「まるで愛娘を嫁に出すような気持ち」、
それが処女作を産み落とした僕の率直な感想です。
僕は結婚したこともありませんし、
ましてや子育てとはまだ無縁のところにいます。
なのに僕は、
日々出来上がっていく凱風館という建築を、
まるで母親のお腹の中で十月十日を過ごす
胎児のようだと感じていました。
その感情は親が子を想う、
無償の愛の形に似ていると思います。

そう、わくわくする高揚感と緊張感の同居した、
なんとも素晴らしい日々の果てに、
ひとつの建築がとうとう神戸に姿を現したのです。

▲竣工した凱風館の南面全景。

2011年11月12日、凱風館竣工。
忘れもしない秋晴れのその日は、
朝からオープンハウスを実施することができました。
申し込み制にも関わらず、ほぼ日の読者の方もふくめて、
多方面から見えた400名以上ものお客さんに、
凱風館の内部をゆっくりご覧いただきました。
鍵の引渡から始まった内覧会のあと、
夜には完成を祝して能が演じられ、
施主・建築家・工務店社長による寺子屋鼎談もあり、
最高のお披露目となりました。
「木の香りがふんだんにする気持ちいい空間だった」
「土壁など多様な表情があり、落ち着いた雰囲気がした」
「和と洋のデザインが有機的に繋がって、
新築なのに昔から建っているようで居心地がいい」
といった大変嬉しい感想もいただき、
感無量の一言でした。

翌13日には内田先生の合気道の師である
多田宏師範が東京からお越しになり、
真新しい道場を四方切りで清めてくださって、
無事に道場開きも行われました。
その数日後には内田さんご夫妻のお引っ越しです。
家財道具が入り、大きな書棚もあっという間に
大量の本で埋まっていきました。
完成した凱風館を引き渡された内田さんは、
「この建物が自分にとってどのような存在で、
これからどのような場所になっていくのか、
まだ何も分からない、というのが
今の正直な感想です」と仰います。
この「分からなさ」こそが建築というものの
最大の魅力だと僕は思っています。
なにか得体の知れないものと対峙し、想いを馳せる。
すると不思議と空間が気を発する存在として動きだし、
ついにはその想いが建築に宿っていくんです。
時間をかけて使い込んでいくにつれ、
建物はさまざまな反応をみせてくれるでしょう。
そうした豊かな余白を抱えた建築として
凱風館は竣工しました。

▲オープンハウスは、
 テープカットから幕を開けました。

▲師範として合気道のお稽古をつける内田さん。

こうして多くの方々に祝福されながら、
凱風館はそのスタートを切ることができました。
この幸福な船出は、施主である内田さん、
施工会社である中島工務店の職人さんたちをはじめ、
建築に携わったたくさんの人たちはもちろんのこと、
甲南合気会や甲南麻雀連盟まで、
内田さんを囲むふしぎで愉快な「みんな」が
いたからこそ実現したことです。
「内田家」という拡大家族のエネルギーが
集結した賜物なのです。

じつは凱風館は、この大家族からの
多くの寄贈品が集まってできています。
京都・美山町の小林直人さんの杉の丸太梁は
「養老孟司さんと新潮社の愉快な仲間たち」からの、
客間サロンの2本の棟木は甲南麻雀連盟からの寄贈です。
まだまだあります。
客間の冷蔵庫は内田さんのからだをケアしている
整体師の池上六朗先生と三宅安道先生から、
書斎とロフトの階段は内田さんの担当編集者たちが
会社の枠を超えてつくっている「タツルクラブ」から、
客間サロンのベンチはジュリー部
(ジュリー=沢田研二をこよなく愛する方々)から、
そしてワイングラスなどはステーキハウス・コクブと
近所のカフェ・ニュートラルから沢山寄贈されました。
とっておきは八角形の檜の大黒柱。
これは施工者である中島工務店からのプレゼントです。
もう、信じられません。
道場の時計や名札板も甲南合気会から、
同門の高雄啓三さんは
個人的に植栽の楓までプレゼントして、
この木は「ケイゾウ」と名付けられました。

▲右の壁に養老さんの丸太梁、
 中央は中島工務店の檜の大黒柱、
 その脇がジュリー部のベンチ、
 左の壁には甲南麻雀連盟の丸太梁。

これだけ多くの人から祝福された建築があるでしょうか?
建築は人に使われてこそ、生きていくことができるのであり、
それが長い時間の経過に耐えられる
強度を培っていくのです。
内田先生に惹き付けられた「みんな」が
緩やかに形成する共同体が、
まるで「自分の家」のように愛情をもって接するからこそ、
凱風館の空間は生き生きと、ポジティブなオーラを
放っているんだと思います。

竣工まもない、ある早朝のことです。
朝稽古のために眠そうな顔で凱風館に
向かって歩いてくる書生さんの姿が見えました。
書生さんは凱風館の前まで来ると、
楓の「ケイゾウ」から散った落ち葉を数枚拾いあげました。
本当にごく自然に。
正確に言えば凱風館の敷地の外、
つまりお隣さんの敷地に落ちていた枯葉ですが、
僕はこの光景を目にしたとき、
心がほっこりし、安心しました。
凱風館が最高の「みんな」に支えられて
生きていることを実感したからです。

▲玄関脇、書生部屋の窓の前に植えられた
 楓の「ケイゾウ」

そして、なにより凱風館は、
内田さんから「みんな」への「贈り物」だと思うのです。
僕は設計の依頼を受けた時から、
大きな責任を感じていました。
これだけの仕事をいただき、期待をされているのだから、
それに応えようと必死でした。
僕なりの最高のパフォーマンスで、
内田先生からの贈り物に恩返しがしたいと思いました。
こうした幸福のパスがたくさんのバトンとなって
それぞれが代々受け継がれていくのです。
リレーはこれからも続いていきます。
特定の個人が所有するモノ(家)ではなく、
トータルな学びの場(道場)として引き継がれていく
プラットフォーム、あるいはハーバー(港)であることが
凱風館の魅力であり、神髄です。

そんな意味で凱風館は、
現代におけるひとつの大切なモデルとして、
多くの示唆に富んだ建築だと信じています。
プライベートとパブリックの空間や営みが同居し、
さまざまな人が出入りする建築こそが、
顔の見える地域共同体の規模として、
また一つの拡大家族の場として
理想的なのではないかと。

「衣/食/住」のうちの「住」を、
閉じた私的な箱にはせず、外に向けて開放することで、
「みんな」との共有感覚が生まれ、
「困った時はお互い様」で支え合う関係性がつくられます。
どれだけ強い人でも一人では決して生きられません。
排除せずに受け容れる関係からしか
秩序のある強靭かつ多様なチームは形成されないはずです。
グローバルに発達した資本主義や
右肩上がりの経済成長神話が崩れた今、
凱風館でのこうした試みは、
新しい豊かさを発見するきっかけに
なるのではないかと思っています。

▲凱風館の営みと
 建築のアプローチをまとめた曼荼羅

さて、子どもの話ですが、
僕には目に入れても痛くないほど可愛い
甥っ子と姪っ子がいます。
ふたりと過ごしていると、
彼らの成長のスピードにはいつも驚かされます。
昨日も明日もなく常に「今を生きる」子供たちは、
自分の世界を日々大きな海原へと広げているのです。

この凱風館の建築プロセスもまた、
「今しかない」という貴重な時間の積み重ねでした。
完成後のこの達成感らしきものも、
子育てのそれに似ているのではないかと想像します。
しかし、計り知れない歓びとともに、
自分の手ではもうどうすることもできない、という
一抹のはかなさも僕は感じていました。
ただ、どんな建築家にとっても“1年生の初仕事”が
特別な存在であることだけは確かです。

そしてぼくは先月、ついに凱風館で合気道を始めました。
自分の設計した道場で真新しい道着を着て
お稽古に励んでいます。
それも、きっと花嫁の父親としての
悪あがきなのかもしれません。

      *

最後になりますが、
半年間毎週お付き合いいただいた
沢山の「ほぼ日」読者のみなさま、
誠にありがとうございました。
内田先生、山本浩二画伯をはじめ、
ここに登場していただいた方々、
編集者として二人三脚で並走してくれた
アルテスパブリッシングの鈴木茂さん、
そして「ほぼ日」乗組員の最強トリオ──
いくら感謝してもしきれません。
本当にどうもありがとうございました。

この連載は終わりますが、
建築家としての初仕事がこれまた初書籍になるという
幸運にも恵まれました。ご縁はご縁を生むようです。
春にまたパワーアップした単行本『みんなの家。』として、
本屋さんでみなさんと
再会できるのを心待ちにしています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2012-01-27-FRI
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