ほぼ日 | 沼澤さんやギャドソンさんが ドラムをプレイするのと われわれ素人の演奏では 明らかに違うのはわかるのですが、 なにが、どう違うのか、 やっぱりよくわからないんです。 おすしのサビ抜きのように 素人の演奏はグルーヴ抜きになってるんですかね? |
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沼澤 | うーーん‥‥‥‥。 今までまぁまぁやってきたので 同じだったら逆に困るけど(笑)。 まず、グルーヴという言葉を 日本語に訳すとすると、 たぶん「ノリ」になるのかな。 で、ノリは音楽とは全然関係のない 日常生活の中でもつかいますよね。 「お前、ノリいいじゃん」とか 「ノリ悪いっすねー」とか、いうでしょ? |
ほぼ日 | ノリがいい、悪いはつかいますね。 |
沼澤 | それは、たとえば 飲みに行こうぜって誘ったときに いつも断られていたりしたら、 「ノリ悪いなぁ」ってつかう。 |
ほぼ日 | はい、「付き合い悪いなぁ」って意味で。 「ノリ、いいね!」というときは、 やっぱり意見があったときとか‥‥。 |
沼澤 | そうそう。 受け答えのなかで、すごく粋なことを ベストなタイミングで返してくる、 そのスピード感がピッタリあったときに、 「おっ、ノリいいねー!」ってわけですよ。 要するに、 ノリのいい、悪いってことは、 その人たちの間に共通に感じられているものが あるかないか、ということなんです。 |
ほぼ日 | 共通に、感じられているもの。 |
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沼澤 | そう。 なーんの共通点もないときには、 ノリがいい、悪いとかじゃなくて、 「何がいいの、それ」って、 もうそのこと自体が理解できないわけですよ。 |
ほぼ日 | あぁー、そうか。 |
沼澤 | なので、「この人はノリがいい人だ」と たくさんの人からいわれていたとしたら、 おそらく、そのノリがいい人は その人たちと何かしらの共通点を もっているということなんだと思います。 |
ほぼ日 | なるほど。 より多くの共通点をもっている人は、 たくさんの人とノリが合うわけですもんね。 |
沼澤 | で、たとえば、 100人中95人が「ノリがいい」というAさんと 100人中10人が「ノリがいい」というBさんが いるとするでしょ。 明らかにAさんのほうが たくさんの人から「ノリがいい」といわれているけど、 それは決して、Bさんの「ノリが悪い」、 ということではないと思うんです。 少なくとも10人とは感じているものが共通しているし、 その感じているものというのが その10人にとっては 間違いなくノリがいいものなわけですから。 |
ほぼ日 | なるほど。 グルーヴの気持ちよさっていうのは、 単に数だけでは計り知れない、と。 |
沼澤 | そうですね。 ま、基本的には、 このように、ふだんつかうノリと、 グルーヴは同じようなものだと思います。 ただ、特に音楽の世界では、 グルーヴが、作品の出来不出来まで関わってくる。 作品にものすごく影響する、 大きなファクターだってことなんです。 |
ほぼ日 | あの人のドラムじゃ踊れないけど、 この人のドラムでは 自然に体が動いちゃうっていう、 違いになるんですね。 |
沼澤 | そうですね。 音楽やドラムの世界では、 この人のドラムは技術が高くて すごく正確に演奏してるし とってもうまいんだけど、 なんだかつまんないって感じることがある一方で、 どうみても上手ではない演奏が 何かの理由でものすごくカッコよく思えて、 体が思わず動いちゃったり、 楽しかったり、ということがふつうにある。 |
ほぼ日 | うんうん。 そういうことは、 考えてできることではないような 気がするのですが、実際にはどうなんですか? |
沼澤 | うーん、それは人によりけりだと思います。 たとえば、 ぼくがドラムをプレイするとき、 仮に、スガシカオさんのレコーディングに 参加することになったとしましょう。 そのときに、ぼくは 自分が持っている技術や表現力をどう活かせば、 スガシカオさん自身と、彼の音楽が光り輝くか、 ということを第一に考えます。 自分のバンドでプレイするときでも、 基本的には同じですね。 バンドのメンバーの演奏を 最高のものにするにはどうするのか、 と考えてプレイしてます。 |
ほぼ日 | はー、そうなんだー。 幅広くいろんなミュージシャンたちと いっしょに演奏している沼澤さんだから、 そういうところを 人一倍大事にされているんですね。 「オレのプレイを見てくれ!」 ってわけじゃない。 |
沼澤 | そうかもしれませんね。 まずは自分がいるけど、 ぼくにとっての音楽は だれかといっしょに奏でるもので、 一人でなんて、絶対にできないです。 なので、演奏する人だけでなく、 まわりの環境とか、 もうすべてが関与してきますね。 |
