飲食店をやっていると、いろんな人に出会います。
いろんなお客様。
いろんな業者の人やそれから近所の人たち。
新しい店。
しかもちょっと話題の店に立ってると、
あぁ、この人達は外食産業の業界の人って
一目でわかる人たちもくる。

その人たちはキョロキョロするのですぐわかります。
ビシッと決めたおじさんが、
かわいい女の子がいないかとキョロキョロするのは
レストランのステキな景色のひとつですけど、
くたびれたスーツを着込んで宙を仰いで
キョロキョロするのは店舗設計関係の人。
いきなりお皿をヒックリ返して、
どのメーカーの食器か確かめようとする、
多分、商品開発担当の人なんでしょう。
出てきた料理のソースを
まずは指でぬぐって味見をしたり、まぁ、落ち着かない。
何か学べるものはないか‥‥、と一生懸命なんでしょう。
ボクも、仕事柄そんな見方をするときもある。
だから「業界の方ですか?」と、
聞いてみることにしてました。

もし、互いになにか役に立つことがあれば
それもよき出会い。
厨房の中を見せて差し上げたり、
メニューをコピーして差し上げたり。
飲食店のデザインとか、
料理というのは著作権で保護されぬ、
だから真似しようと思えばいくらだってできるのですね。
だからお店の中の秘密を詮索されるのを
嫌がる人もたくさんいる。
けれど、よく似たお店ができるということは、
そうしたお店をいいと思う人を増やしてくれるコト。
それだけ市場が広がることだから、
ボクはウェルカムと思っていました。
もしも隣に、同じようなお店ができたら、
その時こそが自分のお店の本領発揮。
比較するものがあってはじめて、
本当の良さをわかって貰える。
だから、教えてあげられることは
なんでも教えてあげよう‥‥、
そう思ってお店にたっていましたから。




ある日のコト。
スーツ姿のおじさんが、二人でお店にやってきた。
一人は神経質そうな細身のおじさん。
もう一人は、ちょっと小太りで
おそらく調理か商品開発の担当者でしょう。
手の甲の毛がチリチリと、焼けてクルンと丸まっていた。
業務用の火力の強いコンロで調理をしていると、
日常的におこるコト。
ふたりともやはりキョロキョロ、落ち着かない。
それで、「レストラン関係の方なんですか?」
と聞いてみはしたのだけれど、
「いや別に‥‥」とはぐらかされてしまったのです。
仕方が無いので、普通のお客様に接するように
サービスします。

料理を出すたび、一口食べては、
この料理がどのように作られているかをふたりで語る。
聞いちゃいけない‥‥、と思いながらも、
自然と耳がそのテーブルに向かって開く。
太った業界さんの中国料理に対する造詣の深さは
見事なモノで、
ほぼ正確に材料や調味料を言い当てるのです。
ただ、自分ならこの器には盛らないなぁ‥‥。
この分量、この大きさで食べると
まるで別の料理になるなぁ‥‥。
そんな感想をつぶやきながら、
ゴクリゴクリとお酒を重ねる。
深刻な表情で、何か盗んでやろうと
必死の形相の業界さんはどうにも苦手。
けれど、お客様の気持ちになって
たのしく食事をするのも勉強と、
ニコニコしている人には
もっと喜んでもらわなくっちゃ‥‥、
と、サービス精神旺盛になる。
その日もボクは、料理にあわせて
いろんなお酒をおすすめし、
かなり和気あいあいな雰囲気になってきたとき。

小太りさんが腰をうかして
ズボンのお尻ポケットからハンカチを出す。
そして額の汗をぬぐいはじめたのです。

食事をすると、人は体温を上げる生き物。
ましてやお酒を飲むと、体はぽわんとあったかになる。
レストランに入ったときに快適と思った室温も、
食べてる間に徐々に暑く感じるようになるようなコト。
ありますよネ。
特にネクタイのようなモノで首の周りをくるんでいたり、
上半身をかっちりくるみこむような装いのときには
体の熱がこもってどんどん温度が上がる。
長時間をたのしむ予定のレストランに、
カーディガンはOKだけど、
頭からかぶるセーターはとっても危険。
粋じゃない‥‥。
小太りさんはジャストフィットのウールのジャケット。
しかもピチッとネクタイをして、
保温バッグの中に入った状態で
かきだした汗がとまらない。
なんとかしようと思ったのでしょう。
上半身をもじもじさせて、
ジャケットを脱ごうとしはじめました。

椅子に座ったままの状態。
体をよじって、腕から片袖をまず引き抜きます。
上手にスルンと脱げるよう、
首を伸ばして斜め上をみながらユックリ、
片方の肩をあげながらそっと腕を引き上げる。
周りの雰囲気を邪魔せぬようにと、
仕草はとても緩慢で
かなり神経をとぎすましながら
袖から腕をぬこうとしているのが遠目にわかる。
けれど目は宙を向き、手元をみている訳ではなくて、
自分の手がワイングラスに
今まさに触れようとするのに気づかない。
小さな椅子に座ったまま、上着を脱ぐというコトは、
あたかも小さな部屋の中で象が方向転換するようなもの。
しかもその部屋にはワイングラスや調味料入れといった
壊れやすいモノが棚にギッシリ並べられてる、
そんなところで象が暴れてしまったら大騒ぎ。

あぶないですよ‥‥、
とボクが近づこうとする寸前のタイミングで、
小太りさんの手がワイングラスをササッと撫でる。
彼はビックリ。
グラスを倒さぬようにとグルンと体を反転。
反対側の手でワイングラスを押さえようと、
体をよじり直して腕をグインと伸ばす。
不幸なコトに、彼の来ていたウールのジャケットが
テーブルクロスを引きずった。




それはもうてんやわんやの大騒ぎです。
てんやわんやというより、阿鼻叫喚。
テーブルの上は、
失敗してしまったテーブルクロス引きのような状況。
小太りさんの上司のワイングラスが倒れ、
しかも倒れた場所が料理が半分残ったお皿の上。
グラスは割れて、テーブルクロスは真っ赤に染まる。
幸か不幸か、その日はそれほど忙しくなく、
他のテーブルに移ってもらいしかも
被害はテーブルの上のコトだけ。
洋服が汚れたり、
床に何かが散乱したりすることもなかった。
むしろこの出来事がきっかけでボクらはめでたく、
名刺交換。
実はこの小太りさんは老舗ホテルの
中国料理部門の料理長を
努めてらっしゃるというコトを知る。
そのあと、個人的なお付き合いも
させていただくコトにもなって、
後に独立をして有名なオーナーシェフになられた今まで
ずっとご縁がつながっている。
災い転じて福となすという、
そんなキッカケになりもするけど、
出来ることならこうした失敗はしたくないもの。

さて、この小太りさんは、
このとき、どうすればよかったのでしょう?





2011-04-14-THU


© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN