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岩田さんを見ていると
いつも公正だと思うんですけど、
ほかにも、なんだか理科系の人たちは、
全般的にそういうところがありませんか? |
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それはたとえば、わたしより
社歴が短くて歳が若くて経験が浅くても、
書いたプログラムが短くてはやかったら、
それははっきり「いい」とわかるじゃないですか。
おなじことをやるのに、
より短くてよりはやいプログラムがあったら、
そのほうがなにかがいいわけです。
わたしが敬意を払って
その方法から学ぶということは
あたりまえなんですね。
自分のできないことをできる人のことは、
性格が好きとか嫌いとか、
顔が好きとか嫌いとかいうこととは別に
敬意を持てるんです。
ですから、そういうところが、
ある部分では
公正といえば公正なのかもしれません。 |
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みんなも、心の中では
そのはずなんだけれども、
プログラマーどうしで
うまくいかないことがあるわけですよね? |
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岩田さんは、
大学生ぐらいまでのころには、
そういうリーダーシップについて
気づかないで済んでいたんですか。 |
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学級委員長みたいなことは
たしかにしていましたし、
クラブの部長的なこともしましたし、
生徒会長もやりましたし、ぜんぜん
縁がなかったわけではないと思うんです。
ただそのときは、
なにかをわかってやっていたというよりは、
ほんとになんとなくやっていましたし、
そんなに深くも考えていなかったのでは
ないでしょうか。
せいぜい
「ちょっと声が大きいからよく聞こえる」
というような程度の
リーダーシップだったと思います。 |
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やっぱり、
実際に仕事をするようになって
おぼえたことが大きかったんですか? |
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それと、たまたま入った会社が
すごくちいさかったですから、
若くしてすぐに判断の当事者になるんですね。 |
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そもそも、
HAL研究所にはバイトで入ったんですよね。
ぼくは冗談で、仕事仲間に
「岩田さんなんて、
バイトから社長になったんだぞ!」
といっているんですけど。 |
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そうです。
もともと、HAL研究所ができたのが、
わたしが大学二年生から
三年生になるときのことです。
大学卒業と同時に、
そのまま会社に入ってしまうわけです。 |
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バイトをしたことはありますけど、
この種のバイトはこれだけです。 |
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……というか、やっていることが
「おもしろくてしょうがなかった」んですよ。 |
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バイトに入る当時の
岩田さんという人は、たとえば、
パソコン雑誌みたいなもののなかで
「知っている人は知っている」
というような、
「あのペンネームはよく見る」
みたいな存在だったんですか?
それとも、一青年だったんですか? |
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パソコン雑誌で有名とか
そんなことはありませんが、
そのもっと前に、
高校生のときのわたしは、
まだパソコンという言葉もないし
パソコン雑誌もまったくないような時代に、
プログラムのできる電卓、
というものに出会いました。
それで授業中にゲームを作って
隣にいるともだちと遊んでいたという
歴史があるんですね。 |
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あぁ、なんだかこんなちっちゃい機械。
いまだに、あれがなんだったか
わからないけど、ありましたよね。 |
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ポケコンというものが出る前に、
ヒューレット・パッカードという
会社が作った電卓なんです。
アポロ計画の宇宙飛行士が月に持っていって、
アンテナの角度の計算に使った
とかいうものでした。 |
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ほんとなんです。
そういうプログラムができる電卓があって、
当時、すごい高かったんですけど、
皿洗いのバイトをしたりして
半分ぐらい貯めたら、
残りを親父が出してくれまして。 |
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はい。
それでその電卓に
すごいのめりこみました。
誰も教えてくれませんから、
とにかくひとりでやるわけです。
だんだん、あ、こんなこともできる、
あんなこともできるとわかってきて、
それでわたしは、
その電卓で作ったゲームを
日本のヒューレット・パッカードの
代理店に送ったことがあるんです。 |
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ものすごく驚かれたらしくて
「とんでもない高校生が札幌にいるらしいぞ」
と向こうは思ったらしいです。
山のように、いろんなものを、
わたしに送ってくれましたけど。 |
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いまでいうと、
たとえば任天堂にどこかの高校生が
明日売れるような商品を
送ってきたような驚きが
あったんじゃないでしょうか。
でも、当時、本人には
その価値がわかっていないんです(笑)。 |
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そうなんです。
ものすごい、夢中になっていましたね。 |
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資料を手に入れることひとつにしても、
今みたいにどこからでも
入手できるわけではないもんね。 |
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そうなんです。
インターネットはないですから。
本もないんです。 |
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そうなんです。
電卓の説明書はありますよね。
電卓の説明書は
こんなに厚いんですが、それを熟読して……。 |
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いちおう日本語でしたが、
はっきりいって、
すごいへんな日本語なんですよ。 |
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わからせようなんて
思って作ってないものなんでしょうね。 |
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ええ、ぜんぜん作ってないですね。
だけど、だんだんわかっていくんです。
わかると、こんなことができる、
あんなことができるっていって……。 |
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マシンを設計した人の意図にまで
たどりついていったんだ。 |
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翻訳した人にさえ
その地図が何を意味しているか
わからないのに、札幌で読んだ高校生が、
裏道を通ったりものすごい苦労をしたりして、
たどってたどって、開発者からしてみれば
「よくここまできたね」
といいたいぐらいのところに
行っちゃったんだ? |
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だと思います。
それがきっかけで、
ひとりのユーザーとして
コンピュータと出会っているんですね。 |
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