ほぼ日 | 環境、というと? |
沼澤 | グルーヴやノリって、 人の変化とともに、変わっていくんですよ。 たとえば、住む環境の変化とか。 いっしょに住んでいるときは 兄貴と仲悪かったのに 結婚して家を出て行って いっしょに住まなくなったら すごく気があうようになった、 みたいなこと、ありますよね。 |
ほぼ日 | あります、あります。 |
沼澤 | それと同じで、今回開催される 「ドラム・マガジン・フェルティバル2012」 でいうと、 ステージにドラムをセットする人、 マイクを立てる人、照明を操る人‥‥。 極端にいえば、車で会場までいって、 駐車場にいれるときに 「こちらへどうぞ」って誘導してくれる人や、 お昼のお弁当を持ってくる人まで、 それに関わっている人が大量にいるわけですよ。 で、その人たちが全部つながってくれてないと、 うまくいかないですよね、やっぱり。 なので、そういう関係性は どんな状況でも一番大事だと思ってますし、 とても気になるところです。 |
ほぼ日 | そうか! ライヴというのは ステージ上の演奏だけでなく、 お客さんやスタッフが一体となって つくり出すグルーヴなんですね。 なるほどー、 グルーヴの入り口が 見えてきたような気がします。 |
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沼澤 | そうです。 つまり、 グルーヴとかノリがいい・悪いというのは、 お互いに何か共通してる感覚があるかないか ということで、 ノリをよくしたいからといって、 練習したり、人から習ったりして 簡単に習得できるものでもない。 ましては、教則本などを読んで 養えるものでは決してない。 ジェームズ・ギャドソンという偉大なドラマーが 歴史的、世界的に最もグルーヴがある人と 音楽の世界で語り継がれてきている。 これこそが、 この人がいかにアーティストやリスナーをはじめ、 多くの人々との共通点があったか、 ということの証なわけです。 あえていうと、 グルーヴという言葉は ギャドソンが世の中に現れたことで 生まれたに等しいことも。 |
ほぼ日 | うわぁ、 なんだかドキドキしてきました。 |
沼澤 | 「ほぼ日」で18日の夜に 糸井さんにも参加していただくワークショップでは、 もちろん、可能なかぎり良質な音で 録音した映像をUstreamで配信できたら、 と思いますけど、 時間のある方は、ぜひぜひ会場まで足を運んで、 この「ドラム・マガジン・フェスティバル2012」で ギャドソンが放つ生の音を体感してもらえると より感覚的にわかってくることがあると思います。 先日もツイートしましたけど、 太鼓の起源は通信なんです。 ステージだけでなく会場全体の空気が振動して 伝わってきた音で交信する、 つまり、グルーヴが生まれるので。 |
ほぼ日 | 今、ほとんどの音楽が コンピューターとか機器をつかえば、 簡単に、しかも 絶対にブレることのないリズムを刻めるのに、 「ギャドソンのドラムでなきゃ!」 って人がたくさんいるのは こういう理由があるからなんですね。 |
沼澤 | それは、単純にドラムという楽器を 人間が演奏するものだからでしょう。 アコースティックな楽器は、 やはり血が通った人間の肉体と感情によって 表現されることに適しているはずですし。 ギターも、バイオリンもすべてそうです。 人間が楽器を演奏することと 機会がビートを生み出すということは どちらもすばらしいけど、 全くの別世界ですから。 |
ほぼ日 | うぁーっ。 最近、ライブに行くのはごぶさたでしたけど、 久しぶりに音の洪水に 身をゆだねたくなりましたよ。 |
沼澤 | ステージの演出はすべて、 ぼくが考えましたし、 なんとか予定通りに行くといいんですけど。 そんなことより、 とにかくギャドソンの 生のサウンドとグルーヴを、 感じてもらえたら。 さっきいっしょに サウンドチェックやってきたんですけど、 あまりにスゴすぎてお話になりませんでした。 立ち会っていた関係者たちが 全員ビックリしてましたから。 生の空気の振動で彼のビートが 伝わってくるのは 信じられない説得力があるんです。 |
ほぼ日 | はい! ライブでは深く考えずに ギャドソンさんの 「Feels Good」を味わうことにします。 「ほぼ日」での沼澤さんの解説も、 たのしみにしています! |
沼澤 | はい、がんばります! (沼澤さんインタビューは、終わりです。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。) |
13日、本日19時より、
「ドラム・マガジン・フェルティバル2012」にて、
沼澤さんとギャドソンさんが共演されます。
まだ、ご予定が決まっていなければ、ぜひ。