あの会社のお仕事。 気になる会社に 素朴な疑問をどんどんぶつける。  六花亭製菓 編
 
第4回  マルセイバターサンド。
 
── 今、ちょっとお話に出た
「マルセイバターサンド」について、
おうかがいしてもいいですか。
小田社長 ええ。
── 昭和52年、六花亭の前身「帯広千秋庵」から
現在の社名に変更するとき、
新商品として開発されたものだと聞きましたが、
それまでの六花亭の主力商品が‥‥。
小田社長 ホワイトチョコレート。
── 先代の小田豊四郎社長が日本ではじめて
製造に成功したんですよね。
小田社長 昭和40年代後半、北海道に来た「カニ族」が
全国に持ち帰ったことで、有名になったんです。
── カニ族というのは、
今でいう「バックパッカー」のような
観光客のことですね。
当時、登山などに用いられるリュックサックの主流は
横幅の広い「キスリング型リュックサック」。
これを背負った旅行者は、列車の通路などを通ろうとすると
カニのように横歩きしなければならず、
また、単純に背負う姿が「カニ」のようだったことから
「カニ族」の名前で呼ばれていた‥‥んですって。
小田社長 当時は「池田町の十勝ワイン」に
「愛国から幸福行きの国鉄のチケット」、
それに
うちの「ホワイトチョコレート」が
三種の神器とかって言われてて。
── そのホワイトチョコをクリームに練り込んだのが
マルセイバターサンドなわけですね。
小田社長 そう、そう。

小川軒さんの「レイズン・ウィッチ」って
お菓子あるでしょう?
── はい、東京の、小川軒。
あちらも、おいしいですよねぇ‥‥。
小田社長 社名変更記念のお菓子を考えているとき、
お取引業者さんが、
参考までにって持って来てくれたんです。
── あの「レイズン・ウィッチ」を?
小田社長 そう、そう。

当時、大人気で製造が追いつかなかったほどの
あの「レイズン・ウィッチ」を
ぜひとも、新しい六花亭製菓の味にしたい。

で、いろいろと試行錯誤したんだけど、
結局たどり着いたのが、
うちのホワイトチョコレートだったんですよ。
── あの「レイズン・ウィッチ」が元だったとは‥‥。
小田社長 うちのホワイトチョコレート自体、
ちょっと特殊な製造工程でつくられているから、
それで他との差別化を図ったんです。
── 結果的に、小川軒の「レイズン・ウィッチ」とは
かなりちがったお菓子になってますよね。
小田社長 そうですね。
── 先ほどのお話ですと、
そうして出来たマルセイバターサンドにも
改良を加えているとのことですが‥‥。
小田社長 細かな改良は何度となくやってますが、
大きくわけると、3つの時代があるんです。
── へぇー‥‥。
小田社長 2つめの時代なんて、ぜんぜんちがうよ、今と。
── どのあたりが?
小田社長 ビスケット。
── どんな感じだったんですか?
小田社長 あのね、企業ヒミツをハッキリ言うとね。
── ぜひ、お願いします!
小田社長 今は、生地のカタマリを平らに伸ばして、
それをビスケット状に形成してるんです。
── ええ、ええ。
小田社長 昔のは、もっと生地が柔らかかったから、
絞ってつくってたんだな。
── はー‥‥。
小田社長 些細なことのように聞こえるかも知れませんが、
これってつまり、
今と昔じゃ「固さ」がぜんぜんちがうということ。
── 今のは絶妙な弾力がありますよね。
小田社長 今のビスケットを知っちゃったあとでは
昔のやつは、食べられないと思う。
── それほどまでに。
小田社長 マルセイバターサンドは、父がつくったんです。

でも、あの、お菓子に厳しい父ですらも
「量産」に追われちゃって
妥協してたんだよなぁ‥‥ビスケットに。
── はー‥‥。
小田社長 本人としても、そのことをわかっているから
すごく、じくじたる思いがあったんです。
── ええ。
小田社長 だから、ビスケットが
今のあるべき姿に生まれ変わったときは、
父はまだ元気だったけど‥‥
あのときは、本当によろこんでくれました。

