ここ数年、糸井重里が折に触れて
「『おちつけ』って書かれた額とか、
お守りがあったらいいと思うんだよね」
というアイデアを冗談のように話していたら、
なんと本当に「おちつけ」グッズができました。
しかも、ことばを書いてくださったのは、
最先端の書で知られる書家の石川九楊先生!
糸井からの一風変わった依頼をおもしろがり、
「おちつけ」のひらがな四文字が何を意味するか、
全身で感じ取って表現してくださいました。
書き上げた「おちつけ」の書を広げて、
ことばのこと、心のこと、人間のことを、
石川九楊さんと糸井がじっくり話します。
- 糸井
- 「おちつけ」ということばについて、
さっそく正体がわかってよかったです。
石川さんご自身は、
落ち着くことについて
これまでに考えたことはありますか?
- 石川
- 糸井さんからお話をもらったときにね、
最初、こんなことばを思い浮かべたんです。
1970年代だったかな、
清水寺の貫主の大西良慶さんが書いた
本の題名が『ゆっくりしいや』でした。
- 糸井
- ほおー。
- 石川
- 信者さんに「ともかく、ゆっくりしいや」
と常々言っておられたんです。
そのことがふっと頭をよぎりましたが、
似ているようで、また違う。
何が違うのかといえば‥‥、
「ゆっくりしいや」は
急がずにやりなさいということ。
「おちつけ」は「落ち」を「着け」ろということ。
- 糸井
- どういうことでしょう。
- 石川
- 書の指導をしていますとね、
ぼくの教え子がどうしても
一本調子になってしまうことがあるんです。
自分なりに展開を考えているつもりでも、
筆蝕そのものが展開しないで、
同じ調子になってしまう。
大きくなったり小さくなったり、
長くなったり短くなったり、
細くなったり太くなったり、
多少の変化はあれど、本質的には変わっていかない。
- 糸井
- ああー。
- 石川
- そのとき、ぼくは「休め」と言うんです。
展開ができないのは、
現場が見えていませんから。
休んで、現場をよく見るように、と。
- 糸井
- 自分のやっていることが
見えなくなってしまうんですね。
- 石川
- 書いている自分の動きの全てを
精密に見られなくなってしまうんです。
慣れてきた人ほど、じつは危ない。
言ってしまえば、頭や全身を動員せずに
手だけで書いてしまうんですね。
そういう時は、休んでもらいます。
「今日は休んで、翌日にもう一回新たに書きなさい。
書いてきたものをつづけてもいいし、
まったく書き改めてもいい。
とにかく、今まで書いてきたとおりには書くな」
といったことを伝えるんです。
- 糸井
- ガラッと変えなさい、
ということでしょうか。
- 石川
- ガラッと変えろと言っても、簡単には変われません。
同じ人間が一晩寝ていろいろ考えて
変えてみたところで、たかが知れているわけですよ。
だけどね、そういうことを積み上げていかないと、
人は全然変わっていけません。
作品が褒められたら嬉しいけれども、
その現場で新しい発見が何もなければ、
当人は楽しくもなんともないわけです。
- 糸井
- 発見がないと、
喜びになりませんね。
- 石川
- 発見がないと、
どんどんスポイルしていって
本心は書くことが嫌になっていきます。
嫌になった状態で書いていれば
ますます何も出てこない‥‥、
という悪循環に入ってしまいます。
上昇していくのか、下降していくのか、
作品を見ていたら見事にわかります。
やはりね、展開していかないと。
- 糸井
- 変化がないということは、
死んじゃうってことですもんね。
書では、どう展開するのがいいんですか?
- 石川
- 絶えず、新たな方向へと進むべきです。
本人は自分自身の道を目指して上へと進み、
過去についてはより広く深く知っていく。
過去を引き連れることで、
自身はすこし前へと進むことができるんです。
他の作品で表現しきれていない部分に
ようやく入っていけるようになります。
- 糸井
- 書きながら批評的に見る力も、
絶えず問われていると。
- 石川
- そうです、そうそうそう。
- 糸井
- それってつまり、
「俺の書がいいか悪いか
わからないんだけど、どうかな?」
ということはない、ということですね。
- 石川
- ありえないですね。
ほとんどは最初の第一筆で、
ダメなものはダメとわかります。
- 糸井
- ああ、だから反故にするんだ。
- 石川
- そうです。
第一筆の触りで、
次に展開してくるであろうものが
触覚的にワッと見えてきますから。
最初の起筆のところで、
すこし書き始めて「違う」とわかる。
あるいは一画、次は一字ですね。
大きな作品でも二、三字書けたら、もういけます。
あとはもう書きながら修正していけばいい。
- 糸井
- ものすごい大作でも?
- 石川
- そうです。
- 糸井
- どんな大作であっても、
もともとは一、二、三字から
始まっているわけですね。
そう考えたら恐ろしいです。
- 石川
- はい。
しかし、文字を単位に物語が始まるんじゃない。
一点、一画、その前は筆先と紙との
接触=触覚に始まっています。
- 糸井
- いやあ、おもしろいです。
石川さんの書についてのお話は、
書家以外の本職としてやっている仕事にも、
通じていると思うんですよね。
(つづきます)
2019-01-29-TUE
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN