ここ数年、糸井重里が折に触れて
「『おちつけ』って書かれた額とか、
お守りがあったらいいと思うんだよね」
というアイデアを冗談のように話していたら、
なんと本当に「おちつけ」グッズができました。
しかも、ことばを書いてくださったのは、
最先端の書で知られる書家の石川九楊先生!
糸井からの一風変わった依頼をおもしろがり、
「おちつけ」のひらがな四文字が何を意味するか、
全身で感じ取って表現してくださいました。
書き上げた「おちつけ」の書を広げて、
ことばのこと、心のこと、人間のことを、
石川九楊さんと糸井がじっくり話します。
- 糸井
- 「おちつけ」ということばを
気に入るようになったきっかけは、
本当に冗談みたいなことなんです。
『さんまのまんま』という番組がありまして、
「さんまさんの部屋」という建前のスタジオに
掛け軸が飾ってあったんですよ。
掛け軸にはいつも違うことばが書かれていて、
その中で、めちゃくちゃ気に入ったのが
「おちつけ」ということばでした。
- 石川
- それが、「おちつけ」。
- 糸井
- 「明石家さんま」という人物に対する
スタッフからのメッセージなんでしょうけど、
それにしても的確な四文字だと感心して、
ずっと覚えていたんです。
軸や額にはふつう、
立派なことが書かれているものですが、
そのことばが妙に気に入ってしまったんです。
ぼくらもいろんな局面にぶつかりますが、
ろくでもないことはいつだって、
落ち着かないことが原因で起きていますから。
- 石川
- うん、うん。
- 糸井
- いろんな経営者の方とお話をしても、
「ダメなときはどういうときですか?」
と問いかけると、だいたい共通しているのは、
「考えが何も出なくなっちゃうことが一番ダメ」
「真っ白になっちゃうことが一番いけない」
という答えが返ってくることが多いんです。
世の中のいろいろな物事を見ても、
真っ白になった人が、一番よくしゃべる。
何も考えなくなっちゃったときに
ギャーギャー叫ぶんだと思っていたら、
四文字の「おちつけ」が頭に浮かんできたんです。
- 石川
- ええ。
- 糸井
- いつでも「おちつけ」ということばと
暮らせたらいいんじゃないかなと思いました。
漫画のキャラクターグッズがあるように、
ことばだってキャラクター性を
持っているんじゃないかと思うんです。
「おちつけ」をキャラクターとして
使えないかなと思って
さんまさんのマネージャーさんに問い合わせたら、
「うちにはそんな権利はないので、どうぞ」
と言ってもらえました。
「おちつけ」と書かれた額とかお守りが
あったらなと考えてはいましたが、
まさか本当に実現できるとは(笑)。
- 石川
- はい、できましたね(笑)。
- 糸井
- 「おちつけ」が、そのまま活字で書かれた
カードを持っていてもおもしろくありません。
石川さんなら「おちつけ」をどう解釈して、
どう書くんだろうと興味深かったんです。
- 石川
- ありがとうございます。
「おちつけ」というのは、
次の行動に移させる呼びかけの
ことばかもしれません。
糸井さんから最初にお話をうかがったとき、
現代の書の水準で書くとしたら
どうなるかなと考えました。
- 糸井
- たしかに、行動に移させることばですね。
- 石川
- まずは「おちつけ」ということばが
どういう意味を持っているのか。
「おちつけっ!!」って叱りつけているのか、
「まあ、おちつけ」とやわらかく言っているのか。
あれこれ考えながらいくつか書きまして、
それを磨くのに時間はかかりましたけれど、
5つぐらいに整理して、
最終的に選んでいただいたのがこちらですね。
- 糸井
- 石川さんから提案いただいた書を拝見したら、
「おちつけ」の正体がわかった気がしたんです。
「おちつけ」は自分が自分に言っていることで、
他者のないことばなんだなと、
ぼくの中で解釈しなおしたんです。
- 石川
- うん、うん。
- 糸井
- 自分の中から聞こえてくることばなんです。
なぜそういうふうに思えたかというと、
石川さんがそういうふうに
書いていらっしゃるように思えたから。
行動の前に、空白がある気がして。
- 石川
- そう、空白はありますね。
- 糸井
- まさしくそうですよね。
石川さんが書くプロセスに参加できて
おもしろかったんです。
- 石川
- 自分の内から出てくるメッセージではなく、
与えられたメッセージを書くというのは、
ぼくにはとても珍しい経験でした。
誰かに頼まれた書でも、普段なら名詞とか、
あるいは誰もが共通に知っているような
詩や句は書いたことがありますけど、
与えられたメッセージを書くのは難しくて。
- 糸井
- たとえば屋号を書くことを
お願いされることはないんですか?
