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今、消費者に「作品」というものが
求められていると感じますか?
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細井 |
僕は、全国のロフトを見てきているんですけど、
そういう空気は感じますね。
これはちょっと「作品」ということとは
違った話かもしれないんですけど、
あるひとつのアイテムを買っても、
その用途って、人によってさまざまなんです。
たとえば、「重箱」という商品があったとして、
それを重箱として使う人ももちろんいるし、
大切なものをしまっておく箱に使う人もいるし、
レターボックスに使う人もいる。
使い手の感性にゆだねられている部分が多くて、
「使い手側の手づくり感覚」みたいなもので
使い方は、みんなバラバラになるんです。
また、商品の価格についての感覚も、
人によってほんとうに違うんですね。
150円のノートが売れている横で、
1500円のノートをうれしそうに
買っていくお客さんが想像以上にいる。
そういう、買い手の豊かな個性みたいなものに、
「作品」に通じるものを感じます。
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大熊 |
お客さんって、
「時代の気分」にとても敏感ですよね。
ここ(CLASKA/DO)の場合、
「作品」というくくりに当てはまる商品が
割に多いと思うんですけど、
お客さんは、そのとき無意識に感じているの
「時代の気分」のようなものにハマると
パッと買っていく感じなんですよ。
個人的な分析ですが、世の中の気分を
ナチュラルで手仕事的な世界観と、(もう死語かもしれませんが)
六本木ヒルズ的なデザインコンシャスで脂っ気のある世界観を
「素」と「艶」という言葉で捉えているんですけど、
今は、その六本木ヒルズ的な
「艶」の方は崩れてきていて、
手仕事的な「素」の方により多く
目が向けられてきているなぁと感じています。
お店としては、
その「素」と「艶」の間に存在する中間層、
いわば「時代の気分」で
好みが変わる人たちの心を
どうやってつかむかが
とても大事なことだと思っています。
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CLASKA/DOでは、商品を買い付けるとき、
なにか基準のようなものがあるのでしょうか?
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大熊 |
やはり、「自分の感覚に訴えるもの」が
そうしても基準になってしまう部分がありますが
そのうえで、ということでいうと、
たとえば、DOの場合は日本の伝統工芸品なども
扱っていますが、取ってつけたようにそういうものがある
というのではなく、海外のものに囲まれて暮らしている
日々の暮らしの風景の中に、
ポンッと置かれていても違和感のないもの、
逆にモダンで、今っぽくさえ感じられるのではと思えるもの、
そういうものを選んでいます。
ふつうのリアルな暮らしに、
商品がどう落とし込めるのか?
そういう観点を大切にしています。
だから、見つけてくるというよりは、
再発見するような気持ちなんですよね。
あとは、値段というのも重要な基準です。
自分がお客さんの立場に立ったときに、
リアリティのある価格かどうか、これは大事ですね。
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細井 |
作品大賞に選ばれるものにも
同じことがいえるかもしれないですね。
たとえそれが、
品目における常識的な価格帯でなくても、
少し頑張れば、買える値段であること。
そこはポイントかもしれないです。
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大熊 |
100円のコップと
10000円のコップがあるとしたら、
100円のものは用途を満たすだけでいい、
10000円のものは
こだわりや虚栄心を満たすかもしれない。
でもその間の価格帯のものを欲しがる人がいて
その欲求はグラデーションになっている。
そこをいくらで値付けするのか?
そこは作家さんと
よく相談しないといけないところですね。
作家さんによっては、
手間と時間をかけている分、
感覚的に高いなあと思う値段が付いていることもあります。
その気持ちもよくわかるんですけど、
「その値段なら、残念ながら扱えません」
ということになることもあります。
とはいえ、作家さんにはやはり
自尊心や自負がありますから、
うっかりしたことを言って
不快な思いをさせたくはない。
そのあたりは、難しいですね。
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細井 |
わかります。
ひと工夫すれば、コストは下げられるけれど、
変にそこに固執すると、
作品としての魅力は失われてしまうかもしれない。
つくる側と売る側が、
値付けのところで平行線を辿ってしまうようあれば、
断念しなければいけない場合もありますよね。
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大熊 |
ある器に柄を描かなければ、
手間が減るから、コストは下がる。
しかも、柄を描かないほうが
買い手にとって、いいこともある。
ある焼き物の組合と連携して、
窯元さんたちとものづくりを
したことがあるんですけど、
彼らからしてみると、
「絵をたくさん描いてなんぼ」という感覚がある。
まあ色絵を売りにしているから当たり前なんですけど。
でも、僕らの感覚から言えば、
ポイント的にポンと柄があるだけで
十分にかわいい。
そういう感覚は、
つくり手の窯元の人たちからすると、
凄く新鮮みたいなんですね。
怒られそうになることもありますが(笑)
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ものを選ぶだけでなく、
プロデュースすることも重要なんですね。
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細井 |
ものだけではなく、
工程や流通の管理も大切だと思います。
「これは、どんなに頑張っても、
月に50個しかつくれないんです」
というものがあったとして、
それをもっとたくさん
世の中にシェアしていきたいと思ったら、
その工程を工夫していくしかない。
もしくは、物理的なサポートだけでなく
作家さんの力を引き出すという工夫。
たとえば、それをつくっている人が、
自分以外の人に商品の価値を認めてもらうことで、
「もっと喜んでもらおう」と
モチベーションを強めて、
月に50個だったものが100個につくれる、
そういうこともあるかもしれない。
ただ、生産体制をととのえて量を増やすことが
そのもののよさを損なうこともありますから
そこはけっこう難しい問題なんです。
たとえば、誰かが手づくりの財布をつくるとして、
「こんな財布をつくったら素敵だぞ」と感じた人が
革の選定から、色や形にいたるまで、
ひとりですべての工程を吟味してつくれば、
その作家の分身みたいな財布生まれるはずなんです。
でも、50個を100個にしたり、
100個が200個になるように
工程を工夫していった場合、
作家さんがすべての工程をみるわけにはいかず、
第三者に任せなければいけない状況が出てきます。
そのときに、
「私は、こんなものがつくりたかったわけじゃない!」
というふうになってしまうこともある。
そのあたりが「作品」をお客さんとつなげるうえで
難しいところだと思います。 |
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