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とにかく、アサヒビールの人たちは
新橋で、毎日ビール飲んでたんです(笑)。
「うまいな。な?」って言いながら
ガンガン飲むんですよね。
きっと仕事で飲んでるんだろうけど、
あれは本当にうまいと思ってたと思う。 |
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ビール会社の人間はみんなそうです。
本当にみんな
自分の会社のビールがうまいと思ってます。
ともかく、いるやつはみんなビールが好き。
大好きです。
宴会すると、大瓶をひとり20本飲みますから。
少なくとも10本は飲みます、10本は。
だから、人数×10本は
ビールを用意しないとだめなんですよ。
10人の宴会だと100本要るんです。 |
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はははは。
戦国時代にいるみたいな
もんですもんね。 |
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ええ。わけわかんなくなってます。
ともかく頼んだ100本は
空けなきゃいけないんで、空けます。
2次会行くと、またビールです。
3次会もビール。
店から出て「喉が渇いた」って
自動販売機でビール買うんですよ。 |
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「缶のスーパードライ、
やっぱり炭酸効いててスカッとするよね」 |
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そこまでいくと、いいなぁと思う。
ぼくはいま、仕事の公私混同はいいんだよ、って
よく社員にも言ったりするんだけど、
ビール会社で
ああやってビール飲んでた人たちは、
超公私混同ですよね? |
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人生がビールの中に飛び込んでますよね。
逆に言うと、そのくらいしないと
だめだったのかもしれないです。
それで攻めてこられたキリンのほうも、
坊ちゃん坊ちゃんしてたはずなのに、
がんばったもんね。 |
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黙ってても売れた時代を
経験してる人たちだったでしょうから、
追うほうが楽だったかもしれないです。 |
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おしりに火は点いていたでしょうけど、
対抗したほうがいいのか、しないほうがいいのか、
ジャッジからして、難しい。
それが手伝ってておもしろかったです。 |
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アサヒビールはすごく居心地のいい会社でした。
みんな、ものすごく酒を飲むのに
酒の席で嫌な思いをしたことが1回もありません。
みんなジェントルマンなんです。
ぼくはそんなに酒が強くないんですが
「お前、わしの酒が飲めんのか」
なんて言われたことは1回もないです。
酔っ払ってくると、
「ああ、斎藤君、
ウーロン茶かなんか飲んだら?」
とか言ってくれました。
しかも「お酌をするな」って言われるんです。
みんな、自分のペースで
完全にグラスを空けてから飲みたいので。 |
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アルコールをからだに入れることですから、
危険な仕事をしてるってわかってるんですよ。
ああ、いい話だねぇ。
アサヒビールで斎藤さんは
ビールの営業をしてたんですか? |
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いえ、最初は営業だったんですけど、
事業開発の部署に移って
新規事業開発をしました。
そうこうしているうちに90年代に入り
バブルがはじけました。
アサヒビールも
いろんな事業から撤退をすることになり、
それからは
事業のリストラみたいなことをやりました。
もう、いろんな経験をさせていただきました。 |
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斎藤さんは、人のふんどしで
さんざん試合してきたのね。 |
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ええ(笑)。
しかも、1991年に、ぼくは
アサヒビールの人事部にいた人と
結婚しました。 |
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そうなんです(笑)。
それから3年後、1994年になって、
ぼくは34歳になりました。
やっぱりカエルの子はカエルなんでしょうか、
実家が代々事業をやっていたので、
やっぱり自分で商売をやりたいな、
という思いがあったんでしょう。 |
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そこで徳島の家業を継ごうというとに
なったんですね。 |
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ええ。今だったら企画書を書いて
ベンチャーキャピタルの人を騙して(笑)、
お金を出してもらうとか、
いろんな方法があります。
だけど、当時のぼくは、
とりあえず徳島に帰ろう、と考えました。
斎徳は、本当にちっちゃな
社員20人ぐらいの問屋でした。
そこの一国一城の主になりました。 |
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基本的には砂糖ですが、
小麦粉やお菓子の材料なんかも
販売していました。 |
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そうですね。
でも、ぼくのいまの商売が
現在のかたちになるもともとの気配は、
アサヒビールの事業開発をやってところに
あるんじゃないかなと思うんです。 |
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アサヒビールの事業開発で
外食産業をいくつかやらせてもらってたんです。
そのときに、自分は食いしん坊だから、
食べものに関わる仕事を
生業にしていくんだろうなと思いはじめました。
まぁ、アサヒビールに入ったときから
食べものに関わるのってたのしいな、とは
思っていたんです。
目の前でお客さんがスーパードライを
「おいしい」って飲んでくれるし、
食べ物屋さんの開発の仕事でも、
やっぱり「これおいしいよね」って
みんなが目の前で食べてくれる。
だからきっとぼくは
板前さんになっても
よかったんだろうと思います。 |
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(つづきます) |