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会社を興してから
今年でちょうど30年になるんですよ。
そもそも座右の銘の
「迷ったらやる」というのは
親父が僕を山口県の萩に行かせてくれたことから
見つけた言葉なんです。 |
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そうか、30年前‥‥。
お父さんは、最初から
南部さんが会社を興されることに
賛成してた方なんですよね。 |
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そうです。
でも、僕は最初、NPOでやろうと思ったの。
株式会社のことを知らなかったし、
どうしていいかわかんなかったから。
ただ、親父に
「『ボランティアで、チャリティの
いいことをやります、だからお金ください』
そんなことでは、お金もらってる範囲でしか、
ものごとができないよ」
と言われたんです。
「もしほんとうに大きくやろうと思ったら、
自分で稼いだお金でやれ」
と。株式会社作れってわけですよ。
僕もそこで、なるほどなと思いました。
僕はそのとき、大学の四回生でした。
11月頃だったかな。
就職活動をしてもなかなか決まりませんでした。 |
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でも、自分よりももっと惨めな人がいっぱいいた。
それは、女子大生たちです。
あの頃、女子大生の就職率は16パーセントでした。
10人に1.6人しか就職できないんです。
それも親父が大会社の役員の人だとか、
代議士にコネがあるとか、
そういうことでしか就職できない。
ところが、その女子大生はまだいいの。
もっとひどい人がいた。
誰かといったら、
会社の中で既に働いてる女性たちでした。
彼女たちは、男尊女卑の社会のなかで、
毎日仕事をしてた。
だって、一緒に会社に入っても、
男性は何もしなくたって年功序列で
係長、課長になっていくんだもん。
女性はどんなに優秀でも、
給料は上がらないし、
肩たたきでやめなくてはならない。
それでも、みんな
10人に1.6人の就職率を乗り越えて、
就職難を吹き飛ばして、
そういうところに就職しようとしているんです。
ところが、その人たちはまだよかったの。
もっとひどい人がいた。 |
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誰かといったら、それは、
会社を辞めた女性たちです。
今度は絶対絶命。
女性には出産や子育てがある、
ご主人の転勤がある。
まだ若くて能力がいっぱいあっても、
辞めた瞬間に100%社会に戻れない。
パート、アルバイトの賃金はムチャクチャ安い。
だから、離婚は絶対できないね(笑)。
もう大変。
離婚した瞬間に生活できなくなるんだもん、
女性たちは。
こりゃひどいというんで、
僕は人材の派遣をはじめることにしたんです。 |
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そう、30年前。
ところが、大学の先生や就職課は、
「何考えてんだ。就職が当たり前だ」と言う。 |
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「自分が学生なのに」ってことですよね(笑)、
まわりからしたら。 |
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「まず一部上場の会社を狙って、
それがダメなら二部上場。
それもダメなら、誰もが知ってる
有名な会社に入れ」
と言われました。そして
「入りたい会社が定まったら、
そこに入った先輩がいるから
電話をかけて業務の内容や
残業が多いかを聞け」
と。残業が多いかどうかを確かめるとは、
つまり安定志向ですよね。 |
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僕の親父は逆だったんですよ。
30年前のある日、生活協同組合のチラシの裏に、
2つの言葉を書いて、僕にくれました。
それが僕の座右の銘になったんだけどね。
1つは、「土薄き石地かな」。
土が少ない、石ばかりの地面のことです。
土から芽を出すのは簡単だけど、
石の間から芽を出すのは大変でしょう?
でも、一旦芽を出すと強いってわけ。
そして、もう1つは、
「艱難辛苦(かんなんしんく)
汝を玉にす」。
若いときは苦労を買ってでもせよ、ということ。 |
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ほんとうだ!
言われてみたらそのままの話だ。
ありゃー、怖いねえ。
えらいことやね、これ。
今まで気がつかなかった。 |
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厳しい環境で、石だらけの土地で
育った野菜がおいしいのとそっくり。
びっくりしました(笑)。 |
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ゾクッとするね。寒気がするね(笑)。
僕は最初、大学側の言うことを聞いて、
就職活動をはじめたんですが、
12月も終わりの頃になると、
どんどん不安になっていきました。
親父から見れば、それがわかるわけ。
どうしようかと思っとったら親父がね、
「萩に行け」っちゅうわけ。
吉田松陰の松下村塾に行け、と。
1月、年明けてから萩に行って、
3日目に帰るときにやっと気がついたんだけど、
吉田松陰の座卓の後ろかどこかにあった掛け軸に、
こんなことが書いてあったんです。
「知識をつけることは
行動することのはじまりであり、
行動することはつけた知識を
完成させることである。
行なわなければ、知っているとは言えない。
知っていても行なわなければ、
知らないのと同じである。
知って行なってこそ真知だ」
行動することは、
つけた知識を完成させることなんだ。
もう、「これだ!」と思いましたね。
しかし、僕は、こりゃ長いな思いまして(笑)
「迷ったらやる」と、
自分の言葉に置き換えました。
もし親父があのとき「萩に行け」と言わなければ、
僕はおそらく会社を興さなかったと思うんです。
ということは、この人材派遣産業は、
今より5年から10年遅れていたでしょう。
今はもう派遣業は
2兆8千億円、7千社です。
それが、この30年間で起こったことです。 |
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今はもうだれもが知ってる言葉に
なっちゃいましたよね。 |
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(明日につづきます!) |
2006-09-12-TUE |
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