2022.3.10→3.13 ほぼ日編集部いま気仙沼にいます。気仙沼から、テキスト中継!

nagata

気仙沼においでよ

2022/03/13 18:15
あの日から11年が経った気仙沼でしたが、
10年の節目だった去年よりも、
なんだか今年のほうが
あたらしい結び目を感じた気がしました。

今年、東京から気仙沼に向かうとき、
ぼくらは「あれから何年経ったね」
というようなことはとくに話さず、
「なんか暖かいみたいですね」とか、
「お昼は、まるきですか」とか、
「○○さんも来てるみたいですよ」とか、
そういう当たり前のことを言い合ってました。

なんでもない日が来るといいな、
とずっと思ってましたが、
なんでもない日がほんとに来ると、
ちっとも気づかないのですね、
なんでもない日は。

もちろん、大切な日です。
忘れるわけがありません。
たとえば午後2時46分を
どこで過ごすだろうというようなことは、
今回の旅に関わった全員が
意識したことだと思います。

それでも、ずいぶん当たり前になりました。
ふつうの旅みたいでした。
たとえば、じぶんたちが更新してきた
この4日間の長いテキスト中継を読み返すと、
主役は「気仙沼」という場所です。

当たり前じゃん、と思うでしょ?
ところがね、何年か前は、
どうやっても主役は「3月11日」になったんです。
それを真ん中からすこしでも
ずらすことができなかった。

あれから11年が過ぎて、
ようやく「3月11日」ではなく、
「この日の気仙沼」をふつうに
主役にすることができたような気がします。

その「ふつう」や「当たり前」を、
ここまでの日々をよく知っている人ほど
しみじみかみしめるのではないでしょうか。
大げさにいえば、
こんな日が来るなんて思えなかったんです。

今年はほぼ日の編集部全員で
気仙沼にやってきました。
いろんな人がいろんなことをレポートして
なんだかわちゃわちゃしてました。

昔からいる乗組員のなかに
こないだから入った新しい乗組員がいたり、
お客さんがいたり、おなじみの人がいたり、
知り合いがいたり、元乗組員がいたり、
話は平気であちこちに飛びました。

ラーメン食べている人のすぐあとに
伝承館の見学レポートが載っていたり、
市長の話と同列に
バッティングセンターの写真があったり、
なにがなんやらでした。

こんなこと、震災の数年後には、
できなかったと思います。
もっともっとみんなで気を遣い合っていた。
こんなふつうのことを書いていいのかな、
みたいにしょっちゅう確認し合ってました。

でも、今年は、ご覧のようににぎやかでした。
わちゃわちゃしてました。

みんなで気にせずあれこれ言い合えた、
今年の気仙沼をうれしく思います。
思い出すことも、思い出さないことも、
久しぶりのことも、はじめましてのことも、
悲しいことも、うれしいことも、
特別なことも、ありふれたことも、
まとめてそのまま表現できた、
今年の気仙沼をうれしく思います。

たとえば、ぼくはこんなことを思いました。
ああ、3月11日が過ぎるともう春なんだな、と。

この日を新しい季節へ向かう節目に感じるなんて、
悲しい気持ちでいるときには
思いつきさえしませんでした。

3月11日や2時46分という数字は、忘れません。
それは特別なものとしてしっかりと刻んだまま、
その日を過ごすこと自体は、
どんどんふつうの毎日になっていけばいい。
そんなふうにいま思います。

今年も気仙沼で過ごしました。
たのしかったよ! と大きな声で言います。

そして、みんなも、気仙沼においでよ。