糸井 | (テーブルのコーヒーを見て) あ、これはひょっとして‥‥。 |
ほぼ日 | アンカーコーヒーの豆です。 |
伊達 | あ、そうなんですか。 |
富澤 | アンカーコーヒー。 |
伊達 | ぼくらあの日、ロケで行ってたんですよ。 |
ほぼ日 | はい。それをうかがっていたので。 ぼくらもアンカーコーヒーさんとは 仲良くしていて、 一緒にブレンドを作ったりしているんです。 |
富澤 | へえー、そうなんですか。 |
糸井 | サンドイッチマンさん‥‥ じゃなくて、 サンド「ウィッチ」マンさん。 |
一同 | (笑) |
伊達 | 正確な発音で(笑)。 |
富澤 | ありがとうございます(笑)。 |
糸井 | あの日、地震があったときは アンカーコーヒーにいたんですか。 |
伊達 | いや、揺れたのはアンカーコーヒーのあとです。 |
糸井 | 安波山(あんばさん)に、避難したんですよね。 |
伊達 | はい。 |
糸井 | 安波山に案内したのは誰なんですか? |
伊達 | うちの番組のスタッフです。 実はあの日の朝、 番組のオープニングを安波山で撮っていたんで、 あそこだったら大丈夫じゃないかと。 |
富澤 | それがなかったら安波山のことは‥‥ |
糸井 | 知りませんよね。 おふたりは仙台出身ですけど、 そんなに行かないでしょう、気仙沼には。 |
伊達 | そうなんですよ、遠いですから、 なかなか行かない場所で。 |
富澤 | 高校のラグビーの試合では行ってました。 |
糸井 | そうか、ラグビー部で。 気仙沼はラグビーが強いですもんね。 |
伊達 | はい。 ですから、そのくらいしか行かないのに、 たまたま行ったら地震があって。 |
糸井 | そうでしたか‥‥。 |
富澤 | コーヒー、おいしいです。 |
伊達 | おいしいです。 |
糸井 | よかった(笑)。 |
伊達 | あの‥‥ 糸井さんは、なぜ気仙沼のことを? |
富澤 | うん。 |
伊達 | どういうつながりで、気仙沼と? |
糸井 | ありがとうございます、 初対面で何からうかがおうと思ってたので、 逆に質問されてラクになりました(笑)。 |
伊達 | すみません、こっちから聞いちゃって(笑)。 |
糸井 | いや、つながりは、まったくなかったんです。 なんていうんでしょう‥‥ 震災の直後って、 何をしたらいいかわからないじゃないですか。 |
伊達 | ええ。 |
糸井 | お金を送るということが、 いちばん早い段階ではありました。 でも、どこかと点でつながらないことには、 お互いが飽きてしまうと思ったんです。 じゃあ、どことつながろう? 「被災地」という場所は、どこにもないわけで。 |
伊達 | そうですよね。 |
糸井 | 全体が被災地なんで。 だから、「俺はこれをするわ」っていう、 掃除で言うと「俺は机の上拭くわ」みたいな。 そんなふうにしないと、もたないと思ったんです。 でも、そういう場所とはすぐには出会えなくて。 最初は仙台に行きました。 駅前に、ロフトがあるので。 そこにはぼくら、何度か行ってたんです。 「ほぼ日手帳」も扱ってくれてますから。 あれはたしか、4月の最初だったと思うんですけど、 山形から行けるようになったんですよね。 飛行機で山形に行って、仙台へ。 すごく遠慮がちに行ってました。 当たり前のことなんだけど、 遠慮がちに小さくなって。 |
富澤 | ああ‥‥。 |
糸井 | 行けたことは良かったし 現場のみなさんに会えてうれしかったんですが、 「することありますか」みたいにしてるのって、 何にもならないじゃないか? って思って。 片づけのお手伝いをするにも、 まだ自衛隊ががんばっている段階ですよね。 かといって、 情報を流すだけの手伝いというのもあんまり‥‥。 しゃべる仕事だけで手伝うのが、嫌だったんです。 なんか具体的な、手伝いがしたかったんです。 |
伊達 | はい。 |
糸井 | そんなふうに考えていたときに‥‥ ツイッターである人と知り合ったんですよ。 宮城県の山元町というところにお住まいの方で。 ツイッターを読むと、 本当に怖い目に遭った人の言葉が 書いてあったんです。 波が来るのを見ながら自転車で逃げた、とか。 で、ある日その人が 「東京に行く」ということをツイートしてたんで、 「会えるんだったら会いたいんだけど」 って言ったんです。 |
