今日は建築の話をちょっとお休みして、
イタリアでみつけた僕の大切な宝物のことを
話してみたいと思います。

イタリアのなかでもヴェネチアという都市は、
何度も足を運んだとくに好きな街です。
なぜそんなに惹き付けられるのでしょうか?
洗濯物がひるがえる狭い路地の散歩の楽しさ。
長方形ではなく少しすぼんだ台形をした
サンマルコ広場が生み出す視覚的効果の面白さ。
時間を積層したように塗り重ねられたモルタルの壁、
風情のあるドアや窓の豊かな表情。
どれひとつとっても綺麗で印象的な街です。
しかし、この街の最大の魅力はなによりも
車が1台も通らないということに尽きます。
つまり街のなかを移動するためには、
自分の脚で歩くか、運河を使うか、
そのふたつしか方法がないんです。

▲ヴェネチア最大の運河、グラン・カナル

▲雨のサンマルコ広場でスケッチ

そんなヴェネチアに初めて行ったのは、
学生時代にしたバックパッカーの旅でした。
その後、設計事務所に就職して
ベルリンに住むようになってからも、
ミラノに親友が住んでいたことや
ビエンナーレが開催されることもあって、
ヴェネチアは頻繁に訪れました。
魅力的な街は何度も行きたくなるものです。

徒歩か運河か、と書きましたが、
運河での移動手段は、
水上バス(といっても普通のボートですが)と
あの有名なゴンドラしかありません。
僕の旅はいつも一人旅なので、
もっぱら1日券を買って水上バスで行動します。
今までゴンドラに乗ったことはただの一度もありません。
しかし、ゴンドラを見ていたら
ふとある物が目に留まりました。
それが「フォルコラ」です。
その美しさには息をのみました。

「フォルコラ」とは、
ゴンドラ乗りがオールをひっかけて漕ぐときに
支点となる木製の道具です。
ゴンドラ乗りは自分のフォルコラを
ゴンドラに開けられた穴に差し込んで使い、
仕事を終えたら抜いて持ち帰るのです。
彫刻のような造形が美しいそのフォルコラという物体に、
ぼくは一目惚れしてしまいました。
思い切って帰路につくイタリア人のゴンドラ乗りに
声をかけてみました。

「ボンジョールノ。その右手に持っているものなぁに?」
「おう、これか。これはフォルコラって言うんだ。」
「ビューティフルだね。それ、どこで作ってるの?」
「もちろんヴェネチアさ。」
「その工房に連れてってもらっていい?」
「ああ、いいとも。帰り道だしね。」

ボーダーシャツを着た小太りのゴンドラ乗りに連れられて、
パウロという若い青年がやっている
小さな工房にたどり着いたのは、
陽の長い夏の日の夜でした。
パウロはフォルコラに興味をもった日本人が
おもしろかったらしく、
丁寧にその造形について語ってくれました。
一つとしてまったく同じものはないこと。
壊れたら直し、調整しながら大切に使い続けること。
ゴンドラ乗りの「魂」であること。
その造形は、全部で8種類もある
オールの漕ぎ方すべてをサポートする機能を
もたせるための造型であること。
つまり、この造型の美しさは、
前に進む、後ろに戻る、左右に旋回する、
その場で止まっているなど、
さまざまな漕ぎ方に即した
合理的なデザインから生まれたものだったのです。

工房を案内しながら、
道具や木の特性について
熱心に語ってくれたパウロには感動しました。
そして、見る角度によって
まったく印象の異なる魅力的なその物体を
丹念にスケッチブックに描き込んだのです。

▲パウロの工房の壁にかけられたフォルコラの型たち

▲工房で描いたフォルコラのスケッチと写真

フォルコラと同じように、
建築にもさまざまな要素があります。
意匠や構造、機能、材料、予算、工期など
多くのことが複雑に絡みあって
一つの建物を作り上げているのです。
建築家には、建物に必要な機能を満たすことだけでなく、
その建築に込められた美学や思想について、
できるかぎり客観的に
施主や建築の使い手に伝えることが大切です。
複雑な糸をほぐすように、
多面的なものを分解して言葉で説明する──
そうした対話によって
建築設計の説明責任を可能なかぎり果たしたいと、
ぼくは常々思っています。

ヴェネチアの小さな工房で
フォルコラやオールをつくっている職人、
パウロがぼくに教えてくれたことは、
まさにそんな作り手としての誠意あふれる姿勢でした。
パウロの工房には3日続けて通いました。
木の香りがふんだんに漂う工房の雰囲気が心地よく、
パウロの作業を見学させてもらったり、
フォルコラをスケッチしたりしました。
そして最終日には、
作りたてのフォルコラを思い切って購入したんです。
初日に何気なく聞いた金額の半額以下にしてくれたので、
僕の情熱らしきものが彼にも伝わったのでしょう。
いつか、このフォルコラのような建築をつくりたいと
密かに思って手に入れた宝物は、
事務所の真ん中に大切に飾っています。

▲ヴェネチアの工房にて、フォルコラ職人のパウロ

次回につづきます。

2011-08-26-FRI
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