいい時期に
出逢えるといいなと思えることばが
これだけあったということじゃないかな。
|
野村 |
私は、若くはないですけど、この本を読んで、
いま言われてすごくほっとするものもありましたし、
もっと若いときに知ってたらラクに生きられたかも、
っていう気持ちもあったりするんですね。
糸井さんは、これらのことばに
「ボールのようなことば。」という
タイトルをつけてらっしゃるんですけど、
それは、誰かに投げたという意味のボールですか?
それとも、ボールのようにいろいろなところへ
飛んでいってほしいという思いからなんですか?
|
|
糸井 |
ボールって形はただの球体なんですけど、
どこに行くかわからない性質がありますよね。
どう弾むもわからない。強くも弱くも投げられるし。
で、ボール1個あれば
どんな遊びもできるじゃないですか。
だいたいの球技って、
ボール1個からはじまりますよね。
「ことば」も、そういう性質を持っていて、
そこがいいなと思ったんですよね。
だから、このタイトルは、
「『ボールのようなことば』っていいな」
っていう意味のタイトルなんです。
そういうものでありたいし、ぼくも受け止めたいし。
|
野村 |
糸井さんご自身は、若いときから
この本に書かれているようなことを
考えてらっしゃったんですか?
|
糸井 |
うん、じたばたじたばた考えてましたね。
だから、若いときにこういうことばを
知っていたらよかったのになっていうのは、
まず、ぼく自身かもしれません。
いま自分が、「やっとこう書けた」
っていうことを、若いときはどうして
気がつかなかったんだろう、というような。
|
野村 |
糸井さんって、70〜80年代の、
いわば時代の寵児としてご活動されていた時期と、
いまの、ほぼ日の主宰者として注目されている時期と
それぞれの立場で発することばに違いはありますか?
|
糸井 |
考えてることは、そんなには違わないんですけど、
やっぱり、年をとると、ちょっとずつこう、
足される部分があるんですよね。
時間とともに、粉みたいものが
ちょっとずつ溜まっていて、その結果、
時間を経て「別もの」っていうくらいに
違っていることもありますし、
一方で「ずっと同じこと言ってるな」
っていうこともあります。
|
野村 |
糸井さんって、いま、六十‥‥。
|
糸井 |
今年、64歳になります。
『When I'm 64』です。
|
野村 |
以前、お話をうかがったときに、
精神的な年齢っていうのは止まったままなんだと
おっしゃってましたけど。
|
糸井 |
自分のことを何歳だと思って生きているか、
っていう話ですね。
それをぼくらは「魂年齢」って呼んでるんですけど、
どうも自分はそれが29歳くらいなんですね。
あの、誰かのことがどうしても
年上に感じられることがあるじゃないですか。
|
野村 |
あります!
すごく年齢が下の人でもあります。
|
糸井 |
っていうことは、自分のことを、
その人より下だと思ってるってことですよね。
そういう年齢って、変わらないと思うんですよ。
だからぼく、いまでも電車に乗ってて
お年寄りっぽい人がいると、
「あ、席譲らなきゃ」って思っちゃうんだけど、
そのオレって、何歳よ? とか思って。
|
野村 |
(笑)
|
糸井 |
もともとぼくは傾向として晩熟だったんですよ。
ちょっと同じ年齢の人より遅れて
いろんなことを考えたり、体の発達も遅かったし。
いまもたぶん晩熟のまま
生きてるんじゃないかなと思いますね。
|
野村 |
言葉に対してのセンシティブさっていうのは、
小さい頃からですか?