伊達 | 糸井さんが、その方に? |
糸井 | そう、ぼくがツイッターで声をかけました。 そしたら「あ、いいですよ」と返事が来て、 ここに来てくれました。 たしか、4月の半ばだったかなぁ。 |
富澤 | へええ。 |
糸井 | 会社の入り口の電気が消えてて 薄暗くなってたんですけど、 それを見て「うれしい」って言うんです。 みんな忘れてるんじゃないかって 心配してるんですね。 |
伊達 | ああ、なるほど。 |
糸井 | その言葉は、すごかったですね。 まだ4月で忘れてるどころじゃないのに、 「忘れてるんじゃないか」と心配してたんです。 「東京のコンビニに行ったら 募金箱が置いてあってうれしかった」 ということも言ってました。 とにかく、忘れられることを心配してましたね。 で、訊ねたんです。 「ぼくらがどうするのがうれしいんでしょう」と。 そしたら、 「来てください」 |
富澤 | 山元町に。 |
糸井 | そう。 「山元町のどこに行けばいいでしょう」 と聞いたら、 「3つあります」と。 その方はもう、頭の整理ができてたんですよ。 「ひとつは安置所です。 山元町は死者がたくさん出たのに 埋葬や火葬が追いつかなくて 身元がわからない遺体のある安置所があります。 そのことがニュースにもならないので、 そこに来ていただきたい。 ふたつめは、臨時のお墓があります。 名前のわからない人たちや、 わかっていても火葬場に行けない人たちの 土葬のお墓があります。 それから、避難所があります。 この3つを順番に回ってください」 と言われました。 |
伊達 | 行ったんですか? |
糸井 | 行きました。 ここから縁ができたのかな、という気持ちで。 安置所は入っちゃいけない場所だったんですよね。 当たり前です。 近親の方しか入れない場所でした。 それで、お墓参りにいかせてもらいました。 |
伊達 | ぼくらも行きました。 |
糸井 | あ、そうですか。 |
富澤 | 驚きました。 |
伊達 | 土葬って‥‥現代にこんなことがあるんだ、と。 |
糸井 | うん‥‥。 避難所の方々ともお話をしました。 でも何をしたらいいのかぜんぜんわからなくて‥‥。 そのときもうひとつ、 山元町のほかにご縁ができたんです。 山元町から別れて、 ぼくのいない取材班が そのまま陸前高田の方に向かいました。 ぜひ会いたい方がいらしたので。 八木澤商店という味噌醤油を作ってるお店で、 河野通洋さんという方です。 ぼくは河野さんをテレビで見たんですけど、 瓦礫だらけの会社があった場所に働く人を集めて、 「みんな、給料だぞー!」 って言ってるんです。いいでしょ? あの人いいなーと思って。 ぜひお話聞きたいという願いをつなげて 現地で案内してくれたのが、 宮城県庁の山田康人さん。 この方との出会いが大きかった。 山田さんから、 「セキュリテ被災地応援ファンド」 のことを教えてもらって‥‥。 というわけで長くなりましたが、 そこから気仙沼の人たちに会うようになったと。 そしたらまあ、次々に魅力的な人たちが‥‥。 |
富澤 | ようやく気仙沼に(笑)。 |
伊達 | そこからなんですね。 |
糸井 | すみません、ひとりで話しちゃった(笑)。 (つづきます) |
2014-03-12-WED |
伊達みきお(だて みきお)さんと、
富澤たけし(とみざわ たけし)さんによるお笑いコンビ。
ふたりとも、1974年生まれで宮城県仙台市出身です。
1998年にコンビ結成。
2005年、『エンタの神様』へ初出演。
2007年、『M-1グランプリ』の王者に輝き、
一躍人気者に。
宮城県仙台市の出身で、東北との関わりは深く、
現在は下記の役職をつとめています。
・みなと気仙沼大使
・みやぎ絆大使
・東北楽天ゴールデンイーグルス応援大使
・ベガルタ仙台仙台市民後援会名誉会員
・喜久福親善大使
・宮城ラグビー親善大使
・松島町観光親善大使
サンドイッチマンのテレビ出演情報などは、
おふたりの事務所、
「グレープカンパニー」のサイトでご確認を!
伊達みきおさんのブログ
「もういいぜ!」
富澤たけしさんのブログ
「名前だけでも覚えて帰ってください」