糸井 |
なんだろうなぁ。
『さよなら群青』っていうのは、
絵とストーリーじゃないところでも
おもしろいんですよ。 |
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さそう |
そうですか。 |
編集の
かた |
もどかしさがたくさん詰まってますよね。 |
糸井 |
うん、もどかしいです。 |
編集の
かた |
伝わらないことのもどかしさが
すごく感じられて。
で、たまに伝わるときの、
ワッていうのが楽しめると思います。 |
糸井 |
つまり、黙ってる部分が長いんですよね。
しゃべる人も出てくるけど、
その人もそれ以上のことは言わないとか。 |
編集の
かた |
ええ。 |
糸井 |
このお話は、
どのくらいで完結するんですか? |
さそう |
一応、4巻で終わる予定です。 |
糸井 |
そうですか。
あの‥‥これはまた、
漫研の人みたいな発言なんですけど‥‥
「4巻を超えておもしろかったら本物」
っていう「俺説」があるんです。 |
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さそう |
ああ、4巻で。 |
糸井 |
だいたい長いマンガって、
10巻であろうが20巻であろうが、
4巻までは本当におもしろいんですよ。
で、5巻からも本当におもしろいマンガは、
実をいうとあんまりないんです。
だからマンガというものはぜんぶ、
4巻まででやめてもいいという説が
ぼくにはあるんです。
漫画家の「これを描きたい」は、
4巻で終わります、だいたい。
そこで編集者から「すごい人気ですよ」とか、
読者から「どうなるんですか?」
とか言われるんで、
「うーん、考えればやれるかな?」
って、もう1回動機をふくらませて
続けることはできますけどね。
だけど「この漫画はなんだ?!」
と言わせられる力は4巻までですね、たいがい。
で、『大奥』が4巻なんですよ。 |
編集の
かた |
‥‥やっぱり糸井さん、漫研です。
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糸井 |
いや、あのね(笑)、まずいな。 |
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さそう |
(笑) |
糸井 |
プロの漫画家を前に
えらそうなこと言ってすみませんね。
いろいろ言ってますけど、
漫画はすごいですよ。
ひとりで世界観をぜんぶ表現するっていうのは、
いまの時代では漫画家が
いちばんだと思ってたんです。
映画になると、
他人の力がぜったいに必要になりますから。 |
さそう |
そうですね。
映画は映画で手がかかりそうですが。 |
糸井 |
かかりますよね。
大勢でやるかひとりでやるかは別にして、
とんでもない手がかかってます。
表現は、みんなそうなんですよ。
手のかかったそれをお客さんが楽しむわけで。
手品師が時間をかけて仕掛けをつくっておいて
「はい」ってハトを出すように、
もう、細心の注意で
いろんなことを仕掛けておくわけでしょう? |
さそう |
うーん‥‥
でも漫画家の場合は仕掛けるという意識より、
やっぱり無意識だと思うんですよ。
とくに絵柄的なことに関しては。 |
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糸井 |
そうか、無意識ということを
さっき話しましたよね。
なるほど。
じゃあ、「読者はこう感じるんじゃないかな」
みたいなことは、想像もしないですか? |
さそう |
うーん、
それは程度によりけりですかね。 |
糸井 |
たとえば自分のことで考えると、
「イケる!」と思ったとき、
「おれがやりたいからやる」
っていうこと以外に、
「向こう側がよろこぶ姿もみえる」
という珍しいケースがたまにあるんですよ。
そのときはもう、どっちでもいいんです。
「ウケるから書いてる」でも、
「おれ、書けちゃったんだよ」っていうのも、
もうわかんないんですよ。
まあ、いつもそうじゃだめなんでしょうけど、
たまにあるんです、そういうことが。 |
さそう |
そうですか。 |
糸井 |
『さよなら群青』をみてると、
「これを描いているときは快感だろうなあ」
っていう絵がありますよ。
読者からの拍手を信じているような。 |
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さそう |
ああ‥‥それはちょっと、あるかもしれません。 |
糸井 |
いま、たまたま開いたページなんですけど、
主人公の男の子が、木の枝から
屋根を伝わっていくシーンがありますよね。
この忍者みたいな動きなんかは、
こう描くと決めるまでは
どこにも無かったものじゃないですか。 |
さそう |
ええ。 |
糸井 |
それを「こう描く!」って思いついたときには、
「ニヤッ」とならないですかね? |
さそう |
そうですね。
まぁ、「ニヤッ」は始終してると思いますよ。 |
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糸井 |
よかった(笑)。 |
さそう |
(笑) |
糸井 |
「ぜんぶが無意識です」って言われたら、
ちょっと困っちゃうかもって思ってました。 |
さそう |
そういうことではないです。 |
糸井 |
無意識に、それが描けていることもある
ということですよね。 |
さそう |
ええ、そうです。 |
糸井 |
それはそれで伝わったことが快感で。 |
さそう |
はい。 |
糸井 |
じゃあ逆に、絵を描いていて、
伝わるかどうかで不安になることはありますか。 |
さそう |
それはたいていの漫画家にあると思います。 |
糸井 |
伝えたくて、描き込みすぎちゃったり? |
さそう |
はい、そういうことも。
その点では、ギャグの人はすごいですよ。
吉田戦車さんとか。
あれがわからないんですよ、ぼくには。
あの絵を10年、20年と維持していることが。
ストーリーを描いてる漫画家は、
「背景をもっと描き込んだほうがいいかも?」
みたいなことがついつい気になるんです。
ギャグの人は、
そこがわかっちゃってると思うんですよ。 |
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糸井 |
わかっちゃってますよね。 |
さそう |
ええ。 |
糸井 |
たぶん、小説書きと俳句詠みとは
ぜんぜん違うじゃないですか。 |
さそう |
ああ〜。 |
糸井 |
「五七五のまんまでいいよ」って言いながら、
俳句の人は生きてるわけじゃないですか。
戦車さんとかを見てると、
やっぱりなにかが
「わかっちゃった」っていうふうに思いますね。 |
さそう |
そうですか。 |
糸井 |
「これをおもしろいと感じる俺」と、
「読者だっておもしろく感じるだろうな」
っていう、そのバランスみたいなものの、
名人になっちゃうんじゃないですかねぇ。
(つづきます) |