president

社長に学べ!<おとなの勉強は、終わらない。>


第3回 ものすごく夢中になった日。



岩田さんを見ていると
いつも公正だと思うんですけど、
ほかにも、なんだか理科系の人たちは、
全般的にそういうところがありませんか?
それはたとえば、わたしより
社歴が短くて歳が若くて経験が浅くても、
書いたプログラムが短くてはやかったら、
それははっきり「いい」とわかるじゃないですか。

おなじことをやるのに、
より短くてよりはやいプログラムがあったら、
そのほうがなにかがいいわけです。
わたしが敬意を払って
その方法から学ぶということは
あたりまえなんですね。

自分のできないことをできる人のことは、
性格が好きとか嫌いとか、
顔が好きとか嫌いとかいうこととは別に
敬意を持てるんです。

ですから、そういうところが、
ある部分では
公正といえば公正なのかもしれません。
みんなも、心の中では
そのはずなんだけれども、
プログラマーどうしで
うまくいかないことがあるわけですよね?
はい、そういうことが「多い」んです。
岩田さんは、
大学生ぐらいまでのころには、
そういうリーダーシップについて
気づかないで済んでいたんですか。
学級委員長みたいなことは
たしかにしていましたし、
クラブの部長的なこともしましたし、
生徒会長もやりましたし、ぜんぜん
縁がなかったわけではないと思うんです。

ただそのときは、
なにかをわかってやっていたというよりは、
ほんとになんとなくやっていましたし、
そんなに深くも考えていなかったのでは
ないでしょうか。

せいぜい
「ちょっと声が大きいからよく聞こえる」
というような程度の
リーダーシップだったと思います。
やっぱり、
実際に仕事をするようになって
おぼえたことが大きかったんですか?
それと、たまたま入った会社が
すごくちいさかったですから、
若くしてすぐに判断の当事者になるんですね。
そもそも、
HAL研究所にはバイトで入ったんですよね。
ぼくは冗談で、仕事仲間に
「岩田さんなんて、
 バイトから社長になったんだぞ!」
といっているんですけど。
そうです。
もともと、HAL研究所ができたのが、
わたしが大学二年生から
三年生になるときのことです。
大学卒業と同時に、
そのまま会社に入ってしまうわけです。
ほかのバイトはしていましたか?
バイトをしたことはありますけど、
この種のバイトはこれだけです。
自分に合っていると思いましたか?
……というか、やっていることが
「おもしろくてしょうがなかった」んですよ。
バイトに入る当時の
岩田さんという人は、たとえば、
パソコン雑誌みたいなもののなかで
「知っている人は知っている」
というような、
「あのペンネームはよく見る」
みたいな存在だったんですか?
それとも、一青年だったんですか?
パソコン雑誌で有名とか
そんなことはありませんが、
そのもっと前に、
高校生のときのわたしは、
まだパソコンという言葉もないし
パソコン雑誌もまったくないような時代に、
プログラムのできる電卓、
というものに出会いました。

それで授業中にゲームを作って
隣にいるともだちと遊んでいたという
歴史があるんですね。
あぁ、なんだかこんなちっちゃい機械。
いまだに、あれがなんだったか
わからないけど、ありましたよね。
ポケコンというものが出る前に、
ヒューレット・パッカードという
会社が作った電卓なんです。
アポロ計画の宇宙飛行士が月に持っていって、
アンテナの角度の計算に使った
とかいうものでした。
それ、ほんとなんですか?
ほんとなんです。
そういうプログラムができる電卓があって、
当時、すごい高かったんですけど、
皿洗いのバイトをしたりして
半分ぐらい貯めたら、
残りを親父が出してくれまして。
「そこまでやりたいんだったら」と。
はい。
それでその電卓に
すごいのめりこみました。

誰も教えてくれませんから、
とにかくひとりでやるわけです。

だんだん、あ、こんなこともできる、
あんなこともできるとわかってきて、
それでわたしは、
その電卓で作ったゲームを
日本のヒューレット・パッカードの
代理店に送ったことがあるんです。
(笑)そんなことがあったんだ!
ものすごく驚かれたらしくて
「とんでもない高校生が札幌にいるらしいぞ」
と向こうは思ったらしいです。

山のように、いろんなものを、
わたしに送ってくれましたけど。
そうなんだ。やっぱりすごい!
いまでいうと、
たとえば任天堂にどこかの高校生が
明日売れるような商品を
送ってきたような驚きが
あったんじゃないでしょうか。

でも、当時、本人には
その価値がわかっていないんです(笑)。
そうとう、夢中になったんですね。
そうなんです。
ものすごい、夢中になっていましたね。
資料を手に入れることひとつにしても、
今みたいにどこからでも
入手できるわけではないもんね。
そうなんです。
インターネットはないですから。
本もないんです。
図書館にだって、ないですよね。
そうなんです。
電卓の説明書はありますよね。
電卓の説明書は
こんなに厚いんですが、それを熟読して……。
それは、日本語なんですか?
いちおう日本語でしたが、
はっきりいって、
すごいへんな日本語なんですよ。
わからせようなんて
思って作ってないものなんでしょうね。
ええ、ぜんぜん作ってないですね。
だけど、だんだんわかっていくんです。
わかると、こんなことができる、
あんなことができるっていって……。
マシンを設計した人の意図にまで
たどりついていったんだ。
そういう感じがします。
翻訳した人にさえ
その地図が何を意味しているか
わからないのに、札幌で読んだ高校生が、
裏道を通ったりものすごい苦労をしたりして、
たどってたどって、開発者からしてみれば
「よくここまできたね」
といいたいぐらいのところに
行っちゃったんだ?
だと思います。
それがきっかけで、
ひとりのユーザーとして
コンピュータと出会っているんですね。
おもしろいなぁ!


第3回おしまい。明日に、つづきます
2005-03-03-THU