2011年3月11日、その日、 アンカーコーヒーの店内に貼られた張り紙。 この日がふつうのいちにちだったら、 夜にはきっと剥がされるはずだった、張り紙です。 (東北地方太平洋沖地震の発生は14時46分でした) 張り紙には、「撮影」があると書かれています。 その「撮影」で実際にこの日、 アンカーコーヒーを訪ねていたのが‥‥ こちら、サンドウィッチマンのおふたりです。 |
「ほぼ日」に、やってきてくださいました。 伊達みきおさんと、 |
富澤たけしさんです。 |
2011年3月11日、 被災する気仙沼を目の当たりにしたおふたりはその後、 東北のための様々な活動をされています。 震災直後には自分たちのブログのコメント欄を 安否情報の連絡掲示板として開放しました。 当時の記録はいまも おふたりのブログで読むことができます。 ・伊達みきおさんのブログ 「もういいぜ!」 ・富澤たけしさんのブログ 「名前だけでも覚えて帰ってください」 震災から5日後の3月16日には、 『“東北魂”東北地方太平洋沖地震義援金口座』 という銀行口座を開設し募金活動をはじめています。 口座には多くの人々からの振込がありました。 「東北魂」のロゴ入りチャリティグッズの販売や チャリティライブでもたくさんの義援金が集まり、 それらはすべて被災地へと渡されています。 |
▲被災地への訪問は何度も。アンカーコーヒーにも再度訪れています。 「アンカーコーヒークルー日記」(2011年4月23日)より |
そんなおふたりと、糸井重里の対談が実現しました。 |
雑談から、なんとなく対談がはじまって、 ほどなく伊達さんが糸井にこんな質問をしました。 「糸井さんは、なぜ気仙沼のことを?」 すこし考えて、糸井が話しはじめました。 何をしたらいいかわからなかったあのとき、 何かしら動きはじめたこと。 やがて縁あって気仙沼のみなさんと知り合ったこと。 そして「気仙沼のほぼ日」をつくって‥‥ と、糸井の話は長く続きました。 |
これから気仙沼で続けていきたいことについても、 たくさん話ました。 「気仙沼ニッティング」の話、 「100のツリーハウス」の話。 |
▲ツリーハウスの資料を広げて。 |
「ほぼ日」の対談で、 糸井がここまで話す側になるのは珍しいことです。 思えば、「気仙沼とのこと」を ひとつにつなげて一度に話す機会が あまりなかったのかもしれません。 2011年3月11日の、 あの日にはじまる今までのあれこれを あらためて思い返すスイッチを サンドウィッチマンのおふたりが パチンと、入れてくれたのだと思います。 |
▲「どうしよう、おれひとりでしゃべっちゃった」と対談後の糸井。 |
そんなわけで、サンドウィッチマン・ファンのみなさん、 ちょっとだけごめんなさい。 あしたからはじまる対談の本編は、 主に糸井重里が話していく内容になります。 あ、とはいえもちろん、 サンドウィッチマンのたのしいトークも ちゃんとブレンドされてますので、そこはおたのしみに! |
対談本編はあしたからですが、 |
伊達みきお(だて みきお)さんと、
富澤たけし(とみざわ たけし)さんによるお笑いコンビ。
ふたりとも、1974年生まれで宮城県仙台市出身です。
1998年にコンビ結成。
2005年、『エンタの神様』へ初出演。
2007年、『M-1グランプリ』の王者に輝き、
一躍人気者に。
宮城県仙台市の出身で、東北との関わりは深く、
現在は下記の役職をつとめています。
・みなと気仙沼大使
・みやぎ絆大使
・東北楽天ゴールデンイーグルス応援大使
・ベガルタ仙台仙台市民後援会名誉会員
・喜久福親善大使
・宮城ラグビー親善大使
・松島町観光親善大使
サンドイッチマンのテレビ出演情報などは、
おふたりの事務所、
「グレープカンパニー」のサイトでご確認を!
伊達みきおさんのブログ
「もういいぜ!」
富澤たけしさんのブログ
「名前だけでも覚えて帰ってください」