「よかった、よかった」って。
── あの、ちょっとしっとりした感じの。
小田社長 でもまだ、さっきのショートケーキといっしょで、
クリームからの水分の移行の具合が
外気温に、けっこう左右されちゃってたんです。
── ええ、ええ。
小田社長 非常にデリケートなお菓子だから、
外的な条件に、影響されやすかったんですね。
── はい。
小田社長 そこで、外的条件が変わっても
なるべく味が変わらないようにする「ひと工夫」を、
この春に、ほどこしたわけ。
── そうだったんですか。
小田社長 お客さまによって、
お菓子の扱いがちょっとブレちゃったとしても
クオリティにバラつきがでないよう、
安定させたんです。
── 今、マルセイバターサンドの年商は‥‥。
小田社長 80億円くらいですかね。
── 今みたいに、六花亭のメイン商品になったのは、
いつごろのことだったんですか?
小田社長 昭和60年代かな。
気がついたらホワイトチョコレートを超えてた。
── 気づいたら。
小田社長 でもおもしろいのはね、全国的に見たときでも
お菓子単品の売上額って、
だいたい80億円くらいで頭がそろってくるの。
── とおっしゃいますと?
小田社長 たとえば、伊勢の赤福さん。
── ええ。
小田社長 ピーク時、だいたい80億円くらいだったの。
── あ、そうなんですか。
小田社長 それから、石屋製菓さん。
── 「白い恋人」ですね。
小田社長 あちらも、だいたい80億円。
── で、マルセイバターサンドも80億円。
小田社長 その3つが、単品の売上では上位なんだけど。
── へぇー‥‥。
小田社長 だからね、マルセイバターサンドは
おみやげ品としてつくったんじゃないんだけど、
「おみやげ品」には
最大マーケットサイズというのがあって、
それが80億円くらいなんだ、不思議なことに。
── そこが「天井」なんでしょうか?
小田社長 うーん‥‥天井だと思いたくはないんだけど、
なぜか、そういうことになってるんだな。
── これ以上には、ならないんでしょうかね?
小田社長 わからない。
── 北海道大学出版会から出ている
『北海道の企業2』という研究書っぽいカタめの本に
「北海道内でだけで展開する六花亭は
 売上高が100億円を超えたとき、
 もうマーケットの拡大は
 見込めないと感じたという」
と、書かれていたんですが‥‥。
小田社長 ええ。
── 今や、100億円は超えていますよね?
小田社長 六花亭全体でいうと、年に180億円。
── その規模というのは‥‥。
小田社長 同業他社さまでいうと、
とらやさんが、180億円くらいですよね。
── あの羊羹の、とらやさん。
小田社長 全国にお店を展開してらっしゃいますから
単純な比較はできないと思うんですけども。
── 今も売上は、伸びているわけですよね。
小田社長 落ちてますよ。
── え‥‥ああ、そうでしたか。
小田社長 ピーク時は200億を超えてましたから。
── そうですか。
小田社長 でも、成長することだけが
いいことだとは思っていないんでね、ぼくら。
── はい、雑誌の記事で読みました。

今年(2009年)の新入社員さんに向けて
「これから六花亭は成長しません」と
おっしゃったとか。
小田社長 まぁ、経営の第一目標を「成長」に置かない、
という意味なんですけどね。

まず、お客さまに満足いただけること、
そして、従業員にも楽しく働いてもらうこと。
ここが、ちゃんとしてないと。
── ちなみに、マルセイバターサンドをつくった当時、
ここまで有名になると思ってましたか?

六花亭さんの売上の、約半分を占めるほどに。
小田社長 いやいや、そんなこと、ぜんぜん思ってないです。

はじめは「タバイセルマ」ありますか‥‥
なんておっしゃるお客さまもいたくらいですから。
── タバイセルマ‥‥あ、反対から読んで?
小田社長 そう。マルセイバターサンドの
名前の由来って、知ってる?
── いえ、詳しくは存じ上げません。
小田社長 明治時代に、依田勉三さんという
十勝開拓の祖がいらしてね。

「晩成社」という移民会社を
設立した人なんだけど、
その晩成社牧場でつくっていたバターが
「マルセイバタ」なの。
── ええ、ええ。「バター」と伸ばさずに。
小田社長 今つかってる「マルセイバターサンド」の包装紙は、
その当時の「マルセイバタ」の缶ラベル。

当時は「右から左」へ文字が綴られていたから、
これを現代の人が読むと
「タバイセルマ」になっちゃうんだな。
── 今や、あの朱赤と金の包装紙は
マルセイバターサンドの代名詞になってますよね。
小田社長 うん。

