糸井 |
今は、こうして笑って話してますけど、
あのときは
精神的にも相当、きつかったですよね。
愚問と知りつつも敢えて聞きますけど
「もうダメだ」という気持ちは?
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河野 |
それが、ないんですよ。
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糸井 |
ない。
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河野 |
むしろ落ち込んだのは、
震災から1年くらい経ってからですもん。
だんだん見通しが立ってきて、
ものすごい赤字が目に見えてくるんです。
その時点で「うわっ、ヤッべえ」と。
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糸井 |
はー‥‥。
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河野 |
工場の建設が決まって、
こんなにも大きな借金を抱えてしまって、
大丈夫なのかと不安になりました。
逆に震災直後は
落ち込んでるヒマなんかなかったんです。
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糸井 |
和枝さんも?
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和枝 |
なかったですね。
もちろん、
「どうしましょう?」って顔をしてる方も
たくさん、いらっしゃいました。
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糸井 |
そうですよね。
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和枝 |
みんな「どうすっぺ」って。
でも、そういう話になってしまうと、
やっぱり、
「そうなってしまう」気がしたんです。
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糸井 |
「もうダメだ」って、言ってしまうと?
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和枝 |
「そうだ、ダメだ」となってしまいそうで。
ちいさな町ですから、
お互いに、お互いが受けた被害の大きさを
知っているんです。
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糸井 |
和枝さんのところは、全滅じゃないかと。
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和枝 |
そうです。
私を見て「あ、斉吉だ」って思うと、
「ぜんぶ流されたんだ」とあたまによぎるのか
第一声が「おやぁ、大変だね」って。
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糸井 |
なにしろ「顔も泥だらけ」ですもんね。
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和枝 |
そうです、そうです(笑)。
「大変だね」「大変だね」「大変だね」って。
でも、そこに合わせてしまうと
もう自分自身が苦しくなってしまうと思って、
途中から、やめました。
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糸井 |
やめた?
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和枝 |
そこに、合わせるのを。
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糸井 |
じゃ「大変だね」って言われたら‥‥。
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和枝 |
「大丈夫、大丈夫」って(笑)。
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糸井 |
そう答えるようになった?
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和枝 |
バラック以外、何も残りませんでしたけど
それが逆に恵まれたんだと思うんです。
中途半端に何かが残っていたら、
それにこだわって
ジーッと考え込んでしまう時間が
続いたと思います。
でも、そっちを見たって何もないですから。
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糸井 |
そうですよね。
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和枝 |
過去のことは考えない、思い出さない。
「大丈夫、大丈夫」と言って
心では「とにかく、何とかするべ」と。
そうしながらも、お互いに顔を見て
「んだね」って思うのは
「はやく、はだらくべね」ということ。
「はやく仕事、はじめっからね」
と言い合うのが
お互い、すごく気持ちが良かったです。
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糸井 |
自然に、そうなっていったんですね。
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和枝 |
はい、そうです。
深い考えがあってのことじゃないです。
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糸井 |
避難所も、2日くらいで出たんですよね。
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和枝 |
こう言ってはおこがましいですけれども
私は、
みんなの元気を出す係のような気がして。
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糸井 |
元気出し係。‥‥でも、そうですよ。
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和枝 |
避難所では
大きな声で仕事の話とかできそうにない
雰囲気もありましたし。
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糸井 |
そりゃあ、そうかもしれないですよね。
「もう仕事の話なんかして」なんて。
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和枝 |
ですから、通常の声のボリュームで
仕事の話ができるところに行きたいなあって、
そういう気持ちもありました。
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糸井 |
で、例の「豪邸」に。
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和枝 |
はい、バラックに帰りました(笑)。
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糸井 |
ただ、そうやって避難所を出てしまったら
配給だって回ってこないわけでしょう?