|
糸井 |
そこはもう。まったくわからなくて、
作文とか褒められた覚えってほとんどないですから。
なにか書けるような気がするっていうのを
思ったこともあんまりないんですよ。
コピーライターになろうって決めたときは、
コピーライターの学校に行こうって思ったときです。
そのときは「オレ、これ得意だぞ」とは思いました。
|
野村 |
他の人よりできるだろうなって。
|
糸井 |
うん。
ただ、自分の文章が上手だとか下手だとか、
そんなふうに思ったことはないですね。
人が書くきれいな文章だとか、いい文章について、
いいなぁって思うことはありましたけどね。
だからそこは、いまでも
書き手としてより読み手としてのほうが
自分としては訓練してきたような気がしますね。
書き手としてはいい加減です、ぼくは。
|
野村 |
そんな(笑)。
|
糸井 |
ほんとですよ。
走るにしても、長い距離をちゃんと走れないから、
適当な距離ばっかり走ってるというか。
走るのが競争になるんだったら、
面倒だからやらないとか。
やっぱり文章の書き手としては、
ぼくは本当にいい加減だと思いますね。
|
野村 |
それは、ご謙遜‥‥? |
糸井 |
って聞こえたら伝わってないんだと思います。
ほんとに謙遜じゃなくてね、
ぼくは、「思うこと」とか「感じること」のほうが
文章なんかよりも優先順位が高いんです。
だから、たとえば、
「前々からそのことについては思っていて、
うまく言えないんだけど、言うね」っていうふうに
なにかのことばを出したときに、
そのことばを出すに至るまでに感じたこととか、
思ったことのほうにみんなの目がいってほしい。
ことばとしては不完全だけどよかった、
っていうふうに受け止められたらうれしい。
|
野村 |
あの、『ボールのようなことば。』のなかに
「だれにもわかることばで、
たいていのことはできる。」
ということばがありますけれど、
糸井さんは、すごくわかりやすいことばや手法で、
いままで見えていそうで見えていなかったものを、
違う角度からものすごくはっきり見せてくださる
というのがあるように思うんですね。
それは、ことばそのものよりも、そこに至る、
「思うこと」や「感じること」のほうが
得意だからこそ、できることなんでしょうか。
|
糸井 |
そうかもしれませんね。
だから、うまくことばにできたときには、
「やっと言えた」みたいな感覚がありますし、
「あ、いま言えたね」って、その場で自分を
ちょっと褒めてあげることもあります。
でも、それはたぶん、誰にでもあることで、
文章が上手だ、みたいなこととは違うことです。
たとえば、子どもとしゃべっているときに、
「この子が、いましか言えない」っていう、
「それ!」っていうことばがあるじゃないですか。
|
野村 |
はい。
|
糸井 |
それって、人はみんなできてたはずだと思うんです。
だからぼくは、そういうことばを
いつでも取り出せるように
ふわふわさせておきたいっていうか。
スポーツをやってる人って、
どっちの方向にもすぐにダッシュできるように、
いつもかかとを上げてるじゃないですか。
そういうことを長年やってきたから、
たぶん、人より少し得意なんだろうと思うんです。
かかとを上げて、自分を不安定にしておくことで
どっちにもダッシュできる。
こどものことばがすごくいいのも、
もともと持ってる基礎が少なくて、
しっかりしたことばなんか使えないから、不安定で、
どっちに転ぶかわからないからだと思うんです。
こう、体が傾いちゃうことと、
飛び出したことばが同じ、みたいな。
その意味で、ぼくは、意識的に
不安定に不安定にさせておいて
「いま、俺、言えたね」ってことを
なるべく呼び覚ますようにしてる。
|
野村 |
はーー。
|
糸井 |
あと、「それについては、ずーっと考えてる」
というようなことがたくさんあります。
それも、誰しもあると思いますけど、
たとえば、女の子って、恋愛について
ずっとしゃべってるじゃないですか。
しゃべってること自体が大好きで、
「で、なにかわかったの?」って訊いたら
「なんにもわかんない」って言うかもしれない。
でも、たまにちょびっとだけ
「私、わかったような気がする」
っていうことがありますよね。
そういうことなんだと思いますよ。
恋愛のことであろうが、社会のことであろうが、
人間関係だろうが、お金だろうが、仕事だろうが、
とにかくいつも、ゆらゆらさせておいて、
「やっとこれはここまでは書けるわ」みたいな。
そういうことがたくさんあって、
ぼくの場合はたまたま
「毎日書く」という立場にあるもんですから、
人よりも溜まるんですよね。
(つづきます)
2012-10-17-WED |