第1回 「つくりたい!」という欲求
2010-05-24
第2回 「作品」を売場に並べるために
2010-05-25
第3回 つくり手と社会との接点として
2010-05-26



── まず最初に、
この「作品大賞」の話を聞いたときの
感想から教えてください。
大熊 最初にお話をうかがったときには、
「作品」ってなんなんだろう?
って思ったんです。
ふつうなら、「何々作品大賞」と
作品の前にどんな作品かを連想させるワードが
あるはずなのに、ずばり「作品大賞」だったので。
でも、説明を聞いて、
「ああ、そういうことなんだ!」と
おぼろげながらわかりました。
大量生産品とアートの間にあるもの。
それが「作品」なんだ、と。
細井 CLASKA/DOのショップを拝見すると、
「作品」に近いものを
扱ってらっしゃいますよね。
でも、ロフトの場合、ほとんど
機械でつくっている大量生産品を扱っていて、
「作品」と呼べるものがないに等しいんです。
だから、最初にこの話がきたときには、
ちょっと困ったんですよ。
「作品」を扱ってない立場の自分が
それをきちんと判断できるだろうか、と。
ただ、「作品」そのものからは
少し遠いところにいるとしても、
生活雑貨を扱う立場からは、
お手伝いできるかもしれないと思いました。
アートでもなくて、大量生産品でもなくて、
でも、自分の生活にとり込みたいと思うものがあれば
それは「作品」として魅力的だろうなあと
自分でも自然と思えましたから。
大熊 僕なりに、作品というものを捉えてみると、
やはり「人の手」が介在するものなのかなと思ったんです。
人って、何かつくらずにはいられないところがある。
まず、「つくりたい!」という欲求が、
商売とは別のところで存在する。
そういうものづくりのあり方からしか
生まれないものが、たしかにあると思うんです。
でも、そういうものって、
社会とのつながりという点でいうと、
弱い場合がほとんどですよね。
この賞は、そこをつなげられる可能性があると。
── 「つくりたい!」という
純粋な欲求から生まれたものを、
社会につなげていく。
まさにそれが「作品大賞」の
目指していることだと思います。
大熊 僕自身は、ものづくりをする人ではないけれど、
それでも日常のなかで、
落書きのような絵を描いたり、
ちょっと手を動かす作業をしたりするだけでも、
喜びを感じるときがあります。
身近にいるものづくりをしている人たちを見ていると
ほんとうに手を動かしてつくるのが好きなんだなと
よく思います。
できあがると、すぐにまたつくるんです。
子どもなんかもそうですよね。
だから、人間の本能として、
なにかを「つくりたい」という欲求は、
常に存在しているんだと思います。
そして、効率とか生産性を考えずに手作りされたものにしかない
輝きっていうのがやっぱりあるんですよね。
そういう贅沢さは、何ものにもかえられない。
以前オランダのノミの市で、ハムスターを飼うような
木の小屋を買ったんです。
それは既成の商品ではなくて、
想像ですがたぶん、お父さんがハムスターを飼う子供のために
日曜大工的につくったもののようでした。
もちろん作り手のセンスを感じたから僕は惹かれたのですが
それだけではなくて手間ひまかけ、さらに愛情まで
込められている感じが伝わってきたのだと思います。
そういう感じって、きっと、
「作品大賞」にも通じるものだと思うんです。
細井 その木の小屋のつくり手は、
つくる技術もセンスもある。
でも、多分、それを世の中に発信して、
売るということについては、
さっぱりわからないと思うんですね。
だから、たとえば、とある主婦の台所に、
ある手づくりの素敵なものを見つけたとして、
それを「作品大賞」で発掘して
世の中にお披露目できたとしたら、
それは画期的だと思うんです。
大熊 そういう意味では、
他薦制度で、他の人が横から、
「ここにこんなものを
 つくっている人がいますよ!」
なんて言える仕組みも今後あったりすると、
なお、面白くなるかもしれませんね。
(つづきます)

2010-05-24-MON