ここ数年、糸井重里が折に触れて
「『おちつけ』って書かれた額とか、
お守りがあったらいいと思うんだよね」
というアイデアを冗談のように話していたら、
なんと本当に「おちつけ」グッズができました。
しかも、ことばを書いてくださったのは、
最先端の書で知られる書家の石川九楊先生!
糸井からの一風変わった依頼をおもしろがり、
「おちつけ」のひらがな四文字が何を意味するか、
全身で感じ取って表現してくださいました。
書き上げた「おちつけ」の書を広げて、
ことばのこと、心のこと、人間のことを、
石川九楊さんと糸井がじっくり話します。
- 糸井
- 書家以外の仕事でも、
本職としてやっているかどうかで、
表現に違いは出てくると思うんです。
本職にしていなければ、
形として成り立っていれば褒められるけれど、
本職の人ではそうはいかない。
「わたし、エレクトーン習ってるのよ。
ゴッドファーザー『愛のテーマ』を弾くわね」
という人がいたとしたら、
自分が弾いているものを聴いてはいません。
「おお、弾けたー! 上手だね!」
となっても、それは形ができただけです。
書を習っている人の中にも、
書く力よりも見る力がない、
という人は当然いらっしゃるでしょう?
- 石川
- ええ。じつに九割以上の人が、
書をわからずに書いていると思います。
- 糸井
- はあ、そうかあ。
文章を本職にしている人も、
書く力と同じぐらい、読む力が必要だと思うんです。
「これを許すか、許さないか」というところに、
本職と素人の差が出てきます。
文章を本職にしている人にとっては、
「下手な文章を書いていることは
自分でわかっているけれど、
下手さだけじゃない何かが完成するかもしれない。
もう少し、そのまま続けて書いてみよう」
ということがあるんです。
それは少なくとも、読めて書けていますよね。
- 石川
- うん、うん。
書の場合も癖の強い字だけれど
これをひとつのスタイルにまで
究めようとする書法もありますね。
- 糸井
- 素人でいるうちは
何も考えなくても手が動いてしまうから
文が踊っているように見えるんです。
それでも、他人のことばを借りて
なにかの文章をまとめるとなると、
他人のことばを埋めているだけでも
文章を書けている気になれるんですよね。
考えてみれば、書家の人にとっては、
決まり文句を書く機会が山ほどありませんか。
- 石川
- ありますねえ。
作家や詩人の詩や句を書いた作品を見て、
それを「いい句ですね」と
褒められたって仕方ないんです(笑)。
- 糸井
- 石川さんも、人から頼まれた仕事をしていると、
自分ではいいと思えないものでも
「美しいと言え」というような風潮だって、
ときにはあったわけでしょう?
- 石川
- 正直に言うと、今もあります。
マスコミとか広告代理店の担当者とか、
あるいはクライアントの目が
とても緩んできているんじゃないでしょうか。
昔だったら目を疑うような書が、
堂々と書道家の書として世に出ていますからね。
- 糸井
- 世の中の広告にも、書は山ほどありますよね。
書については素人のぼくでも、
「この書はいらないんじゃないか?」
というものも、山ほどあると思っています。
- 石川
- 筆を持って墨をつけて書けば、
それで「書」だと思っているんだから。
そんな馬鹿なことはありません。
鉛筆で書いたって「書」になります。
筆を持って書いたからってね、
それを「書」とは言ってくれるなと。
- 糸井
- 歌の世界でも同じことが言えそうですね。
カラオケの採点機能の点数がよければ、
いい歌なのかといえば、それは違うと思うんです。
- 石川
- なるほどね。
- 糸井
- この間、前川清さんと一緒にカラオケをやったんです。
お店に採点するカラオケの機械があって、
「この曲を歌っている人が全国で○人います。
あなたはそのうちの○番です」
という点数が、前川さんはものすごく低くて。
- 石川
- おお、そうなんですか。
- 糸井
- 最初はグングン点が伸びていって、
やっぱりすごいなーと思っていたら、
途中から、なぜか点が伸びませんでした。
採点機の登録に合わせて採点しているから、
本人が「ウオ~ウ」とかやっても、
点数には加算されないんですよ。
「今度、舞台にこの機械を置いて、
お客さんの見ている前で悪い点を出してみたい」
と前川さんも話すぐらい盛り上がったんです。
前川さんは「歌の技術がない」と言っていますし、
「歌が好きだと思ったこともない」と
言い張ってはいるけれど、
ぼくらは前川さんの歌が大好きで聴いています。
- 石川
- うん、うん。
前川清さん、ぼくも好きなんですよ。
前川さんとカラオケなんて羨ましい。
そういえば糸井さんは、
ラジオ深夜便の「あなたとわたし」の
歌の作詞をしておられましたね。
- 糸井
- 石川さんもお好きでしたか!
書と歌には、
似ているところがあると思うんです。
- 石川
- 西田幾多郎のことばにね、
「書は音楽だ」というものがあるんです。
いずれも具象的ではなく、
どこまでも抽象的かつ時間的な表現であると。
- 糸井
- 書は音楽。
- 石川
- この「おちつけ」だって音楽ですよ。
無声の音楽が流れている。
「おちつけ」の各文字の左側。
左側の位置関係をよく見てください。
各文字の左端にオタマジャクシの頭の形を
マークしてください。
それとは別に天から地へ
等間隔の5本の垂線を書いてみてください。
これが、タテの五線譜です。
書家は作曲家で演奏家、
すべて垂直に作っていくんです。
- 糸井
- ああ、五線譜か!
- 石川
- 垂直を意識して書くと、
書かれた字が五線譜のように見えてきます。
4分音符や8分音符が生まれて、
書から音楽が奏でられるんですよ。
- 糸井
- はあー、おもしろい。
- 石川
- 書とは、無声の音楽なんです。
五線譜で作曲をしているようなもので、
そこには音階が生まれているんです。
だから書の展覧会をやるときには、
決して音楽を流してはいかんのです。
- 糸井
- なるほど。
- 石川
- 以前、大阪で開催されていた
展覧会を見に行ったのですが、
会場にBGMが鳴っていたんです。
耳障りで、そんな場所で書は鑑賞できませんよ。
だって、書家の奏でる音楽が聴こえないんだもの。
- 糸井
- 絵画も音楽とは言えないですか?
- 石川
- 絵画については、
描いている瞬間は音楽と呼べると思います。
ただし、鑑賞するときは違う。
絵画は書と違って、
描かれる時間、順序がたどれません。
- 糸井
- そうか。「書」には順序があるから。
絵画の鑑賞は戻ることもできますもんね。
- 石川
- そうです。
音楽も楽譜のとおりに奏でるでしょう?
- 糸井
- 石川さんのお話を聞いていると、
たしかに書の展覧会では、
音楽を流すべきではありませんね。
いや、思ってもみませんでした。
- 石川
- 「音楽を聴きながら書く」という人もいますが、
それは音楽のメロディやリズムが
書に投影されているからでしょう。
自分が書いているものとは違うんです。
- 糸井
- 音楽との共同作品になるわけですね。
- 石川
- そうそうそう。
- 糸井
- はあー。
(つづきます)
2019-01-30-WED
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN