「学べる」ことのありがたさ。学生の時は、お金を払って「学び」を買っていた。なので教えてもらえることは当たり前だった。働いていると、受身では、誰も何も教えてくれない。
学生時代は、社会に出たら試験や勉強がなくていいなって思っていたけど、社会人になったら毎日が試験のようだし、勉強もかかせなかった。学生時代は社会に入るための準備体操みたいな、助走みたいなものだったんだのだなぁって。
はたらく前は、「自分の価値は、自分で見定めないと!」なんて考えていました。でも、はたらきはじめて、お給料をもらうようになってからはそういう自己肯定や存在理由というのは、自問自答ではなく、他者や、社会とのつながりのなかで少しずつ培っていけばいいかな、と思うようになりました。
評価基準はいろいろある、ということ。学生時代は、「勉強ができる・できない」が判断軸でした。そして、私の価値基準は、ほぼ親の考え方と同じ。でも社会人になり、いろんな人と一緒に仕事をして、学歴とかは関係なく、魅力的な人はたくさんいる、ということがわかりました。同時に、世の中にはいろんな考え方があって、私は好きなのを選択できるんだ、ということもわかりました。選択肢を見つけて、それを選ぶことはいまだに苦手ですが、私が好きなものを選ぶ練習を一歩一歩しています。
今まで出会ってきた先輩や上司が私のためだけに、これほどまで時間を使い、考え、見守り、受け止めてくれていたなんて。管理職になってみて、初めてわかりました。人っていいなぁ。
社会の歯車の一つなんて、何の特徴もない仕事なんて、かっこわるいと思っていたけれど、その歯車がちゃんと噛み合わないと回らない。歯車として役割を果たすことって、超大切じゃん、ってことがわかってきた。
仕事って、一人じゃできないということ。必ず、相手がいる。だから、仕事は「だれのために、何のためにしていることなのか」「相手は何を望んでいるのか」などなど理解しながらするもの。学生のころは、相手次第でやり方を変えなければならないこともある、ということが分かっていませんでした。
デザイナーをしています。学生のころは、仕事って「自分を認めてもらう場」だと思っていました。今は、「貢献する場・人の役に立つ場」だと思っています。
まじめさよりも、「自分に何ができるのか」を相手に知ってもらわなければなにもはじまらないということ。
人を叱るのは、エネルギーがいること。学生の頃は分からなかった、先生の気持ち。