‥‥それにしても、あの缶ラベルって
いったい誰がデザインしたんだろうなぁ‥‥。
── あ、わかってないんですか?
小田社長 うん、わかってないんですよ。
── へぇーえ、誰なんでしょうね。
小田社長 依田勉三さんは、伊豆のご出身で
黒船到来の年にお生まれになってるから、
ああいうセンスが
備わっていたのかもしれないなとは思うけど。
── ええ、ええ、なるほど。
小田社長 実際、誰がデザインしたのかは、
わかってないんですよ。

‥‥あのパッケージ。
  <つづきます>
 

04 六花文庫 その1

お菓子の街・帯広を後にし、特急列車で約2時間半。
われわれは札幌にやってきました。

というのも、真駒内というところにある「六花文庫」に
行ってみたかったからです。

ここ、六花亭が運営する図書施設なんですが、
ちょっと、おもしろそうなんです。

まず、7000冊以上もあるという蔵書は、
すべて「食」に関するもの。
(飯島奈美さんの『LIFE』もありました!)

本の貸出はしていないのですが、
入館無料で、いつ来ても、何時間でもいられます。

本を読みながら何かあったかいものを、と思ったら
300円でホットコーヒーが飲めます。
六花亭のお菓子「リッチランド」もついてきます。

でも、別に本を読んでなくてもオッケーな雰囲気ですし、
われわれ取材班が訪れていたときも
近所に住むおばあちゃんやおじさんたちが
ふらりとやってきては
本を読んだり、読まないでおしゃべりしたりして
また、ふらりと帰っていきました。

この、ちょっと不思議で、
でもなんだか、とてもこころの落ち着く空間では
ひとりの女性が、はたらいていました。

本のセレクトや分類という
いわば「図書館司書」のような仕事をはじめ、
敷地内のそうじ、建物のメンテナンス、
コーヒーを出すこと、
寒くなったら暖炉のお世話をすること、
近所のおばあちゃんたちとおしゃべりすること‥‥と
この「六花文庫」で起こる
すべての出来事にたった一人で対応している、
六花亭文化広報部の日浦智子さんです。

訪れたのは11月の北海道。小雨が落ちる、肌寒い日。

まだ早い時間、ほかのお客さまはいなかったので、
到着すると、薪ストーブに火を入れてくださいました。

むぅ‥‥あったかい。じんわり。
気になった本を手にとり、ソファに座っていると
だんだん、まぶたが閉じてくる‥‥。

まずい、寝る。このままでは。

‥‥ということで、お仕事中の日浦さんにお願いして
いくつか、おもしろそうな本を紹介してもらいました。

『尊敬する鰯・鯵・鯖のために』
── 尊敬する‥‥。
日浦 すごいでしょう?
── すごいです。
日浦 はじめて見たとき、衝撃を受けました。
── 鰯・鯵・鯖が、よっぽどお好きなんでしょうか。
日浦 それらの食材に対する愛情にあふれた‥‥
つまり、この3つの魚って、
値段も安いし、たくさんとれる分、
ちょっと雑に扱われてしまいがちといいますか、
そんな魚たちじゃないですか。
── ええ。
日浦 どうにかその「地位」を上げたい、と。
その一心で、この本は。
── ははー‥‥。
日浦 なにせ
「この10年くらい、鰯に含まれるナントカ核酸が
 体にいいと言われたおかげで
 少ぅしだけ鰯の地位が上がってうれしい」
‥‥と、帯に書いてあるくらいです。
── 表紙には
「ちっとも高級じゃないけれど、
 つきあい方しだいで偉大な魅力を発揮してくれる、
 愛すべき魚たちへの賛歌」と。
日浦 ええ。
── 中身は‥‥。
日浦 ふつうのレシピ本です。
── えっ、そこまで言ってるのに?
‥‥逆にすごみがありますね。
日浦 でも「秋刀魚」っていうと、
ちょっと「しみじみ」すると言いますか、
文化の香りが漂ったりしますけど、
鰯などは‥‥。
── ま、どちらかというと食用という感じで。
日浦 鯖にいたっては、ヒカリモノはダメですとか
嫌われたり、
猫の餌にされちゃったりするくらいでしょう?
そんな、その3匹の魚を‥‥。
── 尊敬する、と。
日浦 素晴らしいと思っています。

六花文庫

所在地  北海道札幌市南区真駒内上町3丁目1−3
問合先  011-588-6666 詳しくはこちら
開館時間 10時〜17時
休館日  日曜日・年末年始

 
2010-04-15-THU
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(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN