旅人にとっての北極星がそうであるように、
ピエール・バルーその人自身が、
若きアーティストにとって、
ひとつの「道しるべ」だったのではないか。
短いインタビューをまとめ終えた今、
そんなふうに思います。
詩人、歌手、俳優、映像作家、
そして欧州最古のインディーズ・レーベル、
「サラヴァ」の主宰者。
在りし日のピエール・バルーさんのお話を、
ここに、お届けいたします。
ご一緒くださったのは、妻のアツコさん。
インタビューから約2ヶ月後の昨年暮れ、
ピエールさんは、急逝されました。
わけへだてなく、誰にも開かれていて、
何よりあたたかかったお人柄が、
百分の一でも、伝わったらいいのですが。
担当は、ほぼ日の奥野です。

プロフィール

第1回 『男と女』前夜。

──
ピエールさんは、音楽家であり、
詩人であり、映像作家であり、
ヨーロッパ最古のインディーズレーベル
「サラヴァ」の主宰者であり、
俳優として
カンヌ映画祭でグランプリを獲った映画
『男と女』に出演したりと、
さまざまな芸術活動をなさってきました。
ピエール
はい。
──
今日は、そんなピエールさんの
これまでの人生のことをうかがいたくて、
こうして、おじゃましました。
ピエール
わかりました。

じゃあ『男と女』という映画の
成り立ちから、
少しずつ話していきましょうか。
──
ありがとうございます。お願いします。
ピエール
まず、『男と女』をつくる前に、
監督であるクロード・ルルーシュの前作
『乙女と猟銃』に出演したんです。
──
すみません、
その映画のことは知りませんでした。
ピエール
商業的には成功しなかった映画でしたが、
そのときルルーシュが
「次は、こんなのをつくりたいんだ」
と言って、
その「こんなの」を話してくれたんです。
──
シナリオなどもない段階で?
ピエール
そう‥‥もう死んでしまった男性と、
その男性のことを想い、
過去の思い出の中に生きる女性。

具体的なストーリーはなく、
そのシチュエーションだけがあった。
──
へぇー‥‥。
ピエール
いろいろ会話を重ねていくうちに、
「男と女がいるというだけでなく、
 女が別の男と恋に落ちたら、
 もっとおもしろいんじゃない?」
ということになって、
ジャン=ルイ・トランティニャンを
紹介したんです。
──
ええ、俳優の。
ピエール
彼とは、いまでも親しい友だちですが、
トランティニャンが
『男と女』の相手役となる
アヌーク・エーメを、連れてきて‥‥。

そうやって
3人の役者と1人の映画監督の4人で、
すべてインプロヴィゼーションで
撮影した映画が、『男と女』なんです。
──
はい、インプロビゼーションというと、
ようするに「アドリブ」ですね。
ピエール
そう。で、映画を撮りはじめて
2週間くらい経ったころ‥‥だったかな、
ルルーシュが全員を集めて
「じつは、もうお金がないんだ」って。
──
え、そんな、急に?
ピエール
そう(笑)。だから、そこで、映画の撮影が、
頓挫してしまったんです、突然にね。

でも、ここで時計の針を少し戻すと、
最初にルルーシュ監督と
『男と女』の元になる構想を話したときから、
わたしは、フランシス・レイに、
なんとか仕事を回したいと思っていたんです。
──
フランシス・レイさん。作曲家の。
ピエール
そう、レイとは、それより前から友だちで、
いっしょに歌を書いていました。
彼のメロディと、
わたしの詞のコンビでやっていたんですね。

ただ、当時まだフランシス・レイは、
田舎から出てきた、
道端のストリートミュージシャンに過ぎず、
バーやキャバレーで歌っては、
お金をかせぐ「流し」でしかなかった。
──
世間的には無名だった、と。
ピエール
案の定、ルルーシュ監督には、
そんな、素性もわからないような若者に
映画音楽を担当させることに、
抵抗感‥‥いや、拒否感がありました。

なぜかというと、当時の「映画音楽」は、
オーケストラがふつうだったから。
──
かたや、レイさんは
名もなきストリートミュージシャンで。
ピエール
だから、なかなか、
会おうって言ってくれなかったんだけど、
『男と女』の構想を聞いたとき、
わたしたちは、すでに、
それと似た想定の歌をつくっていたんです。
──
レイさんとピエールさんのコンビで。
ピエール
そう、そこで、ルルーシュを、
当時レイの住んでいたモンマルトルまで
引っ張っていって(笑)、
レイにアコーディオンを弾きながら、
その曲を歌ってもらったら、
監督が、いたく気に入ってしまってね。

「ぜひとも映画の中で使いたいから、
 録音しておいてくれ」と。
──
おお、すごい。
ピエール
ただ、いまの話は映画の準備段階で、
自主制作だったために、
撮りはじめるにあたって、
お金を集めるのに、時間がかかると。

だから、
監督が資金集めに奔走している間に
ブラブラしていても仕方がないので、
ブラジルへ行ったんです。
──
映画は、ひとまず置いといて?
ピエール
うん、というのも、ブラジルで
俳優としての仕事の口があったんです。

ルルーシュ監督に
「仕事のオファーが来ているんだけど、
 どうしよう」と相談したら、
「まだ資金集めには時間がかかるから、
 行ってきたら?」って。
──
あはは、ゆるくていですね(笑)。
ピエール
ブラジル、行ったことあります?
──
ないです。
ピエール
とっても、いいところなんです。

グアナバラ湾をはさんで
リオ・デ・ジャネイロの反対側にある
漁村でロケをしていたんだけど、
撮影が終わっても、
フランスから、
帰ってこいという連絡は一向に来ないし、
ブラジルは素敵だし‥‥。
──
気に入っちゃったんですか。
ピエール
そのまま、その漁村に滞在し続けました。

毎週、日曜日になると
船に載ってリオ・デ・ジャネイロに渡り、
ブラジルの音楽家の
バーデン・パウエルたちと、
一晩中、音楽を演奏していたんです。
<つづきます>

2017-03-22-WED

ピエール・バルー監督による
ドキュメンタリー、再発。

サラヴァ 「時空を越えた散歩、または出会い」
ピエール・バルーとブラジル音楽1969~2003

1969年、ピエール・バルーさんが
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで撮影した
ドキュメンタリー映像が
追悼の意味を込めて、再び発売されました。
バーデン・パウエルをはじめ
当時のリオのミュージシャンたちとの交流や、
フェスティバルのようす、サンバの踊り、
50年前のブラジルの、黄色みがかった陽射し。
この古い映像の中で、
ピエールさんとリオのミュージシャンたちは、
ひっきりなしに歌を歌っています。
ギター1本とリズムを刻める何かさえあれば、
どんな場所でも、そこに居合わせた誰とでも。
音楽って、こうして、
ひとびとの間にあるものなんだということが、
伝わってくるロードムービーです。

ピエール・バルーさん

音楽家・作詞家・映像作家・俳優・プロデューサー。
欧州最古のインディーズ・レーベル「サラヴァ」主宰。
1966年、
クロード・ルルーシュ監督の映画『男と女』に出演。
「ダバダバダ~」のスキャットで知られる
フランシス・レイ作曲の主題歌で作詞と歌も担当。
同映画で、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
さらには
米国アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞はじめ、
世界各国で「41」もの映画賞を受賞。
サラヴァでの活動を軸に、
音楽や映画、出版の分野で多くの作品を生み出す。
ピエールさんに見込まれて、
パリの自宅に住まわせてもらったアーティスト、多数。
レ・ロマネスクのおふたりも
パリの下積み時代に、お世話になっていたとか。
2016年、東京で「サラヴァ」50周年記念展を開催。
2016年12月28日、パリにて急逝。
ピエールさんは、さいごまで、
つまり、倒れ救急車で搬送されながらも、
歌を、歌っていたそうです。

今回のインタビューに同席くださったのは、
奥さまのアツコ・バルーさん。
フランス留学の経験があったことなどから
日本ではたらいているときに、
来日中のピエールさんと知り合ったそうです。
今回のインタビューでは通訳をお願いしつつ、
アツコさんにも、たくさんお話していただきました。