- 石川
- 屋号はあります。
ただ、屋号の場合は、会社の歴史や理念から
ある程度方向が、私にも理解できますから。
しかし、メッセージには思想が乗っかる。
思想的なものを含んだものを書き表すのは、
じつに大変な作業なんです。
- 糸井
- ああ、「おちつけ」の四文字は
確かに思想的なものですもんね。
- 石川
- この「おちつけ」がどんな「おちつけ」なのか、
自分の中で格闘しなきゃなりませんから。
- 糸井
- ただ文字を書くだけ、
ということはありえませんよね。
- 石川
- 絶対にありえないですね。
ただ驚いたことに、
自分の体に入り込ませないようにして
自動機械的に書けてしまう書道家もいるんです。
過去に、こういう不思議なことがありました。
日中国交がなかった時代に、
中国に反目していたはずの書壇の人たちが、
田中角栄時代に日中国交が回復した途端、
揃って毛沢東の詩を書いた。
敵のように言っていた人の詩を平気で、
今まで通りの表現で書いてしまうんですよ?
そんな馬鹿なことがありますか(笑)。
- 糸井
- 「大嫌いだ!」と口では言いながら、
嫌なものを写経しているということですか。
- 石川
- いや、ことばが自分の身体を
通っていないのではないでしょうか。
自分の中に入ってこさせないスタイルだから、
なんでも書けてしまうんです。
メンタル面も含めた体中の細胞を
全部動かさないと、ぼくは書けません。
もしもぼくに憎む相手がいたとして、
「首魁の詩を書け」と言われても
「そんなもの書けるか!」と答えるでしょう。
無理に書くことを強要されたら
目をつむって書かないとしょうがない、
心の目をつむってね。
- 糸井
- そう言われてみると、
ぼくもコピーライターをやっていた
時代のことを思い出します。
ぼくの仕事では、自分の頭を使って
企業のメッセージを考える機会が山ほどありました。
コピーを書くためには準備が必要で、
インタビューをたくさんしたり、
普段のおつきあいがある会社だから書けたんです。
気軽に「うちのコピーを書いてくれ」と言われても、
「できません」と答えるわけですよ。
- 石川
- そりゃあそうですね。
- 糸井
- ちょっと取材をして、
「こういうことですね。はい、できました」
というのも遊びとしてはできますけど、
それでもやっぱり、いいコピーとは言えません。
たとえば、西武セゾングループの仕事は
長く担当していましたから、
堤(清二)さんが本当は何を言いたいか、
「あ、わかった気がする」から始まって
「でも、それじゃあ伝わらないから、
もうちょっと違うほうから光を当てよう」
と、けっこう格闘するんですよね。
- 石川
- そうでしょうね。
- 糸井
- 石川さんがおっしゃったように、
ことばにはイデオロギーがあります。
商品の広告でも「何を思っているんだ」という
根っこを理解できていないと、
本当はコピーを書けないんだと思います。
- 石川
- そのとおりだと思います。
(つづきます)
2019-01-28-MON
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN