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糸井 |
この展覧会全体のテーマでもあるんですけど、
「ゼロから1をつくる」ということが
大事なことなんじゃないかなと、思うんです。
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和枝 |
はい。
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糸井 |
何にもないところから
「1」にすることのたいへんさとおもしろさ、
と言うか‥‥
おふたりに「1」が見えたときって、
いつだったんでしょうか。
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河野 |
ゼロから1‥‥ですか。
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糸井 |
一般的に言えば
「銀行がお金を貸してくれたとき」というのは
ひとつ、そうかもしれないですよね。
あるいは今回の場合には
ミュージックセキュリティーズによる
「被災地応援ファンド」とか。
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和枝 |
そうですね。
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糸井 |
ご存知かもしれませんが
ミュージックセキュリティーズというのは
震災のあと、被災企業に対して
「半分は寄付、半分は投資」という仕組みを提案して
大きな成果を上げた組織です。
和枝さんも、河野さんも、活用されていて、
斉吉さんで「1000万円」でしたっけ。
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和枝 |
はい。
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糸井 |
八木澤商店さんは‥‥。
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河野 |
5000万円。
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糸井 |
僕は外側から見ていたんですけど、
まだ、ぜんぜんお金が集まってないうちから
これは「ホームラン」だなって‥‥。
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和枝 |
そうですよね。仰天でした。
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糸井 |
仰天でしたか。
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和枝 |
はい。
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糸井 |
でも、最初は「怪しい‥‥」と思ってたって。
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和枝 |
あ、はい、思っていました。
大変、申し訳ございません。
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会場 |
(笑)。
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和枝 |
私、NHKの『ハゲタカ』というドラマを
何回も何回も観てたんです。
出ている俳優さんが、大好きだったので。
で、そのドラマのなかに
「ハゲタカ・ファンド」というのが‥‥。
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会場 |
(笑)。
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和枝 |
ファンドなんて、パソコンの画面を
3つくらいいっぺんに見たりするような、
あたまのいい人たちの話だとばかり
思ってましたから、
お話いただいたときは、本当にビックリして。
でも、ミュージックセキュリティーズの
みなさんにお会いしたら
すごく信頼できるなあと思ったんです。
「におい」で感じたというか。
私、ワンちゃんのような生活をしていたので。
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糸井 |
そんな気がする(笑)。
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和枝 |
はい(笑)、雰囲気で、そう感じたんです。
そのころ、全国のたくさんのお客さまから
あたたかい言葉や
支援の物資をいただいていたんです。
で、いったい何をどうしたら、
このご恩に
応えられるんだろうって考えていたんです。
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糸井 |
何かと返そうとしますね、あの土地の人は。
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和枝 |
そんなことを言ったら
ミュージックセキュリティーズさんの方が
「こうこうこうしたら、返せます」
という仕組みのことを
すごくていねいに教えてくださったので‥‥。
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糸井 |
ハゲタカだと思ってたファンドが。
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和枝 |
はい。
それで
「ああ、私たち、仕事すればいいんだな」
というふうに思えたんです。
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糸井 |
なるほど‥‥。
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和枝 |
ただ、最近はグズグズしてます。
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糸井 |
してますか。
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和枝 |
してます。
今だったら、選べないかもしれないです。
プラスとマイナス、
どっちにどういうリスクがあるんだとか、
いろいろと考えてしまうと思うので。
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糸井 |
でも当時は、ひとつしかなかった。
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和枝 |
そうなんです。
「自分は前へ進んで行きたいんだから、
これしかない」と。
そこに、どんなリスクがあったとしても
「こっちだ!」って
バッサリ決められるエネルギーがあった。
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糸井 |
つまり、そういうときには
「選ぶ力」があったってことですね。
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和枝 |
迷ってる場合ではなかったので
「これしかないんだ!」という選び方を
きちんとできていたと思います。
ですから
今みたいにあるていど日常に戻ったら、
人間って
ずいぶんグズグズするんだなあって。
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糸井 |
ミュージックセキュリティーズさんが
提案してきたのって、4月の頭ぐらい?
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河野 |
10日。
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和枝 |
それで、25日には結論を出してくれと。
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糸井 |
‥‥4月10日ってことは
震災からたったの1ヶ月ですよ、つまり。
しかも、考える時間が15日しかない。
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和枝 |
はい。
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糸井 |
まわりの風景はまだまだ、酷い状態ですよね。
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和枝 |
そうです。
長靴でしか歩くことができないし、
毎日毎日、あたまをタオルで縛ってるような、
そんなときに事業計画を立てました。
でもだからこそ、今の私たちには
あのときの事業計画が正しいんじゃないかって
そんな気がするんです。
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糸井 |
河野さんのところは
5000万円という、大きなお金ですね。
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河野 |
ええ。
実は、震災直後、地元の銀行の支店長が
「絶対に潰さない」って
おっしゃってくれていたんです。
また、地元金融機関の支店長代理の方も
休日返上で
いっしょに事業計画を立ててくれた。
いろいろな方からご協力をいただいて、
私たちは、
ものすごく恵まれていたと思います。
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糸井 |
そんななか、ミュージックセキュリティーズと
やってみようと思ったのは、何が決め手ですか。
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河野 |
まずですね、よくわからないファンドの話って
当時、ものすごくたくさんあったんです。
アラブに5000億円のファンドがあるだとか、
震災直後は
毎日、そんな話ばかり聞かされてまして。
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糸井 |
へええ。
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河野 |
そのなかで唯一、
ミュージックセキュリティーズさんの話を
聞こうと思ったのは、
宮城県庁に勤めている山田さんが‥‥。
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糸井 |
被災地応援ファンドの、言い出しっぺ。
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河野 |
そう、まだ震災が起こる前に
アンカーコーヒーのやっち(小野寺靖忠専務)が
「宮城県庁の職員で
おもしろい人がいるから会おう」と言って、
連れて来てくれてたんです。
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糸井 |
すでに「知り合い」だったわけですね。
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河野 |
そうなんです。
震災直後、その山田さんから電話がきて、
「話だけでも
聞いてもらえないだろうか」って。
山田さんじゃなかったら、話聞いてない。
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糸井 |
決め手は「人の繋がり」だった。
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河野 |
完全にそうです。
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糸井 |
人の繋がりは壊れないどころか‥‥。
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河野 |
強かったです。 |
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<つづきます> |