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1994年に徳島に帰ろうとしたとき、
父親からつねづね言われていたことを
思い出したんです。
「中小企業の社長なんていうのは
休みはないんだ」 |
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「じゃあ、休もう、今」
と、家内と2人で140日間、
バックパックを背負って世界一周しました。 |
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それは勇気の要ることだなぁ。
140日間、世界を歩いて、
おもしろかったですか。 |
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おもしろかったです。
アジアも回りましたけど、
タンザニア、ケニア、エジプト、
ヨルダンからイスラエルへ‥‥ |
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それ、奥さんと2人で?
喧嘩とか、激しくあったんじゃないですか。 |
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喧嘩はほとんどなかったです。
140日間、トイレとお風呂以外は
ずっと一緒でしたけど。 |
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はい。
だから、いつも
視界のどこかに必ずいる歩き方とか、
そういうことが身につきました。 |
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それは、いまご自分が
事業をされていることにも
つながっていきますよね。
最初は特に奥様との
チームワークだったでしょうから。 |
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それは本当にあると思います。
ちから加減やら、
ふたりの背負っているものやら‥‥
そうやって140日で世界を回り、
最後に徳島にたどり着いて
父親に「継ぎます」と言いました。
そのときに、
「ただ、ぼくの代でつぶれるかもしれない」
と告げたんです。
流通の世界というのは、どんどん
変わっていかなきゃいけないから、
「もしかしたら斎徳なんていう名前は
なくなっちゃうかもしれない。
それでもいいの?」
そういうことで継ぎました。 |
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斎藤さんは、
CM制作会社のお金勘定や、
アサヒビールのいろんな経験、
さまざまなテストケースを見てきたから、
そういうことがわかってたんですね。 |
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勉強してやろうとか修業だとか
思ってなかったんですが、
結果的に言えば、それまでのことが
すごく役に立ったと思います。
CM制作会社時代に、
プロの照明さん、カメラマンさん、
音響さんと丁々発止で値段交渉したり、
棒でしばかれたり、
そんなこともいい経験になってますし。 |
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いちばん役に立ったのは‥‥
やっぱり、CMの制作会社にいた
最初の3年間です。 |
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はい。アサヒビールにいたときというのは、
「そうは言ってもサラリーマン」で、
周囲の価値観が一緒なんです。
まあ、どう出世するかとか、
そんなようなことです。
でも、フリーの人たちはちがいます。
例えばダンス踊ってる人というのは、
本当に、すごい貧乏しながら
ダンス道を追い求めていますから、
サラリーマンから見たら
考えられない生活をしていたりします。
「今月は収入がゼロ円だった」とか
25,000円ぐらいのギャラを、
「なんとか今月中に入金してください」とかね。
ぼくはあの時代に、
すごく多様な価値観に触れることができました。
人が、自分がやりたいことをやる、
それがどれだけ大変かということがわかりました。
そこを極めていく人たちがいて、
すごいなぁ、と思ってました。
自分にそんなことができるのかどうか
わからないけど、やっぱりすごいなぁ、と
思いましたね。 |
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周囲には、すごくいろんな人がいて、
その人たちひとりひとりを
大事にしなきゃ、という気持ちが
あるということですね。 |
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(つづきます) |