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和枝 |
私たちは自分らで何とかできそうだったので
他の人に、と思っていました。
支援物資の配給や炊き出しに来てくれた
知り合いと一緒に、活動もしましたし。
「何で気仙沼弁なの?」と言われつつ(笑)。
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糸井 |
つまり
「炊き出してる側の人が
気仙沼弁というのはおかしくないか?」
ということですね。
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和枝 |
はい(笑)。
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糸井 |
こんなふうに言ってますけど、
和枝さん、そのとき食べてなかったそうです。
自分に何ができて、何をしてあげられるか。
そっちを先に考えちゃうことが、
もう、クセみたいになってるんでしょうね。
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和枝 |
いや、そのほうが絶対楽しいから。
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糸井 |
楽しい?
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和枝 |
はい。
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会場 |
(笑)
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糸井 |
この「はたらきたい展。」のキーワードのひとつが
いま、出てきましたね。
「楽しいからこそ仕事ができる」って。
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和枝 |
ええ、だって、何かをやってよろこばれるほうが、
断然、楽しいですから。
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糸井 |
はー‥‥。
河野さんも同じように配給をされていましたけど、
自分のことを考えているヒマというのは?
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河野 |
まあ、なかったですよね。
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糸井 |
やっぱり。
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河野 |
でも、ほんと和枝さんが言ったとおりです。
私は、配給活動をしながら
「このまま死んでもいい」と思ったんです。
今思うと、ヘンな話だなと思うんですけど。
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糸井 |
ええ、ええ。
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河野 |
でも、カミさんに言われたんです。
「あんたは、このときのためだけに
生まれてきたんだから」って。
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糸井 |
‥‥そうだわ(笑)。
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会場 |
(笑)
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河野 |
「このときのためだけに生まれてきたんだから、
今はたらかないでどうする!」って。
で、状況が落ち着いてきたらきたで
「何にもしなかったら
あんた役立たずなんだから、はたらきなさい」
と言われまして‥‥。
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会場 |
(笑)
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糸井 |
でも、僕がふたりとはじめてお会いした当初は
これほど穏やかじゃなかったんです。
動物的な何かを、ムンムン発散していた。
とくに、河野さんの当時の写真なんか見ると、
アドレナリンが、ボタボタ落ちてる。
あれこそ「はたらけ!」ってときの顔ですね。
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河野 |
私だけじゃなくて、そういう目をしてた奴は
そのへんにゴロゴロいました。
陸前高田の県立病院の医院長もそうです。
奥様を亡くされたのにも関わらず
避難所で自分の病院の看護婦さんを見つけて、
第一声で「絶対に雇用は守るから」って。
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糸井 |
それを言えるのは、すごいなあ。
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河野 |
そういう人たちの言葉が、すごく響きました。
陸前高田は事業所の8割が壊滅して、
亡くなった人の数も、半端じゃなかったので。
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糸井 |
8割‥‥ですか。
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河野 |
そんな状況ですから
そのうえ、みんなの雇用を守れなかったら、
町がなくなるって、わかってたんです。
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糸井 |
陸前高田自動車学校の田村(滿)社長とかも
教習所の敷地に本部をつくって
自衛隊から警察から、みんな受け入れてたし。
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河野 |
田村さんの話をはじめると、
時間がいくらあっても足りないんですけど、
本人の前では、
私、反対意見ばっかり言ってるんですけど、
内心たいへん尊敬しておりまして。
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糸井 |
あ、そうなんですね(笑)。
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河野 |
「赤字でどんなに苦しかったときでも、
俺は社員にボーナスはやった」
とか
「たしかに
今のお前のほうが大変かも知れないけど、
そんなの関係あるか。すべきことをしろ」
とか。
そんなサジェスチョンをくれる方です。
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糸井 |
おもしろいですよね。
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河野 |
自分の親父と年齢が変わらないんですけど、
実の親父の小言は耳に入らなくても、
あのヒゲオヤジの言ってくれることは、
すっと耳に入るんです。不思議なんですが。
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糸井 |
でも、そうやって「前を向いてる人同士」が
自然と集まるようになっていたんですね。
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河野 |
はい。
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糸井 |
物事を同じようなことに考えている人がいる、
ということは
やっぱり、大きな勇気になったでしょう。
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河野 |
大きいです。それは、すごく大きかった。 |
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<つづきます> |