HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN https://www.1101.com/home.html   あの日 そこにいたふたり サンドウィッチマンと 気仙沼の話を。  伊達みきお・富澤たけし ✕ 糸井重里
糸井 (テーブルのコーヒーを見て)
あ、これはひょっとして‥‥。
ほぼ日 アンカーコーヒーの豆です。
伊達 あ、そうなんですか。
富澤 アンカーコーヒー。
伊達 ぼくらあの日、ロケで行ってたんですよ。
ほぼ日 はい。それをうかがっていたので。
ぼくらもアンカーコーヒーさんとは
仲良くしていて、
一緒にブレンドを作ったりしているんです。
富澤 へえー、そうなんですか。
糸井 サンドイッチマンさん‥‥
じゃなくて、
サンド「ウィッチ」マンさん。
一同 (笑)
伊達 正確な発音で(笑)。
富澤 ありがとうございます(笑)。
糸井 あの日、地震があったときは
アンカーコーヒーにいたんですか。
伊達 いや、揺れたのはアンカーコーヒーのあとです。
糸井 安波山(あんばさん)に、避難したんですよね。
伊達 はい。
糸井 安波山に案内したのは誰なんですか?
伊達 うちの番組のスタッフです。
実はあの日の朝、
番組のオープニングを安波山で撮っていたんで、
あそこだったら大丈夫じゃないかと。
富澤 それがなかったら安波山のことは‥‥
糸井 知りませんよね。
おふたりは仙台出身ですけど、
そんなに行かないでしょう、気仙沼には。
伊達 そうなんですよ、遠いですから、
なかなか行かない場所で。
富澤 高校のラグビーの試合では行ってました。
糸井 そうか、ラグビー部で。
気仙沼はラグビーが強いですもんね。
伊達 はい。
ですから、そのくらいしか行かないのに、
たまたま行ったら地震があって。
糸井 そうでしたか‥‥。
富澤 コーヒー、おいしいです。
伊達 おいしいです。
糸井 よかった(笑)。
伊達 あの‥‥
糸井さんは、なぜ気仙沼のことを?
富澤 うん。
伊達 どういうつながりで、気仙沼と?
糸井 ありがとうございます、
初対面で何からうかがおうと思ってたので、
逆に質問されてラクになりました(笑)。
伊達 すみません、こっちから聞いちゃって(笑)。
糸井 いや、つながりは、まったくなかったんです。
なんていうんでしょう‥‥
震災の直後って、
何をしたらいいかわからないじゃないですか。
伊達 ええ。
糸井 お金を送るということが、
いちばん早い段階ではありました。
でも、どこかと点でつながらないことには、
お互いが飽きてしまうと思ったんです。
じゃあ、どことつながろう?
「被災地」という場所は、どこにもないわけで。
伊達 そうですよね。
糸井 全体が被災地なんで。
だから、「俺はこれをするわ」っていう、
掃除で言うと「俺は机の上拭くわ」みたいな。
そんなふうにしないと、もたないと思ったんです。
でも、そういう場所とはすぐには出会えなくて。

最初は仙台に行きました。
駅前に、ロフトがあるので。
そこにはぼくら、何度か行ってたんです。
「ほぼ日手帳」も扱ってくれてますから。
あれはたしか、4月の最初だったと思うんですけど、
山形から行けるようになったんですよね。
飛行機で山形に行って、仙台へ。
すごく遠慮がちに行ってました。
当たり前のことなんだけど、
遠慮がちに小さくなって。
富澤 ああ‥‥。
糸井 行けたことは良かったし
現場のみなさんに会えてうれしかったんですが、
「することありますか」みたいにしてるのって、
何にもならないじゃないか? って思って。
片づけのお手伝いをするにも、
まだ自衛隊ががんばっている段階ですよね。
かといって、
情報を流すだけの手伝いというのもあんまり‥‥。
しゃべる仕事だけで手伝うのが、嫌だったんです。
なんか具体的な、手伝いがしたかったんです。
伊達 はい。
糸井 そんなふうに考えていたときに‥‥
ツイッターである人と知り合ったんですよ。
宮城県の山元町というところにお住まいの方で。
ツイッターを読むと、
本当に怖い目に遭った人の言葉が
書いてあったんです。
波が来るのを見ながら自転車で逃げた、とか。
で、ある日その人が
「東京に行く」ということをツイートしてたんで、
「会えるんだったら会いたいんだけど」
って言ったんです。
伊達 糸井さんが、その方に?
糸井 そう、ぼくがツイッターで声をかけました。
そしたら「あ、いいですよ」と返事が来て、
ここに来てくれました。
たしか、4月の半ばだったかなぁ。
富澤 へええ。
糸井 会社の入り口の電気が消えてて
薄暗くなってたんですけど、
それを見て「うれしい」って言うんです。
みんな忘れてるんじゃないかって
心配してるんですね。
伊達 ああ、なるほど。
糸井 その言葉は、すごかったですね。
まだ4月で忘れてるどころじゃないのに、
「忘れてるんじゃないか」と心配してたんです。
「東京のコンビニに行ったら
 募金箱が置いてあってうれしかった」
ということも言ってました。
とにかく、忘れられることを心配してましたね。

