糸井 |
和枝さんが「最近はダラダラです」って
言ってましたけど、
それについて河野さん、どう思われます?
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河野 |
うーん、和枝さんに限って
そんなことは絶対にないと思いますけど。
このあいだだって
もう、いっぱいダメ出ししていただいて。
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会場 |
(笑)
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和枝 |
そんなそんな(笑)。
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河野 |
定期的に
商品開発の会議を持とうということで、
まず一回目は
私がまな板の上に乗ったんですけど、
和枝さんもう、突っ込む突っ込む。
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糸井 |
いいですねぇ(笑)。
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河野 |
本当に、ありがたいことです。
それで壊れない信頼関係があるってことだし
それで壊れない人だと
思ってもらってるからこそ、できることだから。
そうじゃないと
いいものをつくっていけませんしね。
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糸井 |
それは、つまり「吟醸」ですね。
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河野 |
はい、「吟醸」です。
ただ、このあいだのは特に鋭かったです(笑)。
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糸井 |
河野さん袋叩き(笑)。
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河野 |
アンカーコーヒーの(小野寺)紀子さん、
やっち、和枝さんとで、
もう、寄ってたかって一斉攻撃ですから。
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糸井 |
河野さんご自身は、
ダラダラって感じには、なってませんか?
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河野 |
私は、その時期を脱してきましたね。
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糸井 |
そうですか。
震災から2年以上が経過して、
いい意味で、みんなの力が抜けてきたのは
僕も感じていました。
ここからは
ふつうの地方どうしとしての付き合いが
はじまるんだろうなあって。
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和枝 |
本当、本当に、そう思います。
素晴らしい能力を持った若い人たちが
震災後、
私たちの地域においでくださいました。
震災前ならあり得なかったことで、
本当に素晴らしいと思っているんですが、
そうした人たちにも、それぞれ出身地があって、
震災前、
私たちが抱えていたのと同じような悩みを
抱えてらっしゃいました。
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糸井 |
うん、うん。
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和枝 |
私たちは「ゼロ」になったので、
逆に言えば、
そこからやり直すという大きな「機会」を
与えられていると思います。
だから、他の地方のみなさんと私たちが、
何かに一緒に取り組むことで、
それぞれの地元の問題解決に役立つヒントを
発見できるんじゃないかなって。
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糸井 |
そうですね。
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和枝 |
私、それまで地元で獲れていた素材が
獲れなくなったので、
震災後、よその地域をたくさん歩いたんです。
そのときに痛感したのは、
震災前までの気仙沼と同じような問題が
どの地域にもあるんだということ。
何とも言われぬ閉塞感があったり、
一次産業や製造業では
利益が出ずに苦しんでいるところもあったり。
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糸井 |
被災ということを別に考えると
日本の地方が抱えている問題、ですものね。
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和枝 |
それなのに、私たちは全国のみなさんから
いろいろしていただいている。
でも、そのなかで、競争力といいますか、
自分で生きていける力をなくしてしまっては
ご恩に報いることもできません。
ですから、
他の地方でがんばってらっしゃる方に
お会いすると、
行政に文句を言っている場合じゃないぞって
そんなふうに思います。
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糸井 |
なるほど。
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和枝 |
気仙沼には、海産物や農作物など
豊かな資源があるのだから、
私たちが今、懸命に仕事をしなければ
ぜんぶ「ダラダラ」になっちゃう。
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河野 |
陸前高田の町は、平地が壊滅しました。
だから、まっさらになった場所の上に
これから、ものをつくっていくんです。
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糸井 |
ええ。
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河野 |
先日も、市役所のメンバーと
どんな町にしていったらいいかと話し合い、
危機感を共有してきました。
このままだと、住む人がいなくなる。
そのためにすべきことがあると思いますが、
われわれ民間でやれることと
行政が得意なことっていうのは違うんです。
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糸井 |
うん。
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河野 |
つまり、何が言いたいかって言うと、
テレビなんかでは
「行政がだらしない」みたいに映されますけど、
ものすごい「はたらきかた」なんですよ。
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和枝 |
そうだよね。
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河野 |
みなさん、半端じゃない仕事のしかたしてる。
国の官僚なんかは
現場になんて来ないだろうと思ってましたが
震災から1ヶ月しか経ってないとき、
顔じゅう泥だらけの作業着でやって来たのが
中小企業庁のお偉いさんでした。
「まだ予算は成立してないけど、
クビをかけてでも法律を成立させるので、
今のうちに
地域の人たちに流してください」
と言って中小企業支援の話をして帰ったり。
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糸井 |
へぇー‥‥。
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河野 |
雇用の問題にしても
休業して全員解雇もやむなしという話だって
あったんです。
でも、事業所の8割が壊滅した陸前高田で
全員解雇したら、町がなくなってしまいます。
そんなときに
「雇用を維持するための法律があります」と。
で、ちょっと手続きは大変なんだけど、
助成金を得るために
まずは八木澤商店を通してくださいと。
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糸井 |
おお。
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河野 |
こっちは
まだ「やります」って言ってないんですよ?
