これはその中の1つで、 僕らの企画としての作品 「TSUTAYA」の コンセプトをまとめた本です。
企画力をあげるためには、 一回、考えを外に出して 客観的に見る必要があります。 こういう本に作ることによって、 ぼくの考えに 客観性を持たせているんです。
頭の中にとどめておくのではなくて 外に出しているから…… こうすれば糸井さんも見れるし、 会社の人たちも見ることができて、 さらによくしていくということも できるんだと思うんです。
徹底的な情報共有というのが 増田さんのコンセプトで、 その中に自分の脳味噌も ぜんぶ開いて君にあげます、 ということですよね……たぶん それで進化するんだとは思うんです。
ただぼくは社員じゃないから こんなことを言う立場にはないんですけど、 なんかヘンだというような気もするんです。
頭がよすぎる 社員を作ってしまうといいますか。 企画の最後の跳躍は バカの命がけのジャンプ みたいなところがあって、
その前のところまで いくら一生懸命にたどりつけていても、 そこで飛べるか飛べないかとは ちがう話ではないかと…… あ、これはもうぜんぜん 「社長に学べ!」の取材で ききたいということとは別で、ただ、 自分の趣味で話していることなんですが。
人が一日に見る風景を 文字にした人がいるらしいんですけど、 朝起きたところから 目に映ったものを文章化すると、一日で 文庫本二十四冊ぶんになるのだそうです。
無意識に見ている景色だけでも 文庫本で二十四冊ぶんですから、 ものすごい量の情報を みんなが仕入れていて、 そこからピックアップして 記憶のファイルに入れているはすで……。
だけど ほとんどの記憶が 捨てられることになりますよね。
捨てられないで残っているものは 各自のデータベースに なっているわけですけど、 それはシェアしておいたほうが 企画力はあがるでしょう? という考えなんです。
もちろん強制ではないですし、 ぼくの場合は好きでやっているから みんなでのぞきに来てみてね、と ファイルをオープンにしているんです。
ぼくは、企画って どこにあるのかということを よく言うんですけど……人間って、 理解の領域があるじゃないですか。
世の中の現実というやつは、 ひとりの個人が世の中を見てわかった 理解の領域をこえているんです。
たとえばある企画があって話した場合に、 もしも理解の領域内にあれば 「おもしろい」というふうになるわけだけど、 すぐに「おもしろい」とわかるものは たいていお金にはなりません。
だって、その人のおもしろさには 成長がないんですもんね。 ほんとうはその人の理解の領域を 超えたところにあるのが 正しい企画なんだけど、 理解の領域をこえてしまうと これまたお金にはなりません。
その人はかならず、 「リスクが大きすぎる」 「まだこれは早すぎる」 「こうなったらどうするんだ」と、 自分に理解のできないことについて いいわけするんです……で、 この場合にぼくの企画の売りかたは、 「だます」んです。
その人の理解の領域の外にある企画を、 その人の理解の領域の中にあるものに 置き換えるんです。
つまり増田さんは 考えることが大好きで、 アイデアを思いつくことが 大好きなわけですけど、 それは半分ぐらいは 趣味というか個性というか…… つまり特殊な人なわけです。
みんなに 「その特殊な人になれ」 と言ってもできないといいますか、 もしも社員が背中に迫ってきたら きっと増田さんはさらに加速して 突き放そうとするタイプですよね?
企画のアスリートみたいな 発想をしますから、 二番手がきたら、 絶対にそいつをひきはなすまで 走ると思うんです…… するとどこまでいっても 増田さんのレベルにはならないわけです。
もちろん、 その企画アイデアを出すという ゲームそのものがものすごくおもしろくて、 おもしろすぎるぐらいなんでしょうけども、 増田さんの手法をつきつめると、 さっきおっしゃっていた 「視点のワープ」が むずかしくなるんじゃないかといいますか……。