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42.195キロという距離をただ走るだけなのに、
マラソンというスポーツの魅力はたいへんなものです。
僕は小学生の時に野球を、
中学校と高校ではバスケットをやっていた
根っからの球技好きです。
しかし、ひょんなことから
走ることの虜になってしまったのです。
2005年の秋、ドイツに住んでいた時のことでした。
同じ設計事務所で働く友人マークが
「ベルリン・マラソンを走るんだ」と、
ランチを食べながら熱く語りかけてきました。
マラソンという、
僕には想像もつかないことをやる人間が
身近にいたことに驚き、
また彼の勇姿が見たくて、
当日の日曜日、家の近くまで応援に出向きました。
街はお祭りのように朝から活気づいています。
マークは事前に指定した時間ぴったりに、
僕のいる8キロ地点に現れ、
風を切るように颯爽と走り去っていきました。
ほんの数秒の間だったのでなんだかもの足りず、
さらに自転車で先回りをして、
マークの応援を続けることにしました。
すると30キロ地点で先頭を走っていたのは、
小柄な日本人女性ではありませんか。
野口みずき選手です。
僕は興奮のあまり
しばらく自転車で並走してみましたが、
立ち漕ぎをしないと置いていかれるほど、
ちょっと信じられないスピードでした。
野口選手はそんなスピードを維持して
42.195キロを走り抜いて見事に優勝しました。
その2時間後に、マークも必死の形相で
汗だくになってゴールしました。
僕は純粋に感動しました。
人間が体力の限界に挑む姿がまぶしかった。
そして、単純な僕はすぐに決意しました。
よし、来年、俺も走ってみようって。
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▲2006年ベルリンにて、
人生で初めてのマラソンを完走 |
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なにも分からないまま練習を重ね、
僕は翌2006年と2007年の
ベルリン・マラソンに参加し、
2回ともなんとかゴールインしました。
正直、タイムなんてどうでもよかったんです。
あれだけの距離をあれだけの時間をかけて
ひたすら走り続けることの圧倒的無意味さに、
最高の達成感を味わいました。
どうして走るのか、自分でもよく分かりません。
くる日もくる日も走って、足腰と心臓を鍛えるんです。
自分をいじめ抜いて鍛えないと、
マラソンなんて完走できません。
一流のピアニストでも毎日鍵盤を触らないと
実力や感覚が衰えていくように、
マラソンもまた嘘のつけないスポーツです。
絶えず練習していないと、
速く長い距離を走り続けることはできません。
42.195キロという距離がじつに絶妙なのです。
脚が棒のようになる
「30キロの壁」は誰もが経験しますが、
そうした目に見える苦難を、
誰のためにでもなく、
ただ自分のためにクリアーしていく、
競うのは他のランナーではなく昨日の自分、
そんなスポーツがマラソンです。
日々の積み重ねが、結果として表れるという点で、
マラソンと建築は似ているかもしれません。
マラソンは、走り込みをすればするほど
継続して走れるペースは速くなるし、
距離も少しずつ長くなります。
身体の脂肪も減り、徐々に引き締まっていきます。
逆にさぼるとすぐに鈍っていく。
嘘がつけないということ。
ボタンを掛け違えると
取り返しのつかない大変なことになること。
そうした努力と成果の関係が
じつにシンプルなマラソンに、
建築は似ていると思うんです。
建築も一つ一つ丁寧に設計し、
職人とのコミュニケーションの精度を磨き、
丹念につくりこんでいきます。
マラソンで突然サブ4(3時間を切ること)が
達成することはできないように、
建築もいつの間にか完成しているものではありません。
2005年のベルリン・マラソンで優勝した
野口みずき選手は
「走った距離は裏切らない」という名言を残しています。
マラソンというスポーツの神髄を
簡潔に表している言葉です。
さて、凱風館の工事が始まって間もない頃に
第1回大阪マラソンが開催されることを知りました。
しかも凱風館の竣工予定日と同じ日です。
これは! とエントリーしてみました。
東京マラソンの抽選には
3年連続で外れている身としては、
あまり期待していなかったのですが、結果は当選。
2年ぶり4度目のフル・マラソンです。
凱風館の工事がピークを迎える忙しい時でしたが、
少しでも走る癖をつけるために、
自宅の近くにある目黒川沿いを
毎日深夜に走っていました。
この挑戦を、内田先生をはじめ
みなさんに応援してもらいたくて、
白いたすきを準備して
「みんな」にメッセージを書いてもらいました。
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▲「凱風館竣工記念たすき」には
内田先生、山本浩二画伯、山田脩二さんにも
メッセージを書き込んでいただいた |
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10月30日の朝9時、
3万人弱のランナーたちが
大阪城公園を一斉にスタートし、
42.195キロの旅に出ました。
夏にドイツで購入したドルトムント香川真司選手の
サッカー・ユニフォームを着て、
沢山の声援を受けながら御堂筋通りを走り、
大阪ドームを横目に一路海岸沿いに抜けていきます。
ランナーたちのスニーカーの底が
アスファルトの地面を蹴り上げる
乾いた独特な音が響く中、
一歩一歩前へ進んでいきます。
ふだんは車が通る道を走っているので、
大阪という街が身近に感じられます。
時速9キロくらいの、このスピード感が
都市を観察するのには具合がよいのです。
散歩ほど遅くないし、自転車ほど早くはない。
だから街の表情がゆっくり変化していくのを
読み取りながら楽しめるのです。
30キロを過ぎるとそんな余裕もなくなり、
ただただゴールを目指すだけになるのですが。
沿道の声援もさすが大阪、
元気いっぱいで声も大きく、すごく後押しされました。
辛くなった時には寄せ書きしてもらったたすきを握りしめ、
凱風館の工事を思い出しながら走りました。
地鎮祭からはじまって、地盤改良、基礎工事、建て方、
そして上棟式、仕上げ工事と、
「走馬灯のように」ってやつですね。
ひとつの建築が
「みんな」の共同作業で完成することを思えば、
42.195キロを走ることなんてへっちゃらです。
そう自分に言い聞かせて走りきりました。
完走者には御堂筋のイチョウをモチーフにした
メダルが配られますが、
僕にとっては汗をたっぷり吸い込んだこのたすきこそが、
なによりの宝物となったことは言うまでもありません。
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▲凱風館竣工を記念して、
スペシャル「たすき」を掛けて
第1回大阪マラソンを走る |
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