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会場 |
(笑)。
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糸井 |
つまり八木澤商店に「代理店」をやってくれと。
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河野 |
だから、ボランティアで代理店をやりました。
「河野さん、いいですよね?」って
行政の人に言われたら、
こっちだって意気に感じるじゃないですか。
他にも、国連のテントを寄贈していただくとき、
さっきのヒゲの田村さんが
「そこで商売してえな」って言い出しまして。
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糸井 |
ええ。
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河野 |
そのことを国連の人に相談したら、
「いや、国連のテントで商売はちょっと‥‥
ただ、テントが建設後に何をやっても
それを処罰する法律はないです」と。
「‥‥オッケーってことですかね?」みたいな。
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会場 |
(笑)。
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河野 |
われわれ、そのテントの中で商売をやりました。
お金を払って仕入れをして、
お客さまからお金をいただいてという商売です。
それには当然「営業許可証」が必要になるので、
仲間が保健所に行ったんです。
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糸井 |
はい。
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河野 |
「肉屋」と「魚屋」と「お菓子屋」と
「惣菜屋」と「飲食店」の許可証をくれと。
そんな免許ないんですよ。ひとつの建物で。
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糸井 |
はー‥‥。
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河野 |
ふつうなら絶対にあり得ないんですが
申請の翌日には、ハンコをもらって来ました。
で、得意先の魚屋さんとか肉屋さん、
避難所にいる人たちに
「商売を一緒にやろうと、立ち上がろう」と。
5月1日にオープンしたときに
保健所の人がやってきて、
ふだんは
「営業許可証は見えるところに貼ってください」
と言うんですけど
今回に限っては「見えないところに‥‥」。
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会場 |
(笑)。
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河野 |
警察官、自衛官のみなさんはもちろんのこと、
他の多くの公の人たちも、
あの現場で
どれだけ必死で仕事をしていたかということ、
忘れないでおきたいです。
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糸井 |
僕、この「はたらきたい展。」のテーマとして
「ゼロを1にする」って言いましたけど、
実は、もうひとつあるなあと思っているんです。
それは「人」。
昔だったら
商売には工場や土地、お金が大事だったけど、
今は何よりも「人」なんじゃないか。
人さえいれば、他のものは付いてくるというか。
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河野 |
本当に、そうですね。
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糸井 |
がんじがらめのルールだとか、
これだからお役所仕事はとか言われたとしても、
結局、何かを成し遂げるのは「人」です。
「はたらく」というのは
「人」がなしていくことなんだ、というのが
もうひとつのテーマだと思います。
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和枝 |
うん、うん。
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糸井 |
震災から2年が経った今、
東京の渋谷でこんな展示会が行われていて
こうやって
たくさんの人が集まってきているってこと、
おふたりは、どう考えますか。
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和枝 |
やはり「はたらく」ということには
こんなにも多くの人が
関心を持ってらっしゃるんだなあと。
私だって、
とにかく「はだらぎたい」と思います。
心底、みんなで「はだらぎたい」と思います。
朝、起きて自分にやることがあるってことは
ご飯を食べたり、お風呂に入ったり
おふとんで寝たりすることと同じくらいに
幸せなことだなあと、思います。
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河野 |
はたらけるのは、最高に幸せですよね。
震災の年の5月の初頭、
他の蔵で、代わりに作っていただいたタレに
うちのシールを貼って売るという仕事から
私どもは、再開したんです。
それが、冗談じゃなく「涙が出る」んですよ。
荷物を運びながら。
うれしくてうれしくて、涙が出てくるんです。
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糸井 |
‥‥そうだよね。
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河野 |
だから、お醤油の工場が再開したときだって、
ものすごくうれしかった。
いろいろ右往左往しましたけど
仕込んで間もない醤油を分析のために絞って、
グラスに入れてみると、
ものすごく綺麗な色をしているんです。
涙が出ます。
俺はこういう仕事してたんだなあ、と思って。
はたらけるよろこび、今すごく味わってます。
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和枝 |
うん、ほんとに。
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糸井 |
おふたり、
まだまだやりかけのことばかりですもんね。
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和枝 |
そうそう、これからです。
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糸井 |
僕らもお節介をしに東北へ通いますし、
これからも、お付き合いは続くと思います。
みなさんも、ぜひ、
この人たちのことを、見ていてください。
今日は、ありがとうございました。
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河野 |
こちらこそ、ありがとうございました。
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和枝 |
ありがとうございました。
<おわります> |
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