で、訊ねたんです。
「ぼくらがどうするのがうれしいんでしょう」と。
そしたら、
「来てください」
富澤 山元町に。
糸井 そう。
「山元町のどこに行けばいいでしょう」
と聞いたら、
「3つあります」と。
その方はもう、頭の整理ができてたんですよ。
「ひとつは安置所です。
 山元町は死者がたくさん出たのに
 埋葬や火葬が追いつかなくて
 身元がわからない遺体のある安置所があります。
 そのことがニュースにもならないので、
 そこに来ていただきたい。
 ふたつめは、臨時のお墓があります。
 名前のわからない人たちや、
 わかっていても火葬場に行けない人たちの
 土葬のお墓があります。
 それから、避難所があります。
 この3つを順番に回ってください」
と言われました。
伊達 行ったんですか?
糸井 行きました。
ここから縁ができたのかな、という気持ちで。

安置所は入っちゃいけない場所だったんですよね。
当たり前です。
近親の方しか入れない場所でした。
それで、お墓参りにいかせてもらいました。
伊達 ぼくらも行きました。
糸井 あ、そうですか。
富澤 驚きました。
伊達 土葬って‥‥現代にこんなことがあるんだ、と。
糸井 うん‥‥。
避難所の方々ともお話をしました。
でも何をしたらいいのかぜんぜんわからなくて‥‥。

そのときもうひとつ、
山元町のほかにご縁ができたんです。
山元町から別れて、
ぼくのいない取材班が
そのまま陸前高田の方に向かいました。
ぜひ会いたい方がいらしたので。
八木澤商店という味噌醤油を作ってるお店で、
河野通洋さんという方です。
ぼくは河野さんをテレビで見たんですけど、
瓦礫だらけの会社があった場所に働く人を集めて、
「みんな、給料だぞー!」
って言ってるんです。いいでしょ?
あの人いいなーと思って。
ぜひお話聞きたいという願いをつなげて
現地で案内してくれたのが、
宮城県庁の山田康人さん。
この方との出会いが大きかった。
山田さんから、
「セキュリテ被災地応援ファンド」
のことを教えてもらって‥‥。

というわけで長くなりましたが、
そこから気仙沼の人たちに会うようになったと。
そしたらまあ、次々に魅力的な人たちが‥‥。
富澤 ようやく気仙沼に(笑)。
伊達 そこからなんですね。
糸井 すみません、ひとりで話しちゃった(笑)。

(つづきます)
2014-03-12-WED

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サンドウィッチマン

伊達みきお(だて みきお)さんと、
富澤たけし(とみざわ たけし)さんによるお笑いコンビ。
ふたりとも、1974年生まれで宮城県仙台市出身です。
1998年にコンビ結成。
2005年、『エンタの神様』へ初出演。
2007年、『M-1グランプリ』の王者に輝き、
一躍人気者に。

宮城県仙台市の出身で、東北との関わりは深く、
現在は下記の役職をつとめています。
・みなと気仙沼大使
・みやぎ絆大使
・東北楽天ゴールデンイーグルス応援大使
・ベガルタ仙台仙台市民後援会名誉会員
・喜久福親善大使
・宮城ラグビー親善大使
・松島町観光親善大使

サンドイッチマンのテレビ出演情報などは、
おふたりの事務所、
「グレープカンパニー」のサイトでご確認を!

伊達みきおさんのブログ
「もういいぜ!」

富澤たけしさんのブログ
「名前だけでも覚えて帰ってください」

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