佐々木俊尚 × 糸井重里  メディアと私。  ──おもに、震災のあと。


第4回 リアルな情報。第4回 リアルな情報。

糸井 震災のあと、ぼくも佐々木さんと同じように
自分にできることはなんだろうって
考えたんですけど、
やっぱりなかなか思いつかないわけです。
でも、ぼくは「社長」っていう立場でもあるので、
社員と、社員の家族のことまで含めて
自分の責任のことを考えると、
黙ってるわけにはいかないっていうのがあって。
佐々木 ああ、そうですよね。
糸井 そのあたりのことは、
『できることをしよう。』という本の
インタビューのときにも答えているんですが、
まず、できないことを言うのはやめようと思った。
つまり、ヘリコプターをチャーターして助けに行く、
なんてことをやれるような
スペシャリストじゃないぞ俺は、と。
医者でもないし、道もないところに
駆けつけたからってなんにもできないし。
だからといって、
どこどこに孤立した人がいます
っていうのをリツイートし合って、
救援部隊の数が限られているときに、
危ないぞ、危ないぞって、
でかい声だしてるのも怖いなと。
佐々木 はい。
糸井 で、考えて、けっきょく言ったことは、
お金についての提案でした。寄付ですね。
どう考えてもお金は必要になるし、
この規模は、ちょっとのお金じゃないってことを
みんな、わかろうよ、って言ったんですね。
佐々木 なるほど。
糸井 で、あとは逃げる人、逃げない人、
ぜんぶの選択をそれぞれに尊重しよう、
っていうこともいいました。
ようするに、アイデアではなく、
ふつうに考えられることだけを
言ったつもりだったんですね。
それを言い続けることで、
最初のひと月はもたせましたね。
佐々木 もたせたっていうのは、
糸井さん自身の気持ちを?
糸井 自分の当事者意識をもたせた。
佐々木 ああ、なるほど。
糸井 でも、その、自分の範囲で
言えることだけを言い続けるっていうのは
けっこう簡単じゃなかったですね。
というのは、いろんな情報に目を通していると、
役に立てそうなことがいっぱいあるんで。
佐々木 わかります。
糸井 そういうことも含めて、
やっぱり混乱があったんだと思う。
佐々木 実際、あのころは、
自分の範囲の外にある
たいへんなことを言うだけ言って、
なんとなく気持ちよくなっちゃってる、
みたいな人をすごく目にしましたよね。
糸井 はい。
佐々木 ひとつ、覚えているのは、
「日本ユニバ」というNPOがあって、
震災1週間後くらいのときに、
孤立被災地の支援活動をしていたんです。
で、そこから、孤立被災者が凍死しかかってる、
みたいな情報がどんどん流れてきた。
ところがそのころは、
その手の情報がたくさんあって
真偽がわからないんですね。
ほんとのこともあるし、デマだったりもするし、
情報が流れた瞬間は孤立してたけど
いまはとっくに解消している、なんてこともあって、
もう、なにがほんとだか、わからないわけです。
糸井 生きて動いてるんですよね、状況がね。
佐々木 そうなんです。
そのあたりの区別がつかない。
だから、日本ユニバからの情報をリツイートすると、
そんな話は聞いたことがない、デマでしょう、
みたいなことを言われたりする。
それで、しょうがないから、
日本ユニバに直接電話してみたら、
「いや、デマじゃありません」と。
実際にヘリで行って確認した情報だって言うんです。
そのあと、千代田区にある
日本ユニバの事務所に直接行って取材すると、
彼らがやってることはすごくリアルで、
実際にツイッター上で飛び交ってる
「どこどこが孤立してます」っていう情報に対して
電話を入れたりして、ぜんぶ確認してるんです。
糸井 はぁー。
佐々木 で、実際に問い合わせてみると、
まぁ、90パーセントがデマだと。
でも、こことここはほんとうに孤立している、
みたいなこともわかるわけです。
つまり、ネットやツイッターで
ぐるぐるぐるぐる情報を回しているよりも
直接、違うアクションを起こすだけで
わかることがたくさんある。
糸井 うん。
佐々木 逆にいうと、
何万人もがツイッターで情報を回してるわりに、
電話でたしかめるようなことは
誰もしてなかったりするんですよ。
糸井 はいはいはい。
佐々木 そのNPOは実際に電話入れて確認してる。
なるほど、こういうものがリアルな力なのか
っていうのを、すごく実感したんです。
糸井 実行できるキャパシティが限られているときに、
大きな動機がどれだけ拡散しても
意味がないんですよね。
やっぱり、非常時には、実行のところで
どれだけ参画できるかっていうのが重要で。
佐々木 そうなんです。
とくに、震災の後は、
被災地と東京の温度差がすごくあって、
「なんかやんなきゃ」っていう気持ちが
東京ですごく盛り上がって、
たとえばウェブの業界では
被災地に物資を送るプロジェクトとか、
避難している人たちに家を貸してあげる
ハウスシェアリングのサービスとかが
たくさん立ち上がったんですけど、
実際に聞いてみると被災地では
ほとんど利用されていない。
なぜかというと、そういうサービスが
対象としている人たちが高齢者だったり、
避難所にパソコンがなかったりして、
求められている情報やものと、
東京でみんなが盛り上がっていることが
まったくつながってなかったんです。
糸井 いまもそういう傾向があるんですけど、
インターネットにつながってないっていう人口を
インターネットの人たちは、
わりとなめてるんですよね。
佐々木 そうなんですよね。
やっぱり、ネットって、すばらしい空間なので、
そのなかで完結しちゃってるから、
その外側を、いまひとつイメージしきれない。
糸井 そういうことなんですね。
当たり前のことなんですけど、
ネットがなくても成立している場所が
もともとあったわけだし、
それはいまもあるんです。
佐々木 はい。
糸井 その想像力が要求されるんですよね。
そういうことは、
ぼくも現場に立ったときに思い知りました。
三陸新報とか河北新報とか、
現地の新聞をつくっている方に
お会いして話を聞くと、
それこそ「たずねびと」が
新聞のいちばん重要な使命だったりする。
佐々木 ああー、なるほど。
糸井 今日はどこどこで配給があります、とかね。
もう、当たり前にそういう情報が求められていて
そういう記事を新聞は載せている。
そのリアリティーみたいなものに対して、
やっぱり、すごいなと思うんです。
  (つづきます)

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2012-01-26-THU