── |
まず最初に、
この「作品大賞」の話を聞いたときの
感想から教えてください。
|
大熊 |
最初にお話をうかがったときには、
「作品」ってなんなんだろう?
って思ったんです。
ふつうなら、「何々作品大賞」と
作品の前にどんな作品かを連想させるワードが
あるはずなのに、ずばり「作品大賞」だったので。
でも、説明を聞いて、
「ああ、そういうことなんだ!」と
おぼろげながらわかりました。
大量生産品とアートの間にあるもの。
それが「作品」なんだ、と。
|
|
細井 |
CLASKA/DOのショップを拝見すると、
「作品」に近いものを
扱ってらっしゃいますよね。
でも、ロフトの場合、ほとんど
機械でつくっている大量生産品を扱っていて、
「作品」と呼べるものがないに等しいんです。
だから、最初にこの話がきたときには、
ちょっと困ったんですよ。
「作品」を扱ってない立場の自分が
それをきちんと判断できるだろうか、と。
ただ、「作品」そのものからは
少し遠いところにいるとしても、
生活雑貨を扱う立場からは、
お手伝いできるかもしれないと思いました。
アートでもなくて、大量生産品でもなくて、
でも、自分の生活にとり込みたいと思うものがあれば
それは「作品」として魅力的だろうなあと
自分でも自然と思えましたから。
|
|
大熊 |
僕なりに、作品というものを捉えてみると、
やはり「人の手」が介在するものなのかなと思ったんです。
人って、何かつくらずにはいられないところがある。
まず、「つくりたい!」という欲求が、
商売とは別のところで存在する。
そういうものづくりのあり方からしか
生まれないものが、たしかにあると思うんです。
でも、そういうものって、
社会とのつながりという点でいうと、
弱い場合がほとんどですよね。
この賞は、そこをつなげられる可能性があると。
|
── |
「つくりたい!」という
純粋な欲求から生まれたものを、
社会につなげていく。
まさにそれが「作品大賞」の
目指していることだと思います。
|
大熊 |
僕自身は、ものづくりをする人ではないけれど、
それでも日常のなかで、
落書きのような絵を描いたり、
ちょっと手を動かす作業をしたりするだけでも、
喜びを感じるときがあります。
身近にいるものづくりをしている人たちを見ていると
ほんとうに手を動かしてつくるのが好きなんだなと
よく思います。
できあがると、すぐにまたつくるんです。
子どもなんかもそうですよね。
だから、人間の本能として、
なにかを「つくりたい」という欲求は、
常に存在しているんだと思います。
そして、効率とか生産性を考えずに手作りされたものにしかない
輝きっていうのがやっぱりあるんですよね。
そういう贅沢さは、何ものにもかえられない。
以前オランダのノミの市で、ハムスターを飼うような
木の小屋を買ったんです。
それは既成の商品ではなくて、
想像ですがたぶん、お父さんがハムスターを飼う子供のために
日曜大工的につくったもののようでした。
もちろん作り手のセンスを感じたから僕は惹かれたのですが
それだけではなくて手間ひまかけ、さらに愛情まで
込められている感じが伝わってきたのだと思います。
そういう感じって、きっと、
「作品大賞」にも通じるものだと思うんです。
|
|
細井 |
その木の小屋のつくり手は、
つくる技術もセンスもある。
でも、多分、それを世の中に発信して、
売るということについては、
さっぱりわからないと思うんですね。
だから、たとえば、とある主婦の台所に、
ある手づくりの素敵なものを見つけたとして、
それを「作品大賞」で発掘して
世の中にお披露目できたとしたら、
それは画期的だと思うんです。
|
大熊 |
そういう意味では、
他薦制度で、他の人が横から、
「ここにこんなものを
つくっている人がいますよ!」
なんて言える仕組みも今後あったりすると、
なお、面白くなるかもしれませんね。 |
|
|
(つづきます) |