第9回 デザインは、企業の財産になる
ほぼ日 バブルの時代に
個人事務所をやりはじめたころ、
デザインのあつかわれかたを
どんなふうに思っていましたか?

デザインは、育てなければ死んでしまう

佐藤 デザインが、
つぎつぎに
使い捨てにされていく状況でしたから、
「あれ、おかしいんじゃないかな?」
とは、感じていました。

ただ、それをクチにすると……。

「キミ、何を言ってるんだね。
 ダメなら、捨てればいい。
 売れるなら、売りまくれ!
 お金はあるんだし、
 もっとできるんだから、
 やったらいいじゃないか!」

と、クライアントのかたがたには
言われていた、という時期が、
ぼくにとっての、バブルの体験でした。

その後に、90年代に入って
バブル経済が崩壊すると、
企業のかたがたが、
だんだん、デザインのことを
再認識してくださるようになったようです。

「デザインを
 使い捨てにしていく仕事は
 ヘンなのではないでしょうか」

というこちらの意見に、
耳をかたむけてくださるところが
ぽつり、ぽつりと出てきたという
景気の変化は、ほんとに体感してきました。

「あ、きいてくれるようになった」
これは、ほんとに、
前には、なかったことでしたから。

80年代には、
企業のシンボルマークも含めて、
伝統的なデザインが、あちこちで、
どんどん使い捨てられていきました。

それから10年、
「何が残ってきたんですか?」
と、90年代にたずねてみたときに、
「もう、何も、残っていません」
という企業も、あちこちにありました。

「まだ、ウチには、
 昔からのあのデザインが残っていた」
と言えるところはまだいいのですが、
ほとんど、
過去の財産と言えるデザインが
なくなっていたり、
あったとしても、90年代には、
もうボロボロの状態になっていた
メーカーが、そこここにありました。

ただ、
それだけボロボロの状態になると、
認識が変わるというよさもあったんです。

「デザインというものは、財産になる」

「デザインは
 生きもののようなものだから、
 生んだら、
 大切に育てなければ死んでしまう。
 だから、育てていく必要がある。
 きちんと育てていこう」

なんていう話が、
企業とデザイナーのあいだで
かわされるようになりましたから、
いちど、ボロボロになるまで
デザインが使い捨てられていくのは
「必要な過程」だったのかもしれません。

ただ、90年代の後半からは
次は「ITバブルだ」と騒がれましたから、
また、乱暴な時代に
はいったのかもしれませんけど……。

仕事は、日常の繊細なやりとりである

佐藤 「日常はいかにおもしろいか」
ということは、よく考えるんです。

おもしろいことが見つからないとか、
毎日、つまらないとか、
やりたいことが、ひとつもないとか、
覇気のない若い人たちも、多い時代だ、
と、よく、あちこちでききますけど、
日常にこそ、やまほど、
おもしろいことがあると、ぼくは思います。

デザインも、日常の延長にあるわけです。
最近、なにかと
「デザイン」とよくいわれますけど、
ぼくが、実際に、毎日の仕事で
なにをしているのかといえば……
それはすべて、
人との関係だったりするわけです。
それがなければ
なんの意味もない仕事ですから。


だから仕事の方針は、
デザインにかぎらないものになります。
「ほんのわずかでも
 元気がなさそうな相手のことを
 人は、顔から読みとれてしまう」
というような
繊細な人どうしの仕事を
つみかさねていくのですから、
あらゆる過程を、もうすこしだけ
デリケートに見なおせばいい、といいますか。

あたらしい通信技術についても
繊細に見なおしてたほうがいいと思っています。
具体的に言いますと
たとえば、あたらしい通信技術は
便利さも生んだように思えますけど、
それによって、人と人のあいだは
ズタズタになっているのではないでしょうか?

便利になったとは言うけど、その便利さで、
どれだけ人の心がすさんで、
ズタズタになっているかは、
あんまり語られないような気がしています。

技術は、
どんどん、進歩してゆきますよね。
でも、その進歩によって
人と人の関係がどうなるのだろう……。
「それは、我々のためになっているの?」
と、常に、製品を生んでいく渦中で
たちかえらないといけないと思うんです。
あとになって、
手おくれになってから、ようやく
たちかえるというようなことではなくて。

「技術は
 技術だけで進歩していってしまって、
 無理矢理、
 それを人にあわせようとしている」
というようなことは、
よく言われることかもしれませんが、
ほんとにそうなんじゃないかと思うんです。

あたらしい技術を使う人の側が、
どんどん、ボロボロになってしまうし、
人間関係も、ボロボロになっていく……。
技術の弊害が、
そこらじゅうに出ていると思うんですよ。

だから、
いま、なにが起きているのかについては、
「いいか? ワルいか?」
というように
おおざっぱに、とらえるだけではなくて、
繊細なものさしを当てることで、
人にとって、
気持ちのいい方向にいかなければなぁと、
大量生産品のデザインをしていて思います。

「イエスか? ノーか?」
というような、あらあらしい二者択一では、
もう、しあわせになれないような気がします。

デザインの仕事をさせていただくとき、
なるべく、はじめは
企業には、準備をしすぎないで出かけたいな、
と思っています。

現状を
無理矢理になおすことのほうがよくないので、
まずは、手ぶらで出かけて、状態をながめる……。

問題がないのに、
自信がないだけの状態で
「デザインを変えたい」
とおっしゃる会社のかたがたには、
「これなら、ぜんぜん、心配ありません。
 勇気を持って、いっしょにいきましょう!」
と、過去の財産のデザインを
推していく方向に進むこともあります。
会社とのたずさわりかたというのは、そのつど、
なにも決まっていないところから
はじめたいと思うんです。

もちろん、
デザイナーがひとりで
なんでもわかっているわけではありません。
思いついたことを提案したら、
思いのほか、うまくいかなかった、だとか、
時代の風が、予想外に吹いてしまった、
だとかいうことも、あるわけです。
そういうときには、正直に
「読みがちがいました、すみません」
とお伝えすることにしています。

それでも、そのあとにも
ごいっしょしてくれるというところもあるし、
「もうしわけありません」でさようなら、
というところも、それはいろいろあるわけです。

時代の変化で、
企業やデザイナーには
どうしようもない流れが生まれるので
「残念だな」
と思うような結果も、なくはない、
という世界だと認識しています。
若いころには、
手がけた商品がうまくいかないと
ショックがおおきかったですが、
いろいろなことを
ずいぶん多く経験したあとになると……
「そういうこともあるんだな」
と、考えられるようになってきましたね。

(次回に、つづきます)
  佐藤卓さんのこれまでの
ほとんどの仕事を見られる大規模な展覧会は、
10月21日に開催されはじめました。
これから3か月間、おこなわれてゆきます。

この3か月のあいだに、
みなさんからのデザインについての質問や
佐藤卓さんの言葉への感想などを、
卓さんに伝えてゆこうと考えておりますので
質問や、感想など、ぜひ、
postman@1101.com
こちらまで、件名を「日常のデザイン」として
お送りいただけると、さいわいです。

2006-11-17-FRI

前へ 次へ

もどる