|
|
|
|
徳島に帰ってしばらくして、
1998年に、親父から
「社長やってくれ」
と言われました。
自分ではちょっと早いと思っていましたが。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1998年だと、
ちょうど「ほぼ日」がはじまった年ですから
インターネットは、ある程度ですが、
普及していましたよね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そうですね。
ぼくがネットの世界に興味を抱きはじめたのは、
世界一周する前の、1994年あたりです。
まだインターネットはなくて、
ニフティサーブ(NIFTY SERVE)という
パソコン通信でした。
「これは時間と距離を越えられる」と
驚異的に感じたのを憶えています。
これからはネットの時代が来るだろうと思って、
アサヒビールの名刺に、ニフティサーブのIDを
勝手にゴム印で押したりしてました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
アサヒビール時代にもう、
そんなことを考えていたんですね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ええ。勝手にモデムを買ってきて、
会社のパソコンにつないでました。
総務部長に
「NTTから変な請求が来てるけど、何?」
「パソコン通信です」
「そんなわけのわからんものするな」
と、怒られたり。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
徳島に帰ってすぐの1995年は
いわゆるインターネット元年でした。
日経新聞あたりで、毎日
インターネットの記事が出ていました。
さきほど、インターネットは
時間や距離を越えられると言いましたけれども。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
東京を経験した人間ほど、
地方に帰ったときに、
その格差は埋められないものだと気づきます。
「地方の時代は来る」とか言ってるけど、
そんなの絶対来ない。
ぼくらは、東京に一極集中していることに、
ものすごく危機感を抱きました。
ですから、東京経験者の間では
インターネットの話がものすごく響いたんです。
一方、徳島で生まれ育った人には、
なかなかわかってもらえませんでした。
親父に「パソコン買ってくれ」と言うと、
「問屋にパソコンなんか要るか。ボケ!」
と、一蹴されました。
話しても無駄なので、妻にお願いして
36回ローンでパソコンを買いました。
そして、そのパソコンで、自分で
ホームページをはじめてつくりました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ええ、まだ徳島には
プロバイダーがありませんでした。
大阪の「ベッコアメ」につないで、
月の電話代が40,000円。
これでまた父親に
「何をやっとるんだ」
と怒られて(笑)。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そのとき、具体的にはパソコンで
「何をやっとった」んですか。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ただホームページをつくって
喜んでました。
人が訪ねてくると
「インターネットってな」と
ちょっとHな画像とか見せて、
「すごいな!」 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「斎藤はインターネットってものを
やってるらしい。すごい」
そういうことで噂が広まっていきました。
徳島の商工会議所から
講演に呼ばれたりもしましたよ。
「こちら、インターネットをやってる
斎藤さんです」 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「インターネットをやってる斎藤さん」には
先生にあたる人はいたんですか。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
いや、いませんでした。
東京に出張に来るたびに
秋葉原で本を買って勉強して、
HTMLを手打ちで入力してました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ええ、全部。
そうこうしているうちに、
斎徳のお客さまに、
お菓子屋さんがたくさんありましたので、
「お菓子を売ってみよう」ということで、
サイトを立ち上げて、売りはじめたんです。
週に1件注文があっただけで
徳島新聞に載りました。
「斎徳、インターネット通販はじめる。
週に1件注文。北海道から」
それで、「すごい!」「売れるんだ!」と
みんなから言われていました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「情報飛ぶんだ!」みたいなことですよね。
人類にとっての大きな1歩が、
思えばそのときに起こっていたんですね。
その1件の注文、うれしかったでしょ?
「誰かが見てる」ということは、
うれしいんですよねぇ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そのネット通販の「週1個」が
いつか「2個」になったわけですね。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1個が2個に、
2個が4個になっていきました。
自分でお菓子材料の販売もはじめて、
1998年1月には、クオカとして
売り上げが立っていました。
月商3000円ぐらい(笑)。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
はい。平行して、1998年に
ショッピングモールもつくったんですよ。
日本で最初のショッピングモールじゃないかと
言う人もいます。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
鳴門わかめ屋さんとか
羊羹屋さんとか、蜂蜜屋さんとか、
魚介を売ってる店とかです。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そのわかめ屋さんとかは、
斎藤さんが熱心に言うから
モールに入ったわけでしょ? |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
そうです。
「これからインターネットで
売る時代が来るから!」
ってね。
「売れた分の手数料
10パーセント貰えればいいです。
ですから、やりましょう」
と、一生懸命説明して‥‥
みんな半信半疑でした。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「両者損はないし、やりましょか」と。
わかめ屋さんの売り上げは? |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
売り上げ的には
どうだったかわかりません。
ですが、
「インターネットでわかめを売ってる先進企業」
として、彼らは
いろんなところに紹介されました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
鼻高々で。
うんうん、わかります。
「ほぼ日」の開通も
1998年でしたから。 |
|
|
|
|
|
